合掌のこころ
私たちは、法事や読経の始まりや終わりに、必ず合掌・礼拝をしますね。
これにはどういった意味があるのでしょうか?
今回はこの疑問を紐解きたいと思います。
合掌は、古くからインドで行われてきた礼法で、仏教と同時に日本へ伝わりました。
自分の胸の前で手と手をピタリと合わせて、左右相対した二つの手を合わせることは、
不浄な自分の心と、敬う相手の心をとを一致させるという意味が込められています。
礼拝は祈ることではなく「み仏の徳をたたえ、敬うこと」ですから願い事を込めてはいけません。
その際「南無阿弥陀仏」と称えますが、その「南無」は梵語(古いインド語)「ナマス」の音写(音を漢字に当てはめた)です。
これは仏・法・僧の三宝に帰依し敬礼する意味があります。ですから「阿弥陀仏を信じ敬います」という意味になります。
興味深いのは現在もインドやネパールで使われる挨拶「ナマステー」と語源が同じだということです。
同じように「ナマス」は相手に対し尊敬、敬礼、服従します。という意味で「テー」は「あなた」という意味ですから、
南無阿弥陀仏も同じ挨拶なのだということが分かります。
また「ナマステー」は朝・昼・晩の挨拶や別れの挨拶全てに使わるそうですから、私たちが礼拝の際、
必ず始めと終わりに念仏することも同じ理解ができます。
礼拝の作法については次回に話したいと思います。
(参考文献 浄土真宗必携 み教えと歩む)
法話 伊東知幸