Romarin フランスの草の根となって

住み始めた時は腹がたち、住み慣れると離れがたいフランスにすみ、45年の年月がたちました。日々のことなど綴ります。

フランスの幼稚園

2005年09月23日 | 生活
フランスの教育システムの中で一番優れていると思うのが、幼稚園教育です。
2歳から入園できます。女性の働く率のとても高いフランスにおいては、
たいてい2歳から子供を幼稚園に入れます。
最初は午前中だけとかですが、一日行かせる人もいます。
8時半~11時半、そして、13時半から16時。
申し込みをしておけば、幼稚園でお昼ご飯を食べられますが、
たいていは11時半に迎えにいって、家でご飯を食べさせている
家庭が多いですね。

わたしたちの場合も、できる限りは11時半に迎えに行って昼ごはんは一緒に食べていました。そうできないときは、個人的に面倒を見てくれる方を頼んで、お昼に迎えに行ってもらい、そのお宅で食べさせてもらいました。

日本語には保母さんとしか訳せないかもしれませんが、直訳すれば、
「食べさせてくれる人、乳母」という人が、いまして、母親が働いている間、
預かってくれるのです。
正式に登録している人は、税金を申請しないといけないので、
言葉は悪いけれど、闇でやっている人もかなりいます。

話が飛びました。
幼稚園は、4年間あり、それぞれのクラスに、先生と子供の身の回りの世話をする保母さんがいます。
教材も多種多様で、子供が本当に楽しく過ごせるよう、いろいろな工夫がなされいます。5歳の最終のクラスになると、読み書きを少し教わります。
それまでは、絵を書いたり、歌を歌ったり、踊ったり、実に先生方が熱心です。教えるというより、あるときは子供と一緒になり、しかし、社会生活ということもほんの少しずつわからせなければいけないので、時には厳しく接しています。

小さい子を教えるのに向いている先生は、わたしの知っている限り、もう何十年も年少組みを受け持っていらっしゃいます。若い先生よりベテランが多いです。

このままこういった教育がされれば、すばらしい子供たちが育つだろうなぁ、と感激していましたが・・・・

小学校からはまったく別の雰囲気になりますのです。はい。


9月の町中

2005年09月22日 | 生活
9月は、こちらでは新学期、新しいシーズンの始まりです。
この月は、学校がかわってなれない道を通ったりするからで
しょうか、子供を学校に送り迎えする親の車で町の道路が混雑します。
教科書や文房具を買い揃えたりするのに、いつもより人の動きが
多くなっています。

のろのろ走る車、迷いながら走る車などで交通渋滞。
もう9月も半ば過ぎたので、そろそろ落ち着いてほしいのですが・・・

湖畔にて

2005年09月15日 | 生活
ここもまたオランダです。
娘の住んでいるすぐ近く。
夏休み前に高級住宅街のこの付近に引っ越してきました。
すぐ近くにこの湖があります。
この湖のほとりにはレストラン、カフェがあり、
天気のよかったこの日は
たくさんの人が外のテーブルに座り、和やかな
午後を楽しんでいました。

オランダ寄稿

2005年09月14日 | 文化
8月末から、一週間ほどオランダにいっておりました。
ロッテルダムからほんの10分ほどの所にある、キンダーダイクに、
たくさんの風車が残っています。
今は使われていないようですが、一つは見本のためか動かして、
中が見学できます。(3ユーロの入場料です)
風車は海抜以下のこの国の水をくみ出すために使っていたようです。
中に大きな歯車があり、魚とかが入ってきたときのために、
網などもしつらえています。

人もこの風車の中で暮らしていたようで、子供用ではないかと
思われるほどの丈の小さいベット、洗面所、台所などがあります。

がーがーという歯車の音の中でも眠れるのかしらと思いますが、
なかなかかわいらしい住居です。

ベルリオーズ その5

2005年09月11日 | 音楽
二部作のオペラ《トロイ人 Les Troyens》(1855-58)は
上演の機会が得られないままに、老ベルリオーズはなおも
オペラ《ベアトリスとベネディクト Béatrice et Bénédict》(1862)を
書き始めます。
ハリエットの死(1854)後再婚した妻マリーの死(1862)は、
先妻との子ルイ(Louis)の死(1867)とともに彼の不健康な身に
さらに孤独感を募らせます。
リストの好意により、オーストリア、ドイツ、ロシアの演奏旅行を
行いますが、これが彼の最後の演奏旅行となりました。
一生を波乱多い戦いのうちに過ごした彼は、以後死を待つばかりのみ
となり、1869年3月8日苦悩に満ちた一生を閉じました。

彼の音楽に関して、久納慶一氏の興味深いコメントがあります。
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 標題音楽という新しいジャンルを作り出したが、彼にとっては交響曲
 とかオペラといったジャンル別はむしろ意味がなく、すべての作品が
 劇的であり、管弦楽的である。… 標題音楽の本質は音楽劇に他なら
 ないのである。音楽を進行さすものは彼にとっては形式ではなく、
 ロマン的な幻想であった。… ベルリオーズの天才はそれをはるかに
 こえ、伝統的な形式や枠を破って、音楽-音楽の持つ感情を作品の
 支配者の地位に置いたのである。
 こうしたベルリオーズの作風を側面から特徴付けるもうひとつのものは
 管弦楽法である。彼がオーケストラに求めたものは、
 微妙なリズムによる音量の幅、表現の幅でもあった。

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フランスはこの偉大な作曲家を彼の生存中には受け入れませんでした。
彼の死後数年たって、ゴティエ(Théophile Gautier)が、
彼とヴィクトル・ユゴー、ドラクロアの三人をロマン派芸術家の象徴と
してあげて以来、彼のフランス音楽における位置は定まりました。

*ここに載せた写真はベルリオーズの生家を道路側からとったものです。

ベルリオーズ その4

2005年09月08日 | 音楽
オランダとドイツに出かけていました。
ちょっと間があいてしまいました。

さて、買い物小僧さんがとても興味深い指摘をしてくださいました。
ベート-ヴェンの音楽とベルリオーズの音楽は100年くらい
隔たっている感じがするが、実はほぼ同年代ということです。

音楽の出発点が違うことがまずひとつでしょうか。
ベートーヴェンはピアノをお父さんに厳しく教えられました。
一方ベルリオーズは、家にあったお父さんのフルートとギターで独学したのみ。

興味の対象も主にオペラや劇ですから、クラシック音楽には
あまり触れてなかったのかもしれません。

ベルリオーズはリストに強い影響を受けたそうです。

ベートーヴェンがピアノ,室内楽にすばらしい作品を書いているのと対照的に、
ベルリオーズはピアノと室内楽曲は書いていません。

あの色彩感は作曲の形式を先に学んだ人にはかけないものかもしれませんね。

もし何かコメントがありましたら是非お願いします。