Romarin フランスの草の根となって

住み始めた時は腹がたち、住み慣れると離れがたいフランスにすみ、45年の年月がたちました。日々のことなど綴ります。

日本への演奏旅行が間近です。

2007年10月15日 | 音楽
もう半月で、日本の演奏旅行に出かけます。
秋に日本に行くのはフランスに来てから始めて。
団員に、「今はどんな気候?」とよく聞かれますので、
「こことほとんど同じよ」と答えています。

日本に行くには福島が一番北の町で、後は大阪、名古屋、
高松、大分!
多分そんなに寒くない気はしますが・・・

スケジュールは結構過酷で、楽しむ暇があるかどうか。
まず、大阪に着くのですが、ついた日の翌日はお休みなので、
京都に行ってみようかなとも思っています。
紅葉がきれいでしょうね。

日本公演が近づいてきて、団員も気持ちが高揚してきて、
雰囲気がよくなっています。
シンフォニックのオーケストラは、演奏旅行をするということが
とても大事だと言う事がよくわかります。

「日本に行くのだから服装はよくしていかないとね」と、口うるさい
女性団員が言っています。

フランス人は普段の服装は結構ちゃらんぽらんで、日本人が見たら、
「これがプロの音楽家?」と疑うような服装をしています。

もう30年間前になりますが、はじめてこのオーケストラが日本に行った
とき、もう一人の日本人団員のお母様が演奏会にいらして、本番前の
普段着の団員たちのあまりのみすぼらしい格好に絶句したそうです。
そのことを覚えていた人が、ことさら格好にかまわない若い団員に
注意を促していました。

日本人はとても服装がきちっとしていますものね。

さてそろそろ何を持っていくか考えないと。

サレーズでの演奏会

2007年09月17日 | 音楽
9月15日(土)と16日(日)は「フランスの国宝の日」あるいは
「フランス文化財産の日」とでも訳すのでしょうか、
「Les journées européennes du patrimoine」でした。

普段入れないような市庁舎、国会、オペラ座などなどが
開放されて、自由に見学ができる日なのです。

その一環として、サレーズという小さな村でコンサートを
しました。
その村にある、いわゆる朽ちていたチャペルを復興して
その復興祝いとしての最初のコンサートでした。

10世紀に建てられたそのチャペルは小さいながら、
天井に素敵な絵が描かれてあります。、
照明器具などはモダンなものを使っていて、
とても古い部分と新しい物とがうまくマッチして珍しく、
素敵なところでした。

私たちの前にその村の音楽学校の発表会があったらしく、
ヴァイオリンのケースを持った子供がちらほら見かけ
られました。
私たちの音楽会にも来てくれていました。

曲目はシューベルトの弦楽トリオ2曲と、主人作曲の
クラリネット五重奏「ある風景の記憶」
モーツァルト作曲クラリネット五重奏曲でした。

主人の曲は日本で初演され、今回の演奏会がフランス初演です。
大変好評でした。

自由に表現で気乗りに乗った演奏会となりました。

パヴァロッティ

2007年09月08日 | 音楽
昨日テノール歌手のルチアノ・パヴァロッティががんで亡くなった。
享年71歳。

昨日は朝から、そのニュース一色といってもいいほどだった。
クラシックファン以外でもパヴァロッティの名は知られて
いるためか。

今朝はフランスミュージックと言うクラシック音楽専門の
ラジオでパヴァロッティのマネージャーと言う人が出て
インタヴューに答えていた。

オペラやコンサートのために出かけると、ホテルに入ったきり
籠もってしまうとか。

友人たちを呼び寄せるために、35人分の飛行機の席を買ったり、
ホテルを取ってあげたり、など。おおらかで優しい心の持ち主
だったそうだ。

いま、France3と言うテレビ局で、パヴァロッティをしのんで、
パヴァロッティ、ドミンゴ、カレラス、三大テノールのコンサートの
録画を流している。
ズビン・メータ指揮。いつのコンサートか途中から見ているので
わからないが、素晴らしい。
なんとなく、マスコミに乗ってのコンサートのような気がして、
それほど関心がなかったが、テノールのいいところをたっぷりと
聞かせてもらえるし、3人が3人とも誰がうまいとか、などということが
なく、それぞれの良さを存分に発揮している。

一度聞いてみるべきだったと後悔している。

La Cote St Andre でのコンサート

2007年09月01日 | 音楽
ラ・コート・サンタンドレはベルリオーズの生まれた町である。
ここでは毎年8月末にフェスティヴァル・ベルリオーズを開催している。

小さな町だが、このフェスティヴァルに非常に力を注いでいる。
数々のオーケストラを迎えるが、控え室には果物、お菓子、コーヒー、
紅茶、水などがふんだんに用意されていて、なくなるといつの間にか
補充されている。
そのようなことをする人たちは、ボランティアである。

