浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

11月の法話

2013-10-31 13:05:21 | 法話

合掌のこころ

私たちは、法事や読経の始まりや終わりに、必ず合掌・礼拝をしますね。

これにはどういった意味があるのでしょうか?

今回はこの疑問を紐解きたいと思います。

合掌は、古くからインドで行われてきた礼法で、仏教と同時に日本へ伝わりました。

自分の胸の前で手と手をピタリと合わせて、左右相対した二つの手を合わせることは、

不浄な自分の心と、敬う相手の心をとを一致させるという意味が込められています。

礼拝は祈ることではなく「み仏の徳をたたえ、敬うこと」ですから願い事を込めてはいけません。

その際「南無阿弥陀仏」と称えますが、その「南無」は梵語(古いインド語)「ナマス」の音写(音を漢字に当てはめた)です。

これは仏・法・僧の三宝に帰依し敬礼する意味があります。ですから「阿弥陀仏を信じ敬います」という意味になります。


興味深いのは現在もインドやネパールで使われる挨拶「ナマステー」と語源が同じだということです。

同じように「ナマス」は相手に対し尊敬、敬礼、服従します。という意味で「テー」は「あなた」という意味ですから、

南無阿弥陀仏も同じ挨拶なのだということが分かります。

また「ナマステー」は朝・昼・晩の挨拶や別れの挨拶全てに使わるそうですから、私たちが礼拝の際、

必ず始めと終わりに念仏することも同じ理解ができます。

礼拝の作法については次回に話したいと思います。

(参考文献 浄土真宗必携 み教えと歩む)

法話 伊東知幸


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10月の法話

2013-10-02 17:28:34 | 法話

不退転

今月は仏教用語を2つご紹介します。

よく政治家が「この問題には不退転の決意で臨む」と言ったり、力士が横綱昇進の挨拶で

「今後は不退転の決意で稽古に励む」など言ったりするこの「不退転」。

実は仏教用語なのです。本来は退くことのない境地の意味。

俗世間を捨てて僧侶になった者は、修行道から退くことはできないということ。

浄土真宗では最も重要な経典、大無量寿経の本願成就文に「即得往生 住不退転」とあり

(真実信心を獲得した人は即時にこの世において、往生することが決定し、不退転に住する)という意味で、

お念仏の教えを信じる私たちは、命終えたとき必ず往生することが今から約束されていて決してキャンセルされません。

ということです。ですから毎日を安心して暮らせるわけです。

頂いた命を全うするためにも仕事や勉強に目標を持ち、不退転の決意で挑みたいものです。

ただし登山において、しゃかりきに頂上を目指し、不退転の決意を持つと危険です。怪我や天候の悪化などの際には勇気ある下山をしてください。

↑の「しゃかりき」も仏教用語で、仏教の開祖お釈迦様の力「釈迦力」が語源です。釈迦如来には偉大な力が備わっており、

人々を救うためには、脇目もふらずその力を惜しげもなく全て使った。という言い伝えを例えた言葉だそうです。

我々はいつでも釈迦如来や阿弥陀如来、ご先祖様に見守られ救われているのです。

その安心の中、スポーツの秋、読書の秋を満喫してみてはいかがでしょうか。

伊東知幸


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