Romarin フランスの草の根となって

住み始めた時は腹がたち、住み慣れると離れがたいフランスにすみ、45年の年月がたちました。日々のことなど綴ります。

冬時間

2006年10月29日 | 生活
今日の午前三時が午前二時となり、冬時間になります。
夏時間を取り入れてから30年たったそうです。
私がフランスに来たときに夏時間が始まったわけです。

夏時間にする事によって、エネルギーの消費を押さえることが目的で始められました。照明のエネルギーの消費が4%節約されているとか。

でも農業、牧畜にたずさわる人は、反対する人が多いです。たった一時間ですが、動物にとっては相当のストレスとなるらしいですね。
夏に夜10時くらいまで明るいと喜んでいる人が大変多いですが、どうしても体に若干の変調を感じます。冬時間に戻るときの方が楽です。まあ一時間余計に寝られるからかな?

冬時間と言いながら、このところ25度くらいの夏のような天気が続いています。
今日も外で食事が出来るほどの暖かさでした。

夜は娘と、娘の彼氏とお母さんと映画を見に行きました。
アメリカのアル・ゴール(ブッシュが大統領になったときの対候補者)の地球温暖化を憂えるドキュメンタリーです。日本ではなんと言うタイトルで紹介されているのでしょうか?

土曜日の夜はフランス人は映画を見に行く習慣なので、映画館は大変な賑わいです。私は混んでいるのが嫌いなので土曜日に映画に行ったことはないのですが、こういうのもいいものだな、と今日は結構満足しました。

あの暴動騒ぎから一年。

2006年10月27日 | 生活
昨年、パリ郊外のクリシー・スー・ボワで少年二人が警察に追われていると勘違いして高圧電気にあたって死亡した事故をきっかけにフランス中で暴動が起こった事を記憶していらっしゃる方も多いと思います。

一年たった今、またその事件の記憶を思い出すかのように怪しい空気がフランスに漂っているようです。

バスに若者が乗り込んで銃を突きつけ、バスをのっとりその挙句にバスを焼いたり、去年のように車に火を放ったりと言う事件があそこ、ここで起こっています。

気をつけなければいけませんが、こういう事態がまた起こるのはフランスにとって本当に悲しい事です。
ドゥ・ヴィルパン首相はうわべだけの治安保持だけでなく、教育の仕方を根本的に考え直して対処する必要があるとし、その方針で改革を推し進めていますがまだその芽が出ていないようです。

それでも、今日の新聞でほっとする記事が出ていました。

ドゥランシーという、セーヌ・サン・ドゥニ(パリ郊外の町。最も治安が悪いとされている地区のひとつ)のカルチエに住んでいる、サミ、ステーヴ、ガリブ、ザハイール、ジャメルという五人の25歳の若者たちが、アソシエーションを立ち上げました。

彼らはこの麻薬と暴力のはびこる町のことを知り尽くしていて、その中でも、仕事を持てた幸運な若者です。
彼らが、何も行動を起こせない町を憂いて、海に行く旅行、野外での映画鑑賞、などの行事を計画して、少しでも昔のような、人とのつながりを持つ機会を作ろうとしているそうです。
彼らは大げさな事はせず、単にパリのすぐそばに住みながらエッフェル塔すら見た事のない若者に、外の世界を見るチャンスを作ろうとしているのです。
市もその行動に賛意を示し、積極的にバックアップをしているとか。

気持ちのゆとりを持てる場を作ることは重要。でもなかなかことはうまく運ばないのが現状です。
地域の機微を知り尽くしている彼らの活動に心から応援したい気持ちです。

身分証明書を持たない国

2006年10月25日 | 生活
フランスに住み慣れて、日本に帰ったときに戸惑う事のひとつに、身分証明書を持って歩く必要がない事です。
ハンドバックがやけに軽い・・・紙一枚の身分証明書が別段重いわけではないのですが、日本に帰るとこう感じるのはおかしいと自分でも思います。