ここの聴衆は大変に音楽好きであり、拍手も非常に暖かいのが演奏者にとって
うれしい。みなニコニコとして拍手をしてくれる。

昨日はここでの演奏会。
指揮はミシェル・プラソン。元キャピタル・ドゥ・トゥールーズの
音楽監督であった人だ。今はあちこちで振って活躍している。

フランスものが大変にすばらしい。

昨日のコンサートの前に、一時間の舞台練習が予定されていた。
プラソンはこのときにベルリオーズの「幻想交響曲」を練習したかった。
ところが、練習時間の18時半に、「ムシュー・プラソンは大分遅れて
きますので15分練習時間が延びます」とのこと。

プラソン氏と、コンチェルトを演奏する、ヴァイオリニストを
車でつれてくることになっていたが、運転手が「ラ・コート・サンタンドレ」
と、「サンタンドレ・ラ・コート」という町と間違えて連れて行ったそうだ。

プラソンはえらくお怒りで、猛獣のように指揮をなさった。

        [写真はベルリオーズの生家]


ロストロポーヴィッチ逝く

2007年04月29日 | 音楽
3月27日に80歳の誕生日を迎えたロシアのチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチが誕生日の一ヵ月後の4月27日に死去されました。

私がまだ学生のころにロストロポーヴィッチは大チェリストとして、華々しい活躍をしていました。

プロコフィエフ、ショスタコーヴィッチなどのロシアの作曲家と親しく交流しており、有名な彼らのチェロ協奏曲はロストロポーヴィッチに捧げられています。
ロシアの作曲家ばかりでなく、フランスのドゥティーユも「Tout un monde lointain」を彼のために作曲。そのほかにも星の数ほどの作曲家が彼のために書いています。

ロストロポーヴィッチが亡くなってから、フランスミュージックと言う、フランスのクラシック専門のラジオで彼のチェロの演奏、指揮したコンサート、などを流し続けています。間に彼の弟子だったフレデリック・ロデオンの話なども織り込んだのを聞きました。
プッチーニのオペラ「トスカ」を振ったのを流していました。奥様のヴィシネフスカヤがトスカ役。

1989年のベルリンの壁が壊された時は壁の前でバッハを弾きましたね。

偉大な音楽家がまた一人去ってしまいました。合掌。

先週のコンサート

2007年01月28日 | 音楽
フランスのシーズン初めは10月。
われわれのオーケストラも10月にオープニングコンサート。
それから毎週プログラムが変わり、しかもかなり大変な曲を毎週毎週弾くので頭の切り替えもしなくてはならない。今年はその合間に、室内楽の演奏会もかなりあります。

さて先週はダルバヴィという作曲家のConcertate il suono、ドビュッシーのJeux,ブラームスピアノ協奏曲第一番。

ダルバヴィの曲は弦楽四重奏と管楽器の小さい編成のオーケストラが4つと、普通のオーケストラという大編成の曲です。

私は小さい編成のオーケストラのひとつを受け持ち、客席の中で弾きました。

かなり難しい曲で、私のオーケストラは、もう一人の指揮者が振ることになっていました。女性指揮者でかなり現代音楽に精通している人らしいですが、練習が始まったとたんに「これは書いてあるテンポではない」とごね始め、振りながら文句ばかり。こちらはしょっ中テンポとリズムの変わる楽譜に集中しなくてはいけないし、文句を言いながら、途中でどこかわからなくなる指揮者に、「1,2,3」と拍を言ってあげ、何小節かを大声で、こちらが言ったり。
しかも、ゲネプロ(最後の総練習)の時には振りに来なかったので、カメラを見て弾くほうがよっぽどいい、といって、本番は3台のカメラを置いて、弾きました。

この女性指揮者は、多分、この音楽をよく知っていて、ほとんどテンポの代わりを変えなかった総指揮者にたいそう不満だったと思うのですが、言葉の使い方、自分はその指揮者に合わせる役ということを認識せず、大柄な態度をとったことは大変まずかったですね。

このコンサートは私としても不満の残るものでした。

Betsy Jolas と Rorand de Lassus

2006年12月14日 | 音楽
先週はオーケストラの仕事の他に、オーケストラ主催の室内楽コンサートが、パリとリヨンでありました。

1532年生まれとされているLassusのコーラスと、Lassusに傾倒している現代フランス作曲家で今年80歳になるJolasの作品を織り交ぜた演奏会でした。

声楽に常に惹かれ、楽器を使った音楽と常に平行して音楽を書いてきたJolas。
「声は叫び、さざめき、苦しみ、喜びであり、われわれ人間の歴史そのものです。」(Jolas)

さてプログラムは

Jolas:La nuit m'est courte (4部のコーラス)
Lassus:Cantiones sine textu (ヴァイオリンとクラリネットのデュオ)
Jolas:Arbres et le reste à l'avenant(6部のコーラス)
    Autres enfantillages, ou l'art d'être grand-mère(女性コーラス3人と    クラリネットソロ)
    クラリネット四重奏
    Für célia affettuso (6部のコーラス)
Lassus:Prophéties des sibylles (コーラスと弦楽四重奏)
Jolas:Chantdormant-Dormantchant(6部のコーラス)
Lassus:Ô deux parler(コーラスと弦楽四重奏)
Jolas:弦楽四重奏
Lassus:O la, O che bon eccho

