先日お焚き上げの事を書いた事で、」ノワタリさんから、「青白い火や持ち手の動きは蛇の執念よ。そうやって無念さを知らせたのね。」と言われた。
お盆前に供養が出来てよかったと思う。その事を伝えると、「けりがついた。」という言葉を上から頂いた。何が解決したのだろう?まだよく分からない。
あれから、ノワタリさんの言われる通り母の使わなくなった財布を譲り受けセイジの葉で浄め使うことにした。秋になってから次のものを買うことにした。しかし、ネットで見ているうちに今度はクロコに目が行ってしまった。これもダメであるからお預けとなった。
ノワタリさんはノワタリさんで親しい人がクロコのベルトを買ったと言って見せられたが、1日に3匹の蛇を見せられた後、今度はワニかい?と思ったと言われた。惨い姿の蛇の姿は彼女しか見ていない。
浅間山神社で「忙しくなる」との言葉を頂いてたが、7月から彼女はあちこちの水子供養を頼まれて忙しくされている。これが神社で頂いた言葉の忙しいとは違うと二人とも思っているが。
ただ、普通見えないのでそのままにしておく事が多く、良いほうで祈祷師やお寺さんに任せそれで済んでいると思っている人が多い。しかし、21日間しっかり向き合って自分で供養をしなければならない。この数年以前とは違った意味で、いろんな形で霊魂の存在を知らされる事が多い。100年立とうが、2000年立とうが人の思いは残っている。
あの世とこの世は同時にあり、海綿状に混じり合っていると何かに書いてあったが、それを実感する事が多くなった。
このブログが私達の旅の記録なので彼女に印刷して欲しいと以前頼まれていたが、なぜか以前のものでは途中で消え、左横の部分しか出なかった。今回してみたら印刷できたので、旅の物を印刷した。
その時、気づいたのだが、ツイートしてあるのが数回あった。ごめんなさい。私はツイッターをしていないので