袖振り合うも多生の縁
上記のことわざ、皆さんはきっとご存知だと思います。しかし多生を多少と間違えたりしないでしょうか?これは「少しばかりの縁」という意味で使われるのではなく、「往来で行き交う人の着物の袖先が、軽く接するようなささやかな関係であっても、何度も生まれ変わる中で生じた貴重な縁である」という意味だからだそうです。
親鸞聖人は教行信証、総序の中で、
ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも得がたし。
たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。
と述べています。これは、「阿弥陀さまからの願いである大いなる本願は、何度も生を重ねても会えるものではなく、まことの信心はどれだけ時を経ても得ることは難しい。思いがけず、念仏の教えと信心を得たなら、遠い過去から、阿弥陀さまの光が私達を照らし、み教えを伝えてくれた先人とのご縁を感謝し喜ぶべきである」という意味です。
私たちはたまたま人間として生まれ、今の平和な日本で暮らしています。そして恐らく悲しみの出来事から法徳寺と縁ができ、門徒としてお付き合いをさせていただいています。縁の始まりは大事な人との別れであっても、仏教の教えに耳を傾け、浄土真宗門徒となったことは素晴らしく有難い事だと思います。それを導いてくれたのは阿弥陀さまであり、仏教を伝えてくださった先人、お寺や友人であったかもしれません。その出会いの喜びを多生の縁として大事にしていきたいものです。
現在、本堂、接待所の工事を行っております。
建物には足場が組んでありますので、お参りの際はお気を付け下さい。
工事期間中、法事等は客殿で行います。
ご迷惑をおかけしますが、皆さまにとって、居心地の良い場所となるようにしたいと
思っておりますので、宜しくお願い致します。
本日
1時半~3時
降誕会・永代経法要をお勤めいたします。
法徳寺では、毎年五月二日に、親鸞聖人のお誕生をお祝いします降誕会法要と、永代経法要を合同でお勤めしております。
このたび、本堂右余間に、聖徳太子像のお厨子と、本山より聖徳太子、七高僧の掛け軸をお迎えしましたので、入仏式も
兼ねてお勤めいたします。皆様、どうぞ、お参りください。
法話講師 伊東英明(住職 長男) 龍谷大学在学中
講 題 「親鸞聖人と聖徳太子」
現世利益 皆さんはお寺や神社にお参りした際、何か願い事を込めて手を合わすでしょうか?病気平癒、合格祈願、商売繁盛、家内安全、恋愛成就・・等々。
私たちは煩悩にあふれる弱い人間ですから、そのように願うのも無理はありません。ただし、あまりにも身勝手は願いをもって礼拝するのはいか
がなものかと・・。もしその願いが叶ったら「ご利益があった」と喜ぶでしょうが、もし叶わなかったら「あの寺はダメだ」などと思うのでしょうか。 仏教でいう「ご利益」とは本来、善行の積み重ねを通して得られるもので、仏さまの教えに従い正しい行いを心がけた結果、仏さまが私たちにくだ
さるものです。その善行が何かと言ったら一般には、お賽銭などの布施、数多くの寺参りをする、何かを我慢する、等であるように思われます。
しかし親鸞聖人は、その善行はできる人とできない人の差別が生まれ、できた人は必ずうぬぼれ、自慢し更なる煩悩を引き起こすとし、そのような
修行は必要なく、ただお念仏をするだけで良いのだと示されました。さらにお念仏よりもさらに信心が大事だとし、その信心だけで皆、平等に頂く
ことのできる十種の利益があると、主著である「教行信証」の中で示されました。 冥衆護持の益・・天の神々がいつも見守ってくれる 至徳具足の益・・この上なく尊い功徳がそなわる 転悪成善の益・・罪悪が、念仏を称えようという功徳に転じる 諸仏護念の益・・諸仏が護ってくれる 諸仏称讃の益・・諸仏に褒め讃えられる 心光常護の益・・阿弥陀如来の光明に常に照らされ、救いを受けられる 心多歓喜の益・・浄土に迎えられることを知り、心が喜びに満たされる 知恩報徳の益・・如来の恩を知り、恩に報いながら暮らせる 常行大悲の益・・如来の慈悲の心を人に伝えることができる 入正定聚の益・・仏になることが定まる ご覧になって分かるようにいわゆる冒頭に示したような「現世利益」は入っていません。でもあらためてよく読むと「現世利益」より素晴らしい仏教本来
の「ご利益」ではないかと思います。仏さまに守られながら浄土に行ける・・これが最大のご利益です。