Romarin フランスの草の根となって

住み始めた時は腹がたち、住み慣れると離れがたいフランスにすみ、45年の年月がたちました。日々のことなど綴ります。

コンサート場での事故

2011年02月09日 | 音楽
先週の金曜日にグルノーブルの近くのエシロルという町に
コンサートをしにいった。
年に1、2回はいくところである。

コンサート会場と楽員が入っていく入り口は平らになっている。
ところが一箇所なぜかわずか1cmほど盛り上がっている。
しかも、その場所は真っ暗なので非常に見えにくい。
何人もの人が躓きそうになって、危ない、と言っていた。

休憩後、第二部が始まる直前、大部分の人がすでに舞台に入って
席についていたので、少しあせったのだと思う。
わずかに駆け足気味に舞台へ行こうとした。
その時点でも舞台も入り口も真っ暗。

あっという間もなく、自分が床に腹ばいになっていた。
インストラクターから、楽員たちが駆け寄ってくるのが見えた。

私のヴァイオリンは?  だってすごい音がしたんだもの・・・

駒が飛んで、裏返しにヴァイオリンが横たわっている。
見たくない・・・・きっと表板は食い込んで割れている。


ところが、見てみたら、割れていないばかりか、ひびすら入っていない。
弱音器が少し食い込んでいて、ニスがはげているのと、少しかすり傷がある。

私自身は、両膝がいたかった。

もちろん第二部は弾かず、入念にヴァイオリンを観察したが、ひびはなかった。

帰りのバスの中で、なんとなく肩が重いのと、右腕にわずかな痛みを感じたのが
気になり、霊気を施す。ひざも霊気をしたらほとんど痛みは取れた。

翌日は土曜日だったのでかかりつけの医者には見てもらえず、病院にいく。
若い先生であった。あまり音楽家の腱鞘炎とかは知らないようだ。
とにかく、仕事上の事故だという紙をもらうことができたので少し安心。
なぜなら、仕事上の事故の場合はすべての治療、薬、レントゲンなど、
ただになる。まったく何も払わなくてよい。

土曜日のコンサートは休む。

月曜にかかりつけの医者に行き、今週も休むように言われる。
肩にちょっと気がかりなところがあるらしい。
首のレントゲンと肩のエコを撮ることになる。





バロックの一週間

2011年01月23日 | 音楽
今週はトン・コープマンを指揮者に迎えての一週間であった。

バッハのカンタータ207aと、モーツァルトのレクイエム。
ノンヴィブラート、長い音の出始めは弱くして音を膨らませる
バロック独特の奏法でこの二曲を弾く。
ノンヴィブラートは清潔な音がし、音が豊かに響く。

テンポはインテンポを維持し、快適である。

私は乗りに乗って弾いて、4日間連続の演奏会で疲れは出たものの、
満足感が大きかった。
同僚のヴァイオリニストは、このバロック風弾き方が気に入らなかったようで、
不満だったといっていたので驚く。
バロックヴァイオリンでなく普通のヴァイオリンでバロック的に弾くのに抵抗が
あったかもしれないが、私は普通のヴァイオリンでバロック的に演奏できたことに
大いなる満足を感じている。
弦楽器が音程がぴったり合ったときの音の幅の豊かさ!何という快感であることか!


今週のコンサート

2009年10月25日 | 音楽
今週は、ショスタコーヴィッチのチェロ協奏曲第一番を
ジャン・ギエン・ケラスのチェロで、ブルックナーの交響曲第二番
というプログラム。
指揮はイヴァン・ヴォルコフ。

ケラスは若手のチェリスト。非常に知的な興味深いチェリストである。
指揮のヴォルコフも若手ながら、自分の音楽を持ち、しっかりとした
テクニックを持った指揮者だ。

ブルックナーはスクロヴァチェフスキー、ハンス・フォンク、
ハンス・ゼンダー、クルト・ザンテルリンクという年齢のいった指揮者と
何度も演奏し、それぞれに素晴らしい思い出を持っている。

しかし若手の指揮者でブルックナーを弾く事はこれが初めてではないだろうか。

ヴォルコフは若手ながら,しっかりとした自分の音楽を持っており、
テクニックもしっかりとしている。
ブルックナーを気持ちよく演奏できた週であった。

昼のコンサート

2009年10月02日 | 音楽
この数年間、昼の時間に「Consert Expresso」と題して、
ふた月に一回の割合で、金曜日のお昼時間に一時間ほどの
コンサートを行っている。

