Romarin フランスの草の根となって

住み始めた時は腹がたち、住み慣れると離れがたいフランスにすみ、45年の年月がたちました。日々のことなど綴ります。

ポール・ボキューズ

2005年11月28日 | 文化
ポール・ボキューズが来年の2月に80歳の誕生日を迎えます。
ミシュランで三ツ星を獲得してから40年。
彼が本を出しました。「Le feu sacré」(ル・フー・サクレ)と言う題名です。
もっとも執筆したのは、30年連れ添っているボキューズの彼女の娘さんです。

ボキューズは1926年2月にリヨンの郊外のコロンジュ・オ・モン・ドールで
生まれました。代々料理人の家族で、学校嫌いだった彼も料理を目指しました。
1958年に、ミシュランのひとつ星を獲得、四年後に二つ星。
その後、三ツ星をとるために、昼夜研究し続け、1965年に三ツ星獲得。
それ以来、その地位は揺るぎがありません。
今は星もなくて、対象外のたかーい位置にいます。

わたしは何回かボキューズに行きました。
でも自腹を切ったことはないのですけれど。

最初に行ったのは1981年だったと思います。
フランス料理はソースがとても重要です。このソースが実においしいのですが、こってりとしていて一品食べたらもうほかに入る余地無し。

おいしそうなデザートを横目に、「もうだめだわぁ」とため息つくことが何度あったか。

その内、「ヌーベル・キュウジンヌ」(新しい料理)が主流になり、
盛り付けがそれまでとがらっと変わりました。
大きなお皿に、少量を美しく飾るのです。
もちろん料理法も違っていると思いますが、詳しくは分かりませんので、
もしよく御存知の方がいらしたら教えてください。

料理法も変わりましたが、コロンジュ・オ・モン・ドールにある
彼のレストランもとても変わってしまいました。

外見がオレンジと緑に塗られ、一見中華レストランか?
中も、昔はフロアーがひとつで、ゆったりとしていましたが、
いまは二フロアーにしてテーブルの間も狭く、その間を縫って
ギャルソンが大汗をかきながらお料理を運んでいるのを見て
がっかりしたのを覚えています。

でももう一度行ってみたいですね。

日本びいきの彼は、わたしの父がニコンのカメラを持っているのを見て、
「ニコンだね。いいカメラですね。一緒に写真を撮りましょう。」
と言ってくれて、彼と一緒に写っている写真があります。
いい思い出です。


昨日見たテレビ

2005年11月24日 | 生活
「アデルとカメル」というテレビ映画を見ました。

アデルはアルツハイマーにかかって苦しんでいる上品な老婦人。
息子は母親の面倒を見られないので、社会福祉で人を探してもらっていました。

カメルという、チュニジア系の若者がこの婦人の面倒を見ますが、
このチンピラ青年と、上流階級の老婦人との美しき愛情を描いています。

アデルは普通の人が持つ偏見を一切持たずにカメルに接し、カメルは
それに感動します。
アデルのアルツハイマーの症状は進んでいきますが、カメルは一生懸命
記憶を呼び戻させたり、外に行って、アデルが不可思議な行動をとっても
相手をしたりします。

医者の定期健診で、入院を勧められ、息子はそれに同意してしまいます。

カメルはチンピラ言葉で一生懸命、そんなことをしたら、アデルが牢屋に
行くようなものだ、と、入院を阻止しようとしますが、アデルは病院に。

一週間経って、カメルは心配のあまり、病院に訪ねますが、アデルの病状は悪化。
毎日のように通って話しかけたり、洋服をプレゼントしたりします。

最後に、アデルが、パーキングに、自分の車をずーっと置いてあるのだと
いうので、そこまで行き、彼女の車「ベンツ」を運転して、アデルが行きた
がっていた場所にドライブする所で終わっています。

病院で死んだように動かなかったアデルが車ではじけるように笑っている、
そしてチンピラで刑務所に行かなければならなかったかメルが、
自分のこれからすることを見出す、と言う実に美しい物語でした。

フランスの一連の暴動騒ぎで注目を集めた若者たち。

ちょっと考えさせられた人達もいたのではと思います。

夕暮れ

2005年11月20日 | 生活
わが町の川沿いです。
一昔前に比べると本当にきれいになりました。


日がどんどん短くなります。
この時期が一番体にとってもきついときでしょう。
一日一日日が暮れるのが早くなり、気分も低下していきます。
こういう時に常夏の国にいくと元気が回復するらしいですね。

そういえば、ボージョレ・ヌーボーが解禁になり、日本が最大の
輸入国とニュースでも、新聞でも報道していました。
日本の次が、ドイツ、そのあとがアメリカだったと思います。

テレビのニュースで、ボージョレのお風呂!で、
ボージョレ・ヌーボを乾杯している若者たちの様子を
報道していました。


差別

2005年11月19日 | 読書
またまた、「竜馬がゆく」からの抜粋です。

●二百数十年、遠州掛川から来た上士どもは土着武士の郷士を差別してきた。犬猫同然に扱ってきた。同席するのも穢れとしてきた。人間が人間を差別するとこうも人間の血を異常にするものか。

