浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

12月の法話

2012-11-29 11:09:52 | 法話
称名報恩

皆さんはお念仏を称えるとき、南無阿弥陀仏と声に出して称えていますか?それともただ黙って手を合わせ合掌するだけですか?

私は法事や葬儀を勤める際、開式と閉式には必ず「皆さん合掌してください」とお願いするのですが、殆どの皆さんは、ただ黙って手を合わせるばかりです。ところが今日勤めた葬儀では、静かそうな喪主さんが立派な「称名念仏」をしてくださったので、今回の話を思いつきました。

さて皆さんが法事に参加した際、お坊さんが「合掌してください」と言ったならば、声に出してお念仏をしますか?恥ずかしいですよね(*´д`*)。でも出来れば「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお坊さんに合わせて称名念仏をして頂きたいと思います。(そういえば義兄、立徳寺住職は「ご一緒にお念仏を称えましょう」と言います。とても丁寧です)

なぜ声に出すお念仏が良いのか?それはズバリお念仏の意味が「仏徳讃嘆と報恩感謝」であるからに他なりません。よく間違えるのはお念仏が祈りを込め、お願いをする、欲を表現する行為にされていることです。浄土真宗は自分の欲を捨て、仏さまに見守られている幸せから、仏さまに全てをお任せする他力の教えですから、欲望を叶えるためにお願いをすることは御法度になります。ではどのような気持ちでお念仏すべきか・・

仏徳讃嘆・・仏さまを褒め称える気持ちです。阿弥陀さまの徳を称えるというと難しくなりますが、皆さんの亡くなった大事な人を思い浮かべてください。「素晴らしい人生を送られましたね。今でも優しいお人柄を尊敬しています」などと故人に置き換えて仏徳讃嘆するのでも良いでしょう。

報恩感謝・・私たちはいつどこでも仏さまに見守られているのです。そしてご先祖さまや皆さんの大事な人は、私の命や沢山の思い出を残してくださいました。その方々への思いは、ただ感謝するばかりでしょう。そんな素直な気持ちで称えるのが、本来のお念仏なのです。何かをお願いするのではないのです。

さてそこで皆さんが日常生活で、人を褒めるときや感謝の気持ちを言うとき、黙って気持ちを伝えられますか?どうしたって「素晴らしいですね」や「綺麗ですね」とか「ありがとうございました」や「いつもすみません」など会話として自然に出てくるはずです。

そう、日常会話で人を褒めたり感謝するのと同じように、仏さまに「礼拝≒挨拶」する際にも、声に出して「会話≒称名念仏」をしていただきたいのです。(≒は数学でほぼ同じという意味)

いやいや、今回も自分で書いていて反省し勉強になってしまいました(*_*)。明日からは日常会話にもお念仏にも、しっかり声に出して感謝の気持ちを伝えたいと思います。でも人を褒めるのは良いことですが、度を超すと軽はずみになるのでご注意を。←今風に言うと「チャラ男」と言います(^O^)

法話 伊東知幸


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皇帝ダリア

2012-11-25 14:30:32 | お知らせ

今、法徳寺では、前住職が世話をしている皇帝ダリアが見頃になっています。

皇帝と名が付くだけあって、背が高く立派な花ですよ。

北側の駐車場や、墓地で咲いています。

また、前住職の実験中ということで、本堂の中にも鉢で栽培をしている

皇帝ダリアがあります。(こちらはまだ咲いていません)

しばらくの間、お花を楽しめそうです。

お参りの際は、ご覧下さい。


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明日は法話会

2012-11-01 18:30:41 | お知らせ

法徳寺 本堂において、11月2日 PM1時半~3時まで ニコニコ法話会が開催されます。

お参りお待ちしております。

どならでも、ご参加出来ます。参加費などもございません。

今月の法話講師 住職 伊東英幸


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11月の法話

2012-11-01 18:24:07 | 法話

聴聞の心得

 浄土真宗の門徒の皆さんが日々の生活の中で、実践すべき最も大事な行いは何だと

思いますか?

念仏やお経を称える?・・お坊さんも口を酸っぱくして勧めますね。「ご一緒にお念

仏を称えましょう」とか「朝と夕方にはお仏壇に向かってお念仏を・・」とか。でも

意外にも一番大事ではありません。

精進や修行?・・これは浄土真宗では必ずしも必要ではありません。座禅はもちろ

ん、苦しい修行は自力の教えといい、他宗の考えです。

お墓参り・・先祖を敬うということは素晴らしいことですが、浄土真宗では最も大事

な行いとは言えません。じゃあ一体何?

それは「聞法」です。「えっお念仏より大事なことが、仏教の教えを聞くこと?」は

い、そうなのです。間違いありません。浄土真宗本願寺派の手引書に書いて有ります

から(^O^)

具体的には、お寺の法話会に参加しお坊さんの話を聞くとか、葬儀や法事でのお説教

に耳を傾けるとか、仏教関連の書物を手にするとかでしょうか。

なんか面倒くさいな・・(*_*)

そう言わないで下さい!「聞法」とは素直に仏教の教えに耳を傾け、煩悩や別れの悲

しみによってなかなか信じることのできない自分を、徐々に解き放っていく行いで

す。最初のうちは「嘘だぁそんな話」と突っ張ってしまっても、回を重ねるうちに。

お浄土に旅立った、大事だったあの人を思い浮かべ「そうかもしれないなぁ」と疑い

無く受け止める自分が見えてくるはずです。

↑の手引書に「聴聞の心得」というのが書いてありましたので解説します。

1、このたびのこのご縁は、初事と思うべし・・・・教えは何度も何度も聞くことに

よって、疑い無く受け止めることができるのです。このお坊さんの話は何回も聞い

た・・などと思わずに、必ず新たな発見がありますから気持ちを新たに聞いてみてく

ださい。

2、このたびのこのご縁は、我一人のためと思うべし・・・・えっ、周りに沢山いる

のになんて自分勝手な・・。違います!誤解です。これは親鸞聖人がおっしゃった言

葉なのですが、・・ここで家庭に例えてみましょう。5人兄弟のいる家庭、「お母さ

んの愛情は五分の一だなぁ」と子供は思うべきでしょうか。いや、愛情はみんなに行

き渡る。少ない多いなど考えてはダメ。僕の大事なお母さん。そう思った方が幸せだ

と思いませんか?そんな風に阿弥陀さま、ご先祖様のお慈悲は私のために降り注いで

いるのだという表現なのです。

3、このたびのご縁は、今生最後と思うべし・・・・1番と似ていますね。この法話

会での出会いや話は「一期一会」、素晴らしき出会いであり、もう二度と聞くことは

出来ないかもしれない覚悟で聴くべし。ということでしょうか。さらに言うと我々は

老若男女問わず、いつ往生するかわからない。この聞法が最後になるかもしれない。

安心して往生を迎えられるように心して聴くべし!

・・少々オーバーになりましたが、それほど仏教の教えに出会い、疑い無く信じると

いうことは難しく、有り難く、素晴らしいことだと思いたいものです。というわけで

既に参加している方も初めての方も是非、法徳寺のニコニコ法話会に参加してみてく

ださい。


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