先日のニュースで、東京の大手町のビル再開発事業に際し、敷地の一角にある「平将門の首塚」を
事業計画に含まず、周囲は緑地にするという計画が発表されました。
計画ビルの広報課は明言しませんでしたが、以前から撤去しようとした者が不審な死を遂げた経緯から、
たたりを恐れたのではないかと思われるそうです。
今日、これだけ高度な科学が発展した世の中にも関わらず、私たちは神聖な場所を侵してはならないなど、たたりを
恐れる気持ちがあるのだと思います。テレビ取材では、この首塚に背を向けるように配置された社長室の会社は倒産
すると言う人が出演した一方、「将門の首塚」はパワースポットとして人気があると紹介され、お参りに来ると御利益が
あるそうです。何だか怖いのだか有難いのだか判らない、矛盾した言い伝えのようです。
親鸞聖人は著書「正像末和讃」に
「悲しきかなや道俗の 良時吉日選ばしめ 天神地祇を崇めつつ 卜占祭祀つとめとす」
(今の時代僧侶も俗人も 日時や方角の吉凶の迷信にまよい 天の神、地の神に祈祷をし 占いや儀式に凝っている)
と嘆いています。
仏教の開祖お釈迦様は日時方向などの迷信、神仏への加持祈祷、霊魂の存在、占いの効能などを否定しました。
同じように親鸞聖人も迷信占いなどを否定し、それらに惑わされる人々を嘆いたのです。
もちろん浄土真宗の教えも、神秘的で想像できない部分があることは否定できません。
親鸞聖人は、阿弥陀如来さまの本願を疑い無く信じるならば、他の迷信や占い、そして念仏を信じきれない疑いを
晴らすことが出来るとおっしゃったのです。
つまり上記の和讃は、浄土真宗門徒の信心の無さを嘆いているのでしょう。
我々浄土真宗門徒ならば、「将門の首塚」の祟りなど恐れてはいけないのかもしれませんが、過去の事例が本当ならば、
やっぱり「触らぬ神に祟りなし」と思い、首塚の撤去回避は無難かなあと思うでしょうね。
(伊東知幸)