地方はどこも同じようなものだと思うが、私の住んでいる町も高齢化が甚だしい。戦前の産めよ増やせよの世代と戦後のベビーブウーマーが人口の多くを占めている。
高度成長時代の国策で働き手はほとんど都会へ出て行ってしまい。高齢化した親は昔と違って独居老人となっている人がほとんどである。昔であれば、家族に囲まれ楽隠居で過ごせた人が多いのではないかと思う。
100メートル位先に住んでいたKさんはご主人に先立たれ おひとりでひっそり暮らされていたおとなしいかご夫人だった。町内も違い親しくはないが会釈して通り過ぎるくらいのであったが、痴呆になり雰囲気も変わり、大きな声で皆さんに話しかけながらうちの前を毎日歩かれていた。
ある時、母を病院に連れて行った帰り道 近くのスーパーで買い物をされている彼女に出会った。 買った総菜をレジ前のカウンターで広げビニール袋に手づかみで入れていたのでレジのお姉さんに他でしてくださいと注意されていた。どうせ帰り道だからと車に誘った事から、私は彼女の親しい人の一人になったらしい。
それからはうちの前通るたび、名前を呼ばれ顔を出すまでつづき、荷物を自宅まで届けたりしていた。彼女の家付近は空き家が多く構ってくれる人は少なかった。
ヤクルトさんは声をかけられると家の中まで行き時々お世話をされていたが、炊飯器の古いごはんの上に新しく買ったごはんを入れたりしているので 古いのを食べておなかを壊さないかしら?と心配されていた。
時折 帰省した息子さんと二人で歩いて出会ったら、嬉しそうに息子さんの紹介をしていただいていた。
ココナが流行り 息子さんも以前のように帰ってくる事も泣くなり、彼女の痴呆は進んだみたいであった。 うちの隣の民生委員さんにあの町内の民生委員さんの事尋ねたが、家族でもなく町内でもなかったのでうやむやになってしまった。 痴呆であれば 施設に入ることもできたと思うが
毎日 行くところもなく寂しかったのだと思うが、近くのコンビニとスーパーへ1日十回以上も買い物に行き元気に歩いていたが、朝早く自宅前で倒れているところを通りがかりの人の通報で 救急車で運ばれた事を聞いた。食事も偏りがあり 骨粗鬆症から腰を骨折して歩けなくなり 入院されたが、栄養状態もよくなく 数か月後亡くなられて 息子さんから報告があった。
なんとも悲しい...。
まだ うちの町内は人とのお付き合いがあり 私が救急車で運ばれたときは隣人が付いて行って下さり、ありがたいことに数日間近所に差し入れをしていただき母を気遣って頂いた。
遠くの親類よりも近くの他人、本当によくしてもらい感謝しているが その町内も半分近く人が移り変わりつつある。