昨年は、旅が少なく、6月の宮崎から無かったが、年末も押し迫った28日の最終便で横浜に出た。26日の夜11時過ぎた頃、ノワタリさんと電話で話していて「あなたも来ないといけないんですって」と急に声が変り言われた。叔母の家の地鎮祭を29日の朝執り行う予定だったが、ノワタリさんだけの予定であった。
しかし、仕事もあり急に言われても…でも行かなくてはいけないのだろうと思ったが1日返事を延ばした。28日最終の上りのはあったが、帰省客で込む為
も幾つかの深夜バスも無い。下りは120%乗車率とか130%ととか言われているのぞみと特急列車を乗り継ぐ事を覚悟した。ノワタリさんに伝えると、「神ごとだから、なんとか座れるでしょう」と言われた。
翌27日と28日は悪天候で動けなかった分の仕事を大急ぎでして、JRのチケットも構えた。両親もノワタリさんがそうおっしゃるのならと反対はしなかった。以前とは大違いだ。
4時半頃から空港に向かったが、高速は雪で通行止め、夕方でもあり一般道は込み合い空港に着いたのは30分以上遅れ、7時近くになっていた。数人の乗客がいたがいずれも8時前後の便だったので差し障りはなかった。
しかし、も出発も遅れ、到着も房総半島沖で旋回して時間待ちしたので大幅に遅れ、おばの家に着いたのは午後11時過ぎであった。しかし、上空からの夜景もバスからの夜景も夕方6時を過ぎると商店も閉め出し真っ暗な田舎に住んでいる私には驚くほど光の洪水で明るく綺麗だったが、どれほど必要で灯りが点いているのかと気になった。
帰りのが取れないと従兄弟のハルちゃんに言うと「12時過ぎたら、流れたのがあるかもよ」と言われたが、「たぶんこの年末だろうから駄目でしょう」と言って調べる気も起こらなかった。あれこれとおしゃべりしたりして床に着いたのも遅く、夜遅く
を飲んだのもあり、ほとんど寝る事は出来なかった。
ノワタリさんは朝6時に家をでると言うので私達も早く準備をした。ハルちゃんが「ネコちゃん、1つだけ空席があるよ」と声を掛けてきた。最終のプレミアムクラスが1つ空いていた。jrならば、午後4時過ぎにはでないといけないのでずっとの最終ならば時間のゆとりもあるので大急ぎで席を決め購入した。後から来たノワタリさんに伝えると「やっぱりね。すごいわね」と喜んでくれた。
朝日が昇った7時過ぎ、敷地の角々に御幣を付けた榊を立て、真ん中にお供えと榊を置いて神事を行われ、私は地鎮祭の仕方を教えていただいた。丁度土地は東向きで良い向きであった。この日は仏滅で従兄弟はそれを気にしていたが、二十八宿でみると軫という日で神事には適しているとの事だった。
地鎮祭を終え、新しい営業車も清め、鳥居を奉納したという鎌倉の佐助稲荷に出かけた。
源頼朝が平家討伐の祈願をしたと書いてあったのでとても古く由緒あるお稲荷さんらしい。年末なので参拝者も少なく、お稲荷さんにお礼を言ってみんなでお清めハルちゃんの新しく奉納した鳥居も清めた。しかし、立てたばかりでまだ、名札は無かった。石段の途中にあるお稲荷さんの顔がとてもきつく「怖いお顔」と、言うと「睨みを効かしてるそうよ」と言われた。
帰りは昼近くなり、中はとても温かく冷房を入れるほどであったが、みんなとても良い天気に恵まれた事を感謝した。
その後おじさんが学生の頃に家にいた名前も分からないスピッツの供養をしてすべて終わった。半日余りの事だったが、朝早くからずっとしていたので時間の感覚がずれている。
昼食に奇珍という中華料理店へ連れて行ってもらった。午後2時近くでもほぼ満席で中途半端な時間でありながら、次々と客足が途絶えない。よほど美味しいか、お手頃なのだろうかと思ったら、叔母の勧めで、揚げワンタン、酢豚、シュウマイの他五目麺を頂いた。麺は細く量も多く、あっさりしていた。他の料理も黒酢の甘ずっぱい味が残る。見回すと麺類を食べている人が多かった。期待どうり美味しかったです。田舎では味わえません。
夕方、ノワタリさんに空港まで送ってもらった。バスの車窓からは前夜と同じく光の洪水が目に入る。しばらくお会いしていなかったので、一緒にお茶と言っていたがとても人が多く、出発ロビーのみやげ物店などロープを張って入場者が順番待ちになっているほどだった。ロビーの椅子に座り取り留めも無く話したが、この数年知り合った人の中に霊的力に憧れ、方向性が違っていった人もあり「一つ一つ、自分で階段を登っていくしかないのよね。」と戒めるように言われた。
目の前を大きな荷物を持ち帰省する多くの客を見ながら「こんな光景っていつまであるのかしら」と呟くと、「がらり変るそうですよ」とノワタリさんはメッセージを受け取られ、言われた。あ~!やっぱりね。と覚悟していたものの、背筋が寒くなった。ただ、ノワタリさんは「世の中が新たに成る時に出会うことが出来るからいいじゃない」とも言われた。
の窓からは宝石箱をひっくり返したような光の中に東京タワーが小さく見えた。 ずっと昔、中学生の頃
で1度だけ見た「魚が出てきた日」と言う映画を思い出した。ギリシャの小さな島に墜落した戦闘機の中にあった金庫に入れてある卵型の金属、水爆らしいが、それを羊飼いが盗み、金目の物でないのでがっかりして貯水池に投げ込んだ。その後、腰を振り踊り狂う人達、水道水がジャージャーと蛇口から出続ける映像、
を沢山運ぶウエイターの姿を見せ、島の沖がキラキラ光り、月に照らされさた海に光っているのは多くの死んで浮いている魚の姿だった。キャンディスバーゲンしか出演者は覚えていない、とても恐ろしく映画の前半は余り覚えていない。
今私達の置かれている状況はこの島にいる人間達のような気がした。