「いつ聞くか?今でしょ」
仏法を聞く これがいかに大事であるか、毎月のように話をしています。
お経を称えるより大事なこと、それが「聴聞」です。法話会に参加したり、仏教に興味を持ち仏教書を読んでみたり、
行動は人それぞれでしょうが、先祖の行かれた仏の世界を見聞することは、自分自身の信心と先祖への供養になるのです。
ところが、若い檀家さんに、法徳寺の法話会に参加するようにお誘いすると、「私はまだそんな年齢ではありません」などと言われてしまいます。
実際、法話会の参加者は御年輩の方が大半を占めます。お寺は土日に法事が多いので法話会などは平日に開催するため、仕事をされている
方が参加しづらいのは申し訳ありませんが。
蓮如上人は「御一代記聞書」の中で、「明日のことも今日するように」「仏法は世間の用事を差し置きて聞きなさい」とおっしゃられています。
そして私たちはいつ亡くなるかわからない、無常の存在です。これを蓮如上人は「御文章」の中で
「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」
と述べているように、若くても老いていてもいつ事故にあうか、急病になるか分かりません。
ですから「自分の死はまだ先だ」と思っていたら、それはあっと言う間に訪れるかもしれません。若くても老いていても、自分の命は永遠ではないと
気付き、不安に思った時がまさに仏法に目覚めるときではないでしょうか。
法話会では私たち僧侶が仏教を「教える」のではありません。参加者皆さんが一堂に会し、皆で話し合い打ちとけ合い、疑問に思ったり、
悩みの解決の糸口になればよいと思っています。法話では決して難しくならないように世間話や笑い話もします。
もちろん経典を紐解いたりもします。
仏教を聞き、皆さんで学びあうことは楽しい事なのです。どこかの予備校に似ているのかもしれません(^O^)
「じゃあいつ聞くか?」「今でしょ」
伊東 知幸