これは土佐藩のことを言っているわけですが、土佐藩は非常に上下関係、
身分の差を重んじていました。郷士は、かなり高い石高をもらっていても、
身分は上士の下であり、お殿様に謁見することが許せませんでした。

竜馬が回天の業をなそうとしているときに、この土佐藩をも抱き込んで、
薩長土をもってして、幕府を倒すことを考えていました。
ただ、そのためには土佐藩の中のこの差別感を何とかしないと成し遂げ
られないわけです。
手を組もうとしている上役である後藤象二郎が竜馬に会いに来ると知った
ときに脱藩した竜馬の仲間(郷士)が、後藤を殺そうとしたときの様子を
竜馬が心のうちで思ったのが、この抜粋した部分です。

もしかしたら、同人種の中での差別の方が、異人種の差別より、
陰湿かもしれないと思いました。

爆弾仕掛け事件

2005年11月16日 | 生活
わが町の飛行場で、先週の金曜日に爆弾を仕掛けたという電話が入り、
事態を深刻に受け止めた当局は、乗客2500人を退避させ、
25台の飛行機が運航を見合わせ、厳しい警戒態勢をしきました。

今日の新聞で、実は「愛の物語だった」ことが判明。

18歳の少女が母親がアフリカから帰ってくる前の日にボーイフレンドと
一晩過ごしたが、もう少し一緒に過ごしたい。
母親がアフリカから帰ってくるのを少し遅らすために、空港に
このような電話をした。
「わたしの兄が、空港に爆弾を仕掛け、あと一時間後に爆破する、
と言っているのを聞いた」と。
その電話は番号が隠されていたので、当局は重く見たようです。

この爆弾騒ぎにかかったお金は100万ユーロ。

この少女には禁錮1年の刑が下されました。
裁判では泣き通しだったとか。

数時間を恋人と一緒にいたいが為のこのシナリオはいったい
どこから出てきたことか、このフランス中がぴりぴりしている
ときになぜこんなことをしたのかと、記者は書いています。

幕末の外交

2005年11月10日 | 読書
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を再読しています。
これは広い観点からこの幕末を見、詳しく分析した
力のはいった小説ですね。

小説と言っても、ほとんど史実に沿っているし、
作者がぜひとも言いたいことを、何度もかんで含めるように
確認しながら書いています。

その中で、薩摩藩の外交上手を書いている所があります。
うーんと考えさせられます。

「竜馬がゆく」より抜粋

●明治初年、対外交渉が複雑で、新政府はともすれば外国の横車を通さざるを得ない状態になり、西郷は政府に意見書を出した。
「外国と付き合うには、独立の体を定め、外国との約束はいちいち履行し、一事たりとも審議を誤り礼節を失ってはいけない。もし彼が条約外のことで横車を押してくれば、条理をよく説き聞かせてやり、少しも動揺恐くしてはいけない。その際もし戦の一時をおそれ、まげて彼の説に従えばついに国が崩れる。右のごとく外国と交渉するときには道をもってし、道に敗れても(戦争して敗れても)後悔はしないという覚悟でやらねばならぬ」


移民問題 2

2005年11月03日 | 生活
移民問題について書いていましたら、パリ郊外の
Clichy-sous-Bois(クリシー・スー・ボワ)で
まさにこの問題に直結する事件が起こりました。

3人のアフリカ系の若者が警察に追われているものと勘違いし、
変電所に逃げ込み、二人が感電死。

フランスの大都市の周り,郊外のことを「バンリュー」と言いますが、
バンリューには高級地もありますし、移民がまとまって多くすんでいたりと
バンリュー色があります。
最近、移民の問題が頻発しています。多くは郊外の、移民の多い都市で
事件が起こるために、その手の事件が郊外地でおきると、
「バンリューで起きた事件」と言い、移民による事件と言うニュアンスを
匂わせています。
この記事を書くに当たって、「バンリュー」と言う言葉を使うのが
便利なので、ちょっと注釈を入れてみました。

そのバンリューのクリシーで起こった事件をきっかけにサン・デゥニでも
150台の車が焼かれるなどの事件が相次いでいます。

失業と、住むところのない人移民たちのやり場のない怒り、と言うように
これらの若者に理解ある人は言っています。

内相のニコラ・サルコジは「チンピラたち」と言う言葉を投げつけました。
そして、このような暴力を徹底的になくすと強硬に言っています。
一時はそれが彼の人気を博し、支持率が上がりましたが、
今回のこの不用意な言葉を使ったこともあって、ますます不穏分子たちが
ことを起こすきっかけとなっています。
大臣たちの中でも、このサルコジの言動を、まずいものと指摘している人が
でてきました。

フランスにおける「バンリュー」の問題は前々から起こっています。
学校によってはほとんどが移民の子ばかりという所もあり、学力も
普通以下、生徒の態度も悪く、先生も行きたがらないようです。

今回、10月27日にクリシーで起こったこの事件を、政府はとても重く見て、
ドゥ・ビルパン首相は予定していたカナダ行きを取り消し、問題解決に
臨むようです。