沖縄の宗教 伊東知幸
先日、前住職及び現住職の長男と共に沖縄旅行に行きました。それは単なる観光ではなく宗教施設、及び歴史遺産を巡る旅です。ですからリゾート観光地を楽しく回るパックツアーではなく、前住職が計画した、レンタカーで島内を巡る旅です。
まず訪問したのは首里城です。これはあまりにも有名ですから説明は省きますが、琉球王国という日本とは別の国が存在し、文化も宗教も全く別の文化が栄えていたそうです。ですから日本の新しい文化や宗教は、当時から近年まで受け入れられることは無かったようです。見た目は大きな神社のようですが、実際は城であり歴史的背景は全くの別物でした。
次にお邪魔したのは浄土真宗本願寺派名護布教所「平安寺」です。ここでお話をしてくださった住職が、沖縄に浄土真宗の教えを広めたいとの強い意志で建立した、大きさは幼稚園ほどもある寺です。印象に残った話としては、
「沖縄には琉球王国時代から続く独自の文化や宗教があり、今現在も県民は新しい宗教を受け入れる気持ちも必要もない。ですが本土から仏教徒である住民が移り住んでくるので、徐々に浄土真宗の教えも広まりつつある。それを少しでも手伝いができたら」
とのことでした。よほどの強い意志で布教、法務に従事していると大変感心させられました。
翌日向かったのはお墓です。沖縄のお墓は変わっていて、とても大きなお墓が海を望む絶景地の斜面に数十軒かづつ点在しており、一軒の墓がとても大きいのです。それは苗字が同じ~家一族全員が納骨されるためで、そのお墓を亀甲墓と呼びます。亀の甲羅のような形の墓が名前の由来ですが、斜面を利用した一部の墓が円形の屋根をしており亀甲型ですが、ほとんどの墓は祠(ほこら)や小屋のような形をしています。ですからよく見ないと平屋の集合住宅のように見えてしまいます。お彼岸直後にも関わらず。お供え物はなく供花もひどく腐っていたので、沖縄にはお彼岸に墓参りする風習は無いようです。そんなことからも仏教文化が浸透していないことが伺えます。
あとはひめゆりの塔や平和祈念公園、旧海軍司令壕など戦争の遺産をめぐり、当時の沖縄の悲惨な歴史を学びました。水族館や繁華街もめぐりましたが、現在の沖縄の華やかな雰囲気、過去の沖縄の悲劇、そのギャップに驚かされました。
現在は日本の沖縄ですが、中国領の琉球王国から日本領土となり、そして激戦地へ。戦後は長い間アメリカの統治下に置かれ、今から40年近く前にやっと日本に返還された歴史を思うと、日本の沖縄県などと簡単に呼べない思いがします。いつまでも沖縄独自の文化を持ち続けて欲しい反面、浄土真宗の教えもわずかながら盛んになってきていることに誇りを感じました。