称名報恩 皆さんはお念仏を称えるとき、南無阿弥陀仏と声に出して称えていますか?それともただ黙って手を合わせ合掌するだけですか? 私は法事や葬儀を勤める際、開式と閉式には必ず「皆さん合掌してください」とお願いするのですが、殆どの皆さんは、ただ黙って手を合わせるばかりです。ところが今日勤めた葬儀では、静かそうな喪主さんが立派な「称名念仏」をしてくださったので、今回の話を思いつきました。 さて皆さんが法事に参加した際、お坊さんが「合掌してください」と言ったならば、声に出してお念仏をしますか?恥ずかしいですよね(*´д`*)。でも出来れば「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお坊さんに合わせて称名念仏をして頂きたいと思います。(そういえば義兄、立徳寺住職は「ご一緒にお念仏を称えましょう」と言います。とても丁寧です) なぜ声に出すお念仏が良いのか?それはズバリお念仏の意味が「仏徳讃嘆と報恩感謝」であるからに他なりません。よく間違えるのはお念仏が祈りを込め、お願いをする、欲を表現する行為にされていることです。浄土真宗は自分の欲を捨て、仏さまに見守られている幸せから、仏さまに全てをお任せする他力の教えですから、欲望を叶えるためにお願いをすることは御法度になります。ではどのような気持ちでお念仏すべきか・・ 仏徳讃嘆・・仏さまを褒め称える気持ちです。阿弥陀さまの徳を称えるというと難しくなりますが、皆さんの亡くなった大事な人を思い浮かべてください。「素晴らしい人生を送られましたね。今でも優しいお人柄を尊敬しています」などと故人に置き換えて仏徳讃嘆するのでも良いでしょう。 報恩感謝・・私たちはいつどこでも仏さまに見守られているのです。そしてご先祖さまや皆さんの大事な人は、私の命や沢山の思い出を残してくださいました。その方々への思いは、ただ感謝するばかりでしょう。そんな素直な気持ちで称えるのが、本来のお念仏なのです。何かをお願いするのではないのです。 さてそこで皆さんが日常生活で、人を褒めるときや感謝の気持ちを言うとき、黙って気持ちを伝えられますか?どうしたって「素晴らしいですね」や「綺麗ですね」とか「ありがとうございました」や「いつもすみません」など会話として自然に出てくるはずです。 そう、日常会話で人を褒めたり感謝するのと同じように、仏さまに「礼拝≒挨拶」する際にも、声に出して「会話≒称名念仏」をしていただきたいのです。(≒は数学でほぼ同じという意味) いやいや、今回も自分で書いていて反省し勉強になってしまいました(*_*)。明日からは日常会話にもお念仏にも、しっかり声に出して感謝の気持ちを伝えたいと思います。でも人を褒めるのは良いことですが、度を超すと軽はずみになるのでご注意を。←今風に言うと「チャラ男」と言います(^O^)
法話 伊東知幸