これが当初はうまく行くかどうかが危惧されていたが、
結局の所大当たりで、いまや2300人のホールが満席になる
盛況である。

毎シーズン、テーマを決めて曲を選んでいるが、今シーズンは

「国」

今日は今シーズン第一回の「エクスプレッソコンサート」で
「イギリス」

メンデルスゾーンが始めてスコットランドに行った1829年に
船に乗ってフィンガロの洞窟を見て、非常に感銘を受けて作曲した、
「フィンガロの洞窟」の序曲

ヴォーガン・ウイリアムスのチューバ協奏曲

イギリスでやっと世界的な作曲家として出てきた
ベンジャマン・ブリテン作曲のオペラ「ピーター・グライムズ」の
中からの抜粋で作られた「四つの海の間奏曲」


オーケストラの話し上手なホルン奏者が巧妙なジョークを交えながら
解説をする。

今日は満席ではなかった。

オーケストラのイギリス人が「イギリスは人気がないな~」と
ぼやいていたのがおかしかった。

モントゥルー国際ジャズフェスティヴァル

2009年07月06日 | 音楽
昨日は午後1時にリヨンを出発して、3時間バスに乗り、
スイス、モントゥルーに到着。
今、ジャズ国際フェスティバルを開催中です。

町中がジャズに満ち溢れています。

楽屋には黒と白の色調のしゃれたサロンのいすが置かれ、
あちこちでくつろげる空間があります。

大きなテレビの置いてあるミュージシアン用のバーには
りんご、ぶどう、アプリコット、スモモ、スイカなどの
果物が豊富に置かれ、長くバスに乗っていた後の体には
本当にありがたいものでした。

飲み物も水を始め、コーラ、コーヒー、ビールなど飲み放題。


そのバーのすぐ横に、メイク、髪の毛のセット(カットも)を
してくれるコーナーがありました。
女性は特に競ってしてもらいなんと皆美しく変身!

わたしもメイクをしてもらいましたが、本番が目前だったので
わずか5分で最低限のメイクだけ。あまり変わらなかった・・・・

こんなサービスをしてくれるなんてすごいことです。
やはり金持ちの国は違いますねぇ~~



そうして暖かいもてなしを受けながら、テニスのウインブルドン
の決勝戦をテレビで観戦して、30分後にリハーサル。

中国のピアニストLang Lang と、ジャズ界で有名な、
ハービー・ハンコックと二台のピアノで演奏する、
ヴォガン・ウイリアムスのコンチェルトと
ガーシュインのラプソディー・イン・ブルーがメインでした。

ハービー・ハンコックは11歳の時にシカゴ交響楽団と競演した
というほどのピアニストから、ジャズに転向し、
マイル・デイビスのグループに一時期入っていたという経歴の
持ち主。

途中で、ラン・ランの独奏、ハンコックの独奏がありました。

ラン・ランはショパンなどを弾き、ハンコックはたぶん
自分の曲だと思いますが、7分ほどの曲を披露。
始まって、どこに行くかな、と思いながら聞いていると
見事にもとに解決し、私は素敵だ、と思いましたよ。


8時から始まり、11時過ぎに終わり、3時間またバスに揺られ、
家に帰りついたのが朝の3時でした。

インバルの指揮

2008年01月30日 | 音楽
約十年ぶりに、エリアフ・インバルが振りに来ている。
マーラーの第4交響曲を振る。

久しぶりに、指揮者らしい指揮者に出会えたという感を
覚える。

●マーラーはニュアンスをとにかく重んじなければいけない。
 ただ、マーラーは自分の曲をよく振っていたが、もう少し強く
 して欲しかったり、弱くして欲しかったりすると、ニュアンス
 を書き換えたそうだ。
 だから、そのときの状況と音楽を考えて弾かなくてはならない
 こともある。

