お彼岸が、無事おわりました。
今日は、群馬県の高崎観音にお参りしました。
★9月24日(木)第1回 10時~ 10時半
第2回 11時半~12時
平日の開催になります
法要の内容は、参加者で読経の後、法話があります。自由参加で予約等の必要はありません。
■法要お布施の目安:5000円の方が多いようです
★服装:平服でかまいません、念珠をお持ちください
★秋季彼岸会法要でのご供養の方法
先日、ご自宅にお送りしたお葉書に、住所、名前を記入、当日お持ちください。ご本尊様にお供え致します。
当日、ご参加が出来ない場合でも、僧侶が代理供養いたします、お布施とお葉書を、ご持参頂くかご郵送下さい。
(代理供養料目安:お布施5000円)
★ 持ち物:ご家庭の過去帳または位牌、葉書
※お葉書がない方は、当日、受付にあります。また、ご希望でしたらご郵送いたします。
お彼岸中、個別や自宅へのお参りも受付中 2万円
地獄は一定 「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」 「歎異抄」の第二章に示されている言葉です。 私たちは生まれてから今日に至るまで、数々の悪行をしてきました。 「そんなことはない私は真面目に生きて来た」 そう言う人もいるでしょう。でも煩悩を持つ私たちは、多かれ少なかれ嘘や悪意、殺生を繰り返してきたことには変わりありません。
そう本来は人間誰もが地獄行きなのです。冒頭の文章を訳すと 「どのような修行も心からは出来ないような浅はかな私ですから、どのみち地獄こそが私の行き着く所でしょう」 となりますが、どんなに厳しい仏道修行に励んでも、決して煩悩は消えることはありません。
鎌倉時代、このことに悩んだ弟子たちが親鸞聖人を訪ね、本当に往生できるのかと不安を打ち明けると 「自分は法然聖人から教えられたままに念仏するだけである。たとえ法然聖人にだまされて、
念仏して地獄に落ちたとしても、決して後悔することはない」 と述べたそうです。このような大胆な言い回しをするところに、親鸞聖人の念仏の教えへの自身があるように思われます。
私たちが根本聖典とする浄土三部経は、お釈迦様が最も伝えたかったお経の一つだと言われています。
その教えを師、法然聖人より授かり、ただひたすら念仏の教えを信じるだけだと、
絶対の自信を持って親鸞聖人は布教一筋の人生を送られました。その有り難さをしみじみ感じながらお念仏申したいものです。