こちらでは必ず身分証明書を持っていなければなりません。18歳以上のすべてのフランス人は身分証明書を発行してもらい保持しています。

外国人は、パスポートか滞在許可証を持つ事が義務です。警察に尋問されたときにはそれを提示しなければいけません。

もって歩く事は面倒くさく、何でこんなことしなくてはいけないの?などと最初のころは思っていましたが、結局は身分証明書があったほうがいろいろな面で便利だと言うことがわかってきました。

役所などに行って書類を求めたいときには身分証明書を出せば、すぐに自分が誰かがわかるので説明する事はありませんし、小切手を切って買い物をするときも身分証明書を提示する事によって、受け取る側は小切手を切った人が誰かと言う事がわかるので、保障されるわけです。

日本でつくづく身分証明書がなくてまずいな、と感じたのは父が死んだときに、銀行の手続き、厚生年金の手続きなどに、母の保険証を身分証明書代わりにした事です。
保険証ってそんなに強固なものなのでしょうか?大事なお金がらみのことに、保険証一枚でことがなされる事に、日本の平和な一面を感じます。
でも大丈夫なのでしょうか?

平和な日本は素晴らしいです。これがなくなる事は本当に残念なのですが、こういう面を残しつつ、もう少し肝心な所できちんとしめていかないといけないかな、と思います。

今日はダウンしてしまった

2006年10月19日 | 生活
10日ぶっ続けで朝7時おき、8時に家を出て仕事場に行く日が続きました。
それも毎朝4時くらいに目が覚めてしまってそのあと眠れなくなると言う厳しい状態。

今日はオーケストラは朝だけの練習でした。いつもですと水曜日は夜も練習がありますが、きょうはなし。

朝の練習が終わって、お昼ご飯は残り物で済ませ、大学に出かける娘を、バス停まで送り、たまっていた買い物をしにスーパーマーケットに行きました。

その巨大スーパーマーケットで楽譜のコピーをしようとしたら、大きめの楽譜はコピーできませんでした。急ぎの大事なものなので、疲れた体に鞭打って再び仕事場に。無事コピーを終え家に帰ったら3時。

もうパジャマに着替えちゃってお昼寝してしまいました。
4時に目が覚め、体はぐったり状態。誰も家にいないのをいいことに静寂の中ぼーっとして気だるさをちょっと楽しんだりしました。

さてこれからまたバス停まで娘を迎えに行かなくては。
田舎に住んでいるために、この町まで来る直通のバスの本数が圧倒的に少なくて家から車で10分のところにある、市で経営しているバスのバス停に行き来する羽目になります。

早く娘が免許を取ってくれるといいのですが。今のところとる気はないみたいです。

コンクール

2006年10月17日 | 音楽
本当は今日はお休みの日なのですが、オーケストラのヴァイオリンのコンクールの審査員に選ばれたので、休み返上。

朝から午後5時までコンクールがありました。普通は下手をしたら夜12時くらいまでかかるのですが、今度の新しい音楽監督になってからコンクールの進行は極早いのです。

このコンクールは私の所属するオーケストラの第二バイオリンの席のためのものです。

ひとつの席に60人の応募者がありましたが、課題曲の変更とか、オーケストラのパッセージの課題曲がふつうよく出るものと違ったために、キャンセルがあり、30人の候補者に絞られました。

皆とてもよく弾いて、ある程度聞いてくると、誰がどう弾いたかわからなくなるので、一人ずつ克明にメモをしておきました。

第一次予選はモーツァルトの4番か5番のヴァイオリンコンチェルトと、オーケストラパートの課題曲のひとつ。今回は「火の鳥」の中のパッセージ。
モーツァルトがうまくてもオーケストラのパートが下手な人、その反対もあります。
一次予選で30人の中から6人に絞られました。
二次予選はロマンティックなヴァイオリン協奏曲から一曲。今回はメンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキー、サンサーンスの中から一曲。
そしてオーケストラのパートの曲が一曲。

