5月も早いもので、今日で終わりです。今日は、永代供養式個別墓地完成の予定だったのですが、この雨で延期になってしまい、ちょっと残念でしたが、仕方がありません。もう少しお待ちになっててください。今日で、ほぼ、すべての梅の収穫が終わりました。まだ取り残しがかなりあると思いますが、実が黄色くならないと、判別が付かないのです。それが、毎年約1ヵ月ぐらい続くのであります。毎日、梅の見回りをすると、必ず熟した味が落ちているのであります。もう取り残しは無いだろうと思っていても、昨年などは1ヵ月経っても落ちてきていました。青梅は、葉っぱに隠れて下から見ても判別が、つかないのであります。予想はしていたものの、昨年より大幅に収穫量が減ってしまいました。その分、ご法事やご葬儀が重なり、明日明後日も、忙しくありがたく思います。ただ、いつもの話ですが、僧侶が忙しいのは、良いことではないのであります。
長生きしても、できなくても、乗る船を間違えたら、せっかく人間に生まれた意味は無いのであります。私たちが、乗らなければならない船は阿弥陀如来の船であります。違う船に乗ったら、どこ行くかわからんのです。沈んでいく泥船かもしれません。皆さんの乗ってる船は、目的地はどちらですか?
今日は、葬儀の後、ビワの収穫、梅の収穫、タケノコの収穫と続けて作業をして、やっぱり、この時期は忙しいのであります。それでも日が長いおかげで、仕事も何とか終わりました。また明日も同じ仕事が待っております。しかし、住職としては、全部やらなくて良い仕事なのです。この仕事で、お金をいただく事は無いのです、ですから、仕事ではなく趣味なのだと思っております。今年は、カメムシが大発生と言われておりまして、鳥よけのネットをしたのですが、ネットなど、なんのその、関係なく隙間から入ってビワを吸ってしまうのであります。ですが、私は、境内に住んでいる虫を、出来れば、殺したくないのであります。もしかしたら、このカメムシも、自分の前世の姿だったかもしれないのです。そして、来世の姿かもしれないのであります。これも、仕事だったら、駆除しなければ作物がダメになってしまいます。ただ、好きでやっているだけの暇つぶしなのであります。それにしても、人間に生まれることは、本当に稀なことなのです。そして、人間に生まれても阿弥陀如来に出会う事は、さらに稀なことであります。私は、この人間に生まれて、南無阿弥陀仏と呼んでくださる。阿弥陀様の呼び声に出会うことができて、こんなに幸せな事は無いのであります。明日もまた、お念仏申しながら作業に励みたいと思っております。しかし、南無阿弥陀仏と私が称えているのではなく、阿弥陀様が私に至り届いてくださっているから、私の口に、出てくださるのだと、何度も申していることであります。私が称えて救われるのではありません、浄土真宗は南無阿弥陀仏の本当の意味を聞かせていただき、救われるのであります。
世の中には、うまれつき幸せになる顔をしている方がいらっしゃいます。そういう方はどういう方かと言えば、周りを幸せにし、明るくし、安心を与える方であります。みんなを、幸せにするための役目を与えられて、生まれたようなものであります。それが仏教で言えばお釈迦様であります。お弟子たちはお釈迦様のお顔を見て、あなたのように幸せになりたいと願ったのであります。
しかし、お釈迦様は別として、普通の人間であれば、悩みもあり、不安もあります。きっと人知れず悩んだり、悲しんだり、苦しんだり、されていらっしゃるのだと思います。いつも、明るく元気に振る舞うのは、日頃、明るいイメージの方には、辛いのであります。いつも、元気で悩みもない人間など誰1人いないのであります。しかし、そういう方には、きっと、支えてくれる人や、いつも元気を与えてくれる方が、周りに集まるのだと思います。だから、良い循環が生まれるのであります。与えたものは、いつか必ず返ってくるのです。頑張っている方には、その頑張りを、応援してくれる方が周りにいらっしゃるのであります。だから、いつの間にか、幸せなのであります。しかし、そんなことを書きながらも、私たちは、お互い住んでいる世界が違います。他人にはなれないし、他人になる必要は無いのです。自分は自分のままで良いのです。他人と比べたり、他人を妬んだり、うらやましく思う、それが不幸の源であります。阿弥陀如来は、生き方を問いません。生き方を説かれても、その通りできないのが私たちであります。幸せに生きようと思っても、生きられない人もいれば、何も考えなくても、幸せな人もいるのであります。幸せか不幸かは、自分が決めて良いのであります。他人が決めることではございません。
そろそろ、梅を収穫し始めたのですが、今年は、超不作です。去年は大豊作で、あまりに量が多く、毎日、必死で収穫したのですが、今年は不作な分、身体は楽でございます。完全に、ご法事の件数やご葬儀の件数は、コロナ前に戻っているので、ちょうど良かったと思います。つい何でも、完璧にこなさなければ、と思ってしまうのが、災いして、疲れてイライラして家族にあたってしまったりするので、ちょうど、よかったのかもしれません。完璧主義者に幸せな人はいないと、本に書いてありました。確かに全てやり遂げると気持ちがスッキリするのであります。しかし次の日には、また同じ繰り返しであります。何でも完璧にこなさなければ、全部やり遂げなければ、気が済まないのは、身体を壊し、心を病んでしまいます。そして、いつか、臨終を迎えても、まだまだ、自分はやらなければならないことがあると思って死んでいくのでしょうか。それよりも、もっと気楽に、人生を楽しめばよかったと、完璧になんか、こなせるわけなかったと、その時に気がつくのかもしれません。
梅は、記録的不作確定!になります。こんな年もあって良いと、思うのでございますが、あまりに、収穫が少ないので困りましたが、まだ昨年作った梅干しが、残っているので、今年はもう諦めました。