浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
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1月の法話

2013-12-31 18:11:27 | 法話

本願ぼこり

 皆さん年末の大掃除は済ますことが出来たでしょうか?一年間の埃がだいぶ溜まっていたのではないでしょうか。さて今回は同じホコリでも”誇り“の意味、本願ぼこりという言葉を紹介したいと思います。”誇り“という言葉が入っていると良い意味の「名誉に思う」という意味に捉えがちですが、ここでは悪い意味の「自慢する、得意げ」という意味で使われています。

 つまり、本願ぼこりとは・・どんな人でも救うという阿弥陀仏の本願を曲解し、得意げになること。さらに言うと「甘えてつけあがる」ことです。浄土真宗のタブーである異安心(間違った信仰)の一つです。煩悩を消し去ることができない凡夫(悪人)の私たちを救ってくださるのが阿弥陀さまですが、それを誤解して、欲望のままに悪事を働き続けても救われると主張すること・・これを本願ぼこりと呼びます。親鸞聖人は「末燈鈔」において「薬あればとて毒を好むべからず」と戒めていますが、薬があるからといって好んで毒を飲む人なんていないのと同じように、阿弥陀さまが悪人こそ救うと言っているから、悪事を働き続けても良い・・これは完全に誤解です。

 阿弥陀さまは、自らの力(修行など)のみで仏になることができる「善人」でなく、煩悩を絶つことができず本来成仏できない私たち「悪人」を、必ず救うと誓ってくださっているのです。確かに過去にどんな悪行を積み重ねた人でも、成仏には差し障りはないのですが、浄土真宗の教えに帰依した以上、世の中の秩序を乱す悪行を阿弥陀さまの支えを理由に、自ら犯すなど決してあってはならないと親鸞聖人は嘆いたのです。




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