●オーケストラで弾くといっても受身ではいけない。
●「私を指揮してください。」とホルンのソロの所でホルンソロに注文。

何はともあれ、このようにきちんとした音楽をできる事は
非常に喜ばしい事である。

インバルは昔に比べずいぶん柔らかくなった。
昔はいやみがぽんぽん飛び出したが、今はユーモアをまじえ、
和やかにしかし要点はきっちりと押さえての練習である。

久しぶりに練習時間がたつのを忘れる。

久しぶりにクラシックなプログラム

2008年01月09日 | 音楽
今週は二種類のプログラムで、一回ずつのコンサート。
何で、同じプログラムにしないのかしら。と言う疑問が
ありますが、

 ベートーヴェンの第7交響曲、
 ブラームスの第一交響曲、
 ブラームスの「悲劇的序曲」
 ウェーバー「魔弾の射手」序曲、
 シューマンチェロコンチェルト

と言うクラシックなもの。

久しぶりのオーソドックスなプログラムで、すごいエネルギーは
要るものの、弾いていて楽しいです。

やっぱりこういう曲を定期的に弾かないといけませんね。


スペインの香りたっぷりのコンサート

2007年11月25日 | 音楽
腕を痛めているためにコンサートは休んでいますが、
今日は客席で聞きました。

指揮はカタロニアのジョゼップ・ポンス。
スペインの作曲家のファリャと、チャイコフスキーの
ピアノコンチェルトと言う面白い組み合わせ。

ピアノコンチェルトは中国の若手、ラン・ラン。
大変にきれいな音で、ひっぱたかないチャイコフスキー
でした。いわゆる「いつもの演奏」とは違う・・・

いいところもあり、????と言う所もあり。
指揮者とテンポ感が違うところが目立ちました。
まあ、でもとても聞かせる演奏でした。

第2部はファリャの「三角帽子」。
スペイン物のエスプリたっぷりの軽妙ですが、難しい
曲です。
これは指揮者のダイナミックな音楽観と、色彩に対する
追求が見事に消化されていて、非常に素晴らしかった。

終わったあとにコクテルがありましたので、行って、
久しぶりに皆と話してきました。

フランクフルトのオーケストラからクラリネット奏者が
来て吹いていますので、その人たちとの交流会と言う名目です。

何年か前からフランクフルトとバーミンガムのオーケストラとで
楽団員の交換をしています。
わたしも3年前にフランクフルトで2週間弾いてきました。
フランクフルトからも団員がこちらに来て仲間として演奏して
います。

大変すばらしい事で、是非続けたい事のひとつです。
違う国のオーケストラで、どのように演奏し、どのような雰囲気で、
どのようなコンサートをするか、などのことが学べて大変参考に
なります。

残念ながら、フランクフルトの奏者と話し損ねてしまいました。


演奏旅行を終えて。

2007年11月19日 | 音楽
オーケストラの日本演奏旅行が無事に終わった。

今回は12日間の間に9回のコンサートというハードスケジュール。
到着したのが11月1日、2日は休みであった事を考えると、
中7日に一回休日があっただけで、移動、リハーサル,コンサート
と言うのが続いた形になる。
ひどい時は移動、リハーサル、コンサート、移動。と言う事も二回
あった。

このように分刻みと言うほどのスケジュールではあったが、
つつがなく終えられたのは、日本でのオーガニゼーションのよさの
おかげであろう。

ホテルに着けば、アルファベット順に各々の部屋の鍵が整然と
並べられている。

列車に乗れば、係りの人がさりげなく、乗り降りの際に、我々の近くに
さっと立って、乗る場所、降りる時を無言でわからせてくれる。
そのタイミングたるや、絶妙である。

最後のコンサートのあとに、日本人として、私は心からお礼を言った。

しかしもう少し余裕のあるスケジュールであれば、これほど多くの人が
風邪をひくこともなかったと思う。

最後のコンサートには何人の人はひどいせきをしていた事か。

それにもかかわらず、コンサートには皆全力で演奏したことはすばらしい事
であった。
どんなに大変なコンディションでもこのような演奏をし続ける事は
誇らしく思う。



マリー・フランスが定年退職

2007年10月27日 | 音楽
私のオーケストラのヴァイオリニストのマリーフランスが
昨日のコンサートをもって定年退職しました。

この日のコンサートのあとにオーケストラでお祝いの
パーティーをしました。

このパーティーをするに当たって、私ともう一人の同僚とで、
プレゼントをのための基金を募ったり、パーティーをして
くれるようにディレクターに頼んだり、プレゼントを
買ったりしました。

マリー・フランスは37年間このオーケストラで弾いてきました。
様々なオーケストラでの思い出とここで仕事をできた事の幸せ
を語ってくれて、皆から盛大な拍手を受けました。

パーティーも無事に盛会に終わり、彼女もとても喜んでくれて、
ほっとしています。

一人、二人と定年退職者が出て行きます。
わたしもだんだん年上組になってきて、自分の定年退職の
ことをそろそろ考え始めています。

健康でそれまで勤められますように。