「桜といえば」
これを書いている3月28日、関東ではソメイヨシノの桜が満開になっています。
今年は例年にない早い開花で、各地の桜祭りは時期を逃してしまったようです。
さて桜に関して何か話がないかと考えましたら、あの有名な詩を思い出しました。
「明日ありと思う心のあだ桜、夜半(よわ)に嵐のふかぬものかは」
(今日盛大に咲き誇っている桜も、夜半に嵐が吹けば桜は一瞬にして散ってしまう)
親鸞聖人は1181年、御年9歳(数え年)の春、叔父の日野範綱に伴われて慈円(慈鎮和尚)の青蓮院を訪れます。
文献によると親鸞聖人の両親は、ともに逝去した後のようです。その落胆から、早く出家をしたいと、得度をするために赴いたのです。
ところが青蓮院に到着する頃には夜も更けて、あたりは薄暗くなっていました。
慈円は「今夜はとりあえず休みなさい」と言ったところ、親鸞聖人はこの歌を詠ったとされます。
これは単に早く得度を済ませたい。などという気持ちではありません。両親は共に往生し、悲嘆の日々を送っていた親鸞聖人は、直ぐにでも
僧侶になり、真実の教えに出会いたい。そんな強い決意で得度に訪れたのです。そしてこの歌は仏教の根本思想を詠っているとも言えます。
諸行無常・・万物は常に消滅変化して留まる事がないこと
平家物語の冒頭にも「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と読まれる、仏教の基本的考えですが、親鸞聖人は9歳、得度前にして
それを言い放ったのです。
つまり上の歌は
世の中は全て無常であって、やるべきことは必ず出来る時にやっておくべきです。
明日桜を見に行けば良いと言うが如き、のんきな気持ちではいけない。ということだと思います。
伊東知幸