今朝は、朝から雨かと思いましたが、午前中は、曇り空でした。今日は、午後から、霊園さまへの出張の法事でした。ご法事をご依頼頂きましたのは、昨年の暮れでしたので、約半年前です。あの頃、半年後のご法事かぁ、まだまだ先の話だなぁ、その頃、コロナはどうなっているのかなぁと思っておりましたが、まったく、早いものです。なぜ、半年先なのか?が、不思議だったので、理由をおたずねいたしますと、「母のお骨は、今、アメリカにあるのです」とお聞きして、びっくりして、つい、理由をおたずねしてしまいました。70歳頃、夫を亡くした後、アメリカに住む娘さんと暮らすため、渡米されたそうです。そして、101歳まで長生きをされました。しかし、コロナ過で、帰国出来る目処が立たず、半年後であればと、納骨日を決められたそうです。昨年の暮れは、コロナ過の真っただ中でした。今日、はじめて、娘さんとお話をしました、「周りの方が、母の事を、とても、大事にしてくれて、幸せだった」と思いますとお話をされていました。私の想像では、知らない土地で、ましてや異国の地で、苦労されたのかと思ってしまったのですが・・・。でも、確かに、幸せだったからこそ101歳まで長生きされたのかもしれません。参列者の半分は、アメリカ人という珍しい法事でした。そして、お墓の前で、納骨式を始めたのですが、最初は、曇り空だったのが、あっという間に、大荒れの天気となってしまいました。傘もお持ちでない方もいらっしゃる中で、長引かせては申し訳ないと判断し、いつもより、早めに読経を勤め、何とか、無事終わりました。お線香を供える際、アメリカ人の若者が、日本語で「おばあちゃん ありがとう」と言葉をかけていたのは、私も泣きそうになってしまいました。たぶん、大荒れの天気のおかげで、忘れられない納骨式になったと思います。
私は、生まれてから一度も引っ越しというものを経験したことがありません。海外旅行にも、今の頃、興味ありません。今年90歳になる父は、高校の地理の先生と住職を兼務していました。どういう経緯かは聞いてませんが、現役の先生の時、海外への研修に志願したのか指名されたのか?とにかく、出かけてしまったのです、世界の高校を視察するための世界一周をしてきました。一か月以上、留守していました。その間、葬儀や法事は、母が勤めていました。帰国してからは、逆に、海外の先生が、日本に視察に見えられ、我が家に泊まりに来られましたのにも、私は、びっくりでした、英語など話せないと思っていた母が一番、会話していたのにも驚きました。父は、今では、足腰がだいぶ弱り、出かけることが困難ですが、未だに、日本地図や世界地図を眺めているので、頭の中で、生徒さんに地理の授業をしているのか、空想の旅行の計画をしているようです。また、高校を定年退職してからは、母と一緒に、海外旅行によく行ってました。とにかく、行きたい処は、即、行動!でした。父の妹さんも、ご主人がイギリス人の大学教授で、今は、ドイツに来ていますとか、フランスにいますとか、時々、メールが来ます。私にとっては、まったく、信じられない行動力です。浄土真宗本願寺派では、ハワイや北米、南米ブラジル、台湾、ヨーロッパにも浄土真宗の寺院はありますので、もし、外国に転勤になっても、お参りは可能になりました。今は、ユーニューブで、法話は聞けますが。ドイツにも恵光寺という、立派なお寺があり、観光名所にもなっているそうです。私も唯一ハワイのお寺だけは、研修で行きました。現地の病院にも視察に行きました。まだ、20代のころの話なので、今から30年以上前です、覚えていることは、礼拝の部屋があること、入院する際は、宗教を書く欄があること、普通に、僧侶や牧師さんが、病院内を歩いていることが、びっくりでした。それから、私が行った夏の時期は、各寺院で、盆ダンスが盛り上がっていました。私は、ある病院へ年一回、一年間の亡くなった方の慰霊祭に、お参りするのですが、外来の正面玄関ではなく、裏口から入って下さいと言われます。日本で、お坊さんが、病院でウロウロしていたら、びっくりされることでしょうね。
浄土真宗の盛んな地域の一つ、九州の方が、連れ合いを亡くし、一人暮らしでは何かと心配なので、子供さんたちが、神奈川に呼び寄せることは多く聞きます。ところが、やはり、新しい土地に馴染めず、長年暮らし、お友達もいらっしゃる故郷に帰られる方もいらっしゃいます。法徳寺で、新しく、葬儀やご法事で、ご縁を頂く方の出身をお聞きすると九州の方が一番多いです。今は、介護施設が多くなりましたから、住み慣れた故郷を離れないという選択も多くなったのかもしれませんが、私の感覚では、一昔前は、そのように、年をとったら、子供達の暮らす、都会に移る方が多かったように思います。浄土真宗の方は、先祖を敬い、また、ご仏壇が生活の中心であった方が多く、私が、20代の頃は、関東に来て、浄土真宗のお寺が少ないことに驚き、遠方から、たずねてこられる方がいらっしゃいました。法徳寺では、早くからホームページを開設していたので、子供さんが見つけて下さることが多かったです。家の近くには、お寺があるが、他宗のお寺さんでは、先祖に申し訳がないと言われる方も多くいらっしゃいました。また、北海道の方も多いです。特に、炭鉱が閉鎖になり、こちらにいらしたという方も多かったです。しかし、そういう方は、今では少なくなりました。葬儀になって、はじめて、ご縁が出来るパターンになりました。また、今は、実家は、浄土真宗でも、こだわらず、無宗教と言われる方も多いようです。それは、何十年もご仏壇にお参りしてこなかったら、宗派にこだわらなくなります。でも、皆さん、仏教は、お釈迦様が説いた教えだから、みんな同じと思っては大間違いです。私が、いのち、終わりどこへ行くのか、という後生の一大事の解決が出来るのは浄土真宗以外はありません。少なくとも、今まで、先祖が浄土真宗のご家庭であれば、簡単に変えないでください。末法の時代(意味は少し前のブログに書きました)に救われるのは、阿弥陀如来しか私は知りません。九州の中でも、鹿児島県の地域の方の熱心さは凄いです。毎日、お墓参りするのが当たり前だと、よく、お聞きします。49日までの初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日(49日)も、必ず勤めるそうです。よく、三七日だけをお願いしますと、突然お電話のご依頼を受けることがあります、その場合、たいていは、鹿児島県で葬儀をされ、兄弟で手分けして、自分の住む近くの浄土真宗本願寺派のお寺を探して、49日までの法要を勤めてもらうのが習わしだそうです。そして、また、鹿児島に集まり49日法要で勤めるのです。関東の地は、もともとは、親鸞聖人が、茨城県に約20年間滞在され、主著「教行信証」をあらわされた、浄土真宗 立教開宗の地なのです。今年は、西本願寺で、親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年の記念の法要が、5月21日の親鸞聖人の誕生日までお勤めされています。立教開宗800年とは、「教行信証」がほぼ完成された日からの年数です。しかし、聖人は、そもそも、浄土真宗という教団を立ち上げることや、寺院を建立することへの執着はなかった方です。その後、聖人の後の八代目蓮如上人までの約200年は、京都ですら、浄土真宗を知らない方が多い教団だったそうです。なぜ、親鸞聖人所縁の地とも、いえる関東に浄土真宗のお寺が少ないのかは、不勉強のため、分かりません。たぶん、インターネットを調べればたくさん出てくると思います。