先日、自転車レースの事故で、頚椎を損傷し首から下の自由が効かなくなってしまった友人の病院を訪ねました。陸上から転向し、自転車でも有名選手だった彼。運動だけが生きがいだっただけに、どれだけつらい気持ちなのか心配でした。ところが会ってみると意外にも明るく、事故から今までの経緯を話します。そして今はリハビリに専念し、いつか必ず元気になって見せると前向きに生きている彼には、励ますどころかこっちが励まされてしまったようでした。そんな彼も事故直後は奥さんと2人で泣き明かし「命があっただけでもよかった」と話していたそうです。 私は彼に読んで差し上げようと下記の詩を用意していたのですが、あまりに元気で前向きに生きている姿を見て読む必要ないと思い病院をあとにしました。 下記のビートたけし氏の詩、私がとても大好きで、浄土真宗の教えに通じるものがあると思っている作品です。 騙されるな ビートたけし
人は何か一つくらい誇れるものを持っている 何でもいい、それを見つけなさい 勉強が駄目だったら、運動がある 両方駄目だったら、君には優しさがある 夢をもて、目的をもて、やれば出来る こんな言葉に騙されるな、何も無くていいんだ 人は生まれて、生きて、死ぬ これだけでたいしたもんだ 毎日の生活に追われる私たちは、周りから勉強や仕事などの努力を強いられている気がします。目標を持ち努力を重ねることで、幸せが手に入ると思い、暮らす毎日。勉強、受験、ダイエット、会社での昇進、スポーツ・・どれも大事なことですが、人間として一番大事なことって何でしょうか。先ほどの詩に答えがあるような気がします。
生きているって素晴らしいと実感できるってなかなかありませんよね。そんな私たちを見つめ、今を生きている素晴らしさを教えてくださるのが、この命そのものを残してくれた「ご先祖さま」ではないでしょうか。その代表である阿弥陀如来さまは、私たちを決して区別せず救ってくださいます。修行や努力は必要なく、今そのままの姿で救済してくださるのです。ですから信心だけで救われる浄土真宗は、平等で有難い教えだと思うのです。 皆さんをいつも見つめ励ましてくださる、故人を思い出した時には、お礼の言葉として「南無阿弥陀仏」と称えてみてはいかがでしょうか。