Jolasのクラリネット四重奏と、弦楽四重奏は一品でした。クラリネット四重奏は静寂を感じさせ、しっとりとした中にピッと光を放つ・・・・という感じ。
弦楽四重奏曲は5楽章からなりますが、全部でわずか3分。しかし、音楽のエッセンスとも言える曲。テクニック的にも難しくないのですが、集中して自分の内部をシーンとさせて演奏する。3分の間にすべてを出し切る、そんな曲です。

大衆受けするプログラムではありませんが、来てくれた人はとっても感動していました。



今週の演奏会

2006年11月25日 | 音楽
このところ忙しすぎる日が続いています。
毎日朝から夜まで仕事です。

昨日は朝ゲネプロ、夜本番。
一週間ごとにプログラムの変わる演奏会をしているのですが、第一回目の本番の朝にゲネプロがあります。
これがとっても疲れるのです。
朝、少し力を抜いて弾いたほうがいいのだけれど、いい指揮者だとついエネルギーを発散させてしまって。

やっぱり夜は疲れが出たのか集中力が衰えます。昨日は後半はうまく行きました。

ちなみに今週のプログラムは、オールロシアもの。

ボロディン:イゴール候から抜粋
ショスタコーヴッチ:チェロ協奏曲第一番
ラフマニノフ:ダンスシンフォニー

ラフマニノフのこの曲は何度やっても難しい!

鼻をかむ音

2006年11月05日 | 音楽
今週はオーボイストで有名なハインツ・ホリガーの指揮とソロの演奏会でした。
プログラムは

ハイドン:シンフォニー98番
マルティヌ:オーボエコンチェルト
ドビュッシー:おもちゃ箱

私がまだ若い頃からハインツ・ホリガーはオーボイストとしての名声をほしいままにしていますが、いまだに衰えを知りません。
音質は独特のものでフランスにいると、とても特殊な音に聞こえますが、音量のすごさは目を見張るものがあります。
オーケストラがフォルテで弾いていても負けません。

ホリガーは音楽に生き、音楽のことしか考えない人のようですね。
話題が音楽以外のことになると何も話さなくなるとか。

まぁ、前置きが長くなってしまいました。本題に入ります。

演奏会の時ってお客さんの中には風邪をひいている方がいらっしゃいますが、今回の演奏会のときも。
せきをする人は意外に少なかったですが、オーケストラが静かにゲネラル・パウゼになったときに「ぶーん!!!!!」

これは鼻をかむ音なんです。もう慣れてしまったけれど、フランスに来たころには驚きました。演奏会のさなかに鼻をこんな音をしてかむのは本当に非常識!
でもよくあること。

日本人はフランス人のこの鼻かむ音を非難する(私も演奏会の場合は)代わりに、フランス人は日本人が鼻をかまずに鼻をすする音が耐えられないといっているのを聞いた事があります。
気をつけてみると、確かに鼻をかみたいけれどかむのが恥ずかしいかなんかで、我慢できなくなる前段階で鼻を静かに「しゅっしゅっ」としている人を見かけます。気になる時は「ぶーん!」以上に気になることがあります。
これもなれの問題でしょうか。
私としては、かみたいときにしっかりと鼻をかむ。ただし「ぶーん」なんて音をさせずにかむのがベターだと思いまーす。

コンクール

2006年10月17日 | 音楽
本当は今日はお休みの日なのですが、オーケストラのヴァイオリンのコンクールの審査員に選ばれたので、休み返上。

朝から午後5時までコンクールがありました。普通は下手をしたら夜12時くらいまでかかるのですが、今度の新しい音楽監督になってからコンクールの進行は極早いのです。

このコンクールは私の所属するオーケストラの第二バイオリンの席のためのものです。

ひとつの席に60人の応募者がありましたが、課題曲の変更とか、オーケストラのパッセージの課題曲がふつうよく出るものと違ったために、キャンセルがあり、30人の候補者に絞られました。

皆とてもよく弾いて、ある程度聞いてくると、誰がどう弾いたかわからなくなるので、一人ずつ克明にメモをしておきました。

第一次予選はモーツァルトの4番か5番のヴァイオリンコンチェルトと、オーケストラパートの課題曲のひとつ。今回は「火の鳥」の中のパッセージ。
モーツァルトがうまくてもオーケストラのパートが下手な人、その反対もあります。
一次予選で30人の中から6人に絞られました。
二次予選はロマンティックなヴァイオリン協奏曲から一曲。今回はメンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキー、サンサーンスの中から一曲。
そしてオーケストラのパートの曲が一曲。

三次予選には3人残りました。三次予選ではオーケストラの曲のみ。5曲のオーケストラパッセージを弾き、音楽監督がいろいろと弾き方の注文をします。
最後にその場での初見。

そして審査員の間でのディスカッションがあり、ルーマニア人の男性が合格しました。

皆が納得した結果になり、めでたしめでたし。