三次予選には3人残りました。三次予選ではオーケストラの曲のみ。5曲のオーケストラパッセージを弾き、音楽監督がいろいろと弾き方の注文をします。
最後にその場での初見。

そして審査員の間でのディスカッションがあり、ルーマニア人の男性が合格しました。

皆が納得した結果になり、めでたしめでたし。

室内楽の演奏会を終えて・・・

2006年10月16日 | 音楽
今日、10月15日(日)、私の所属するオーケストラの室内楽コンサートのシーズン第一回目のコンサートで、バルギエルとメンデルスゾーンの八重奏をひきました。

なかなかハードなプログラムだった上、オーケストラの練習とコンサート、しかも地方でのコンサートもあって、その合間を縫って練習したりで体の調子をよく保つように考えねばならぬ週でした。

コンサートはとてもうまくいき、音楽をやっていてよかったとの思いを新たにしています。

このコンサートはオーケストラの仲間と組んで行いました。八重奏はなかなか大変で、全部のパートを聞き取るのも難しいし、練習の仕方も難しかったですが、幸い、第一ヴァイオリンが非常にうまくリードして練習をしてくれました。時にぶつかる事はありましたが荒立つ事もなく、連帯感も出来、コンサートはとてもうまくいきました。来てくれた人々はとても喜んでくれ、元気が出た、生き生きとした気持ちになったとの言葉を聴くとああ、演奏してよかった!と喜びを感じます。

終わったあと、レセプションがあり、白ワイン、赤ワイン。サーモン、フォワグラ、鴨の燻製のカナッペ。小さないろいろな種類のお菓子が出て、仲間、来てくれた人たちといろいろ話し、楽しいひと時を過ごしました。

日曜日の11時からのコンサートでした。家に帰って食事をし、軽く昼寝をして、散歩に出かけました。
大役を果たし、気分も快適、天気も快適、いくらでも歩きたくなった午後でした。

季節の変わり目を感じた今日

2006年10月09日 | 生活
今日、日曜日にいつものように朝市に出かけました。
ついこの前までは桃、アプリコットなどの夏の果物が出ていたのに、ぶどう、そして、今日はみかんが出始めていました。みかんが出てくると、ああ、冬に近づいた、と実感してしまいます。

また、きのこ類もたくさん出ていて、買いたかったけれど、とっても高く、涙を飲んで我慢。

そして、今日は素晴らしい秋晴れでしたので、散歩に出かけました。お気に入りの45分コースです。

3時過ぎにでたら散歩の人がたくさん。「こんにちは」と挨拶しながらいい景色を眺めながら歩き、家族連れの子供がはしゃいでいるのを面白く眺めたりして、いい気分転換になりました。

ビエンナル ドゥ ラ ダンス

2006年10月01日 | 生活
わが町の二年毎のイベントに「ビエンナル・ドゥ・ラ・ダンス」があります。
1984年にダンス協会会長のギー・ダルメ氏が発案したもので、ダンスをよりよく理解してもらおうとこのフェスティヴァルを立ち上げました。

9月13日に始まり、今日9月30日が最後でした。
開催中は町のあちこちでダンスの催し物があります。

その最後に、わがオーケストラとマリー・シュイナールのダンスグループとで、ドビュシーの「牧神の午後」とストラヴィンスキー作曲「春の祭典」を演奏しました。

舞台の前でダンス。オーケストラが後ろで弾く形です。
マリーの振り付けは体の上半身をしなやかに動かしながら体全体がくねるように踊ります。

演奏中は踊っているところはあまり見る事が出来ませんが、とにかくダンサーの迫力に圧倒されました。

ドビュッシー作曲「牧神の午後」では女性一人のダンスですが、ものすごい声を発しながら踊りに没頭していました。

「春の祭典」は男女とも上半身裸です。背中の動きとか、腕の動き、首など、人間のできる限りの可能な動きを使っての踊り。
近くにいますので、ダンサーの息遣い、表情などが見え、いかに踊りに没頭しているかが見えました。

ダンスってなんて素晴らしいのだろうとまた認識を新たにした次第です。