やっと2007年の旅を書くことになった。この年も忙しく、私は2回参加しなかったが、ノワタリさんは9回あちこちと周られた。
毎回思うのだが、旅の資料を手元に残していないので記憶がおぼろげであいまいになっており、今回も不必要な事ばかり記憶に残っている。しかし、旅をする事が少なくなった今、なんと良い場所に行かせて頂いたのだろうと改めて思う。
今回の写真はすべてノワタリさんが撮影された物である。
2月24日、25日の土日に奈良の神社と古墳を駆け足で周った。話が来た時、奈良県という事で調べると予測はしていたが余りにも神社が多く、絞りに絞って橿原、飛鳥、山之辺の道に限られた。
まず最初に、下賀茂神社にご挨拶してから出発した。その日は寒く、雪がちらついていたが 紅梅がとても綺麗だった。
いつものごとくヴィッツを借り、ノワタリさん、林さんとウチダサンの運転で出発したが、ナビが案内するルートはとても大回りで、指示されたとおりに走るとぐるっと大阪を周り、生駒を越え、橿原に案内された。途中、ウチダさんが「此処で降りないと、いけないんじゃない?」と言っているのも間に合わず、走っているうちに万博公園が見えてきたが、仕方なくそのまま走り続けた。
天岩戸神社
天香山神社
国常立命神社と高おかみ神社
橿原神宮にお参りした後、天岩戸神社、天香神社と天香山頂にある国常立命神社と高おかみ神社に行き、お清めしてお参りした。麓の神社はとてもひっそりと佇んでいた。農家や畑のある山道にとことことで探しながら何処にあるのだろうかと一瞬思ったが、山の根にあり、その社の後ろにイワクラがあった。私達の他には誰もいない。ノワタリさんの歌声が響いた。
国常立命神社と高おかみ神社に着いた時はウォーキングの人たちがいて居なくなるのを待ち、手分けして清め、お参りした。高おかみ社とは龍神様を祭る神社だったのでたっぷりと水を撒いた。もう時間が大分経っているのでおぼろげだが、山道を登り、万葉の森という幾分緩やかになった林の中を抜け、又最後に少し急な山道を上がったように記憶している。
その後、飛鳥に行く前に一つの神社に行った。其処は農家の集落の裏山にあったが、とても道が狭く、やっと着いたものの方向変換して出て行くことが出来なかった。こっそりと農家の庭先で回らせて頂き、どうにかでる事ができた。小さな神社で其処もやお社の裏にイワクラがあり、せっせとお水、塩、御神酒を下から投げ込んだ。大きな道路に出た時、気付いたが「通りぬけ出来ません」と書いてあった。ウチダさんだから、何事もなく出ることが出来たと思う。ただ、此処は今回いくら調べても不明である。
その後、飛鳥に行き、飛鳥坐神社と治田神社に行った。此処は今までと違い、古墳巡りの若い人が多かった。
治田神社
飛鳥坐神社の八坂社、金比羅社
治田神社は観光バスが数台と泊まっていて「おや、珍しい」と思ったら、西国三十三カ所の札所でぼけ防止のご利益のある岡寺への参拝客であり、神社の方には私達のみであった。その後の飛鳥坐神社にしても史跡めぐりの人ばかりで、他には境内にはおらずどちらもお清めをするには都合が良かったが、神社にお参りする人が居ないのも考えものである。
今回、多くの神社を駆け足で周った為、24日に行ったのかその翌日に行ったのかはっきり分からないところもあるが、その後高松塚古墳に行った。しかし、残念ながら、古墳の内部は修復中で見る事は出来ず、壁画館で模写と説明を見るだけだった。風水で耳にした事のある四神の青龍、朱雀、白虎、玄武見つかった時に良く報道された婦人達の壁画が復元されていた。天井に星座のようなものが書いてあったがそれは暦にある二十八宿だという。但し、漢字の読み方は異なっていた。
壁画館を出て、どんよりと重い冬空の下一人出口までゆっくりと歩いた。余りにも日常と違う中にいるので自分は何者だろう?どんな過去世が在ったのだろう?この古墳時代はどんなのだったろうかとふと普段思いもしなかった事を思った。
崇神天皇陵
崇神天皇陵に着いた頃にはもう夕暮れ近く、石段を昇り柵の前まで行ってご挨拶をした。他にも近くに天皇の御陵はあるが、玉置神社をはじめこの天皇が開かれた神社が多いのはなぜだろう?神社って神様を祀ってある所と思っていたけどこの時代どういう意味や役目があったのだろうと思う。ただ、良く目にした御名前の天皇なので親しみも湧く。石段を上がって見回すが、静寂のみだあった。
伊射奈岐神社
道路向かいにある伊射奈岐神社にお参りした。もう暮れかかっていて近くの子供達が遊んでいたがお年寄りと一緒に帰って行った。立派な神社で暗くなりかけた中に梅の花が浮かびでて綺麗だった。ここでその日は終了。
宿であるならプラザホテルに走った。の在る所を探して決めた。スーパー銭湯とホテルが一緒になったような大きなホテルだった。部屋も広く、和室とベッドルームにはベッドが5つも並んでいた。しかし、みんな昼の疲れが出てすぐ休んでしまった。