12月2日 午後13時30分より 法話会
今年最後の法話会 是非、お参り下さい。
講師 毛利祥生師 伊勢原市立徳寺 住職
どなた様もお参りできます、参加費等はございません
12月2日 午後13時30分より 法話会
今年最後の法話会 是非、お参り下さい。
講師 毛利祥生師 伊勢原市立徳寺 住職
どなた様もお参りできます、参加費等はございません
人の悪きことはよくよく見ゆるなり、我身の悪きことは覚えざるものなり。我身に知られて悪きことあらば、よくよく悪ければこそ見に知られ候と思いて、
心中をあらたむべし (他の人の欠点は、よく解るものであるが、自分の欠点は、なかなか気がつかぬものである。自分で気づく程の欠点なら、
それはよほどひどい欠点だからこそ自分でも解るのだと思って、心がけを改めねばならない) 「蓮如上人御一代記聞書」
浄土真宗聖典に収められている文章は、お経ばかりではありません。その中の一つ「蓮如上人御一代記聞書」は本願寺中興の祖と呼ばれる、
第八代蓮如上人が晩年まで法語や訓戒、及び自身の行動などを箇条書きに収録したものです。全三百十四条収められていますが、
その多くは簡潔に浄土真宗の肝要を述べ、倫理、生活、儀礼などに至るまで記されています。今回はその一文を取り上げてみました。
上の文章を読んでみていかがでしょうか。口うるさい説教?いいえ、きっと上人自身が失敗してきた経験から伝えたかったのでしょう。
蓮如上人は生きることの達人で、それは自省の達人だったそうです(本願寺派入門聖典より)
他人の欠点や過失には目を光らし、何か事故があれば責任を他人のせいにしようとする人が、この世には満ち溢れている。
よほど自分には厳しく心がけていないと人を傷つけてしまうのだ。と思ったのでしょう。 この考えは浄土真宗教義にも当てはまります。自分は善い人間だと思い込んでいる人は反省の気持ちが持てません。
逆に自分は悪人だと自覚している方が阿弥陀さまにすがり、素直に仏教を信じて念仏をするでしょう。
そのような悪人こそ救いの目当てだと阿弥陀さまは教えています。 とくに、法然聖人は念仏行を重視し、親鸞聖人は信心が大事とし、蓮如上人は念仏を報恩感謝の気持ちでするものと勧められたと言われています。
これは蓮如上人が上記に記したように、私生活おいても自分の欠点を自覚し、周りの人々に感謝しなさいと勧めていることに当てはまると思います。
単なるお説教に聞こえる文章にも、深い意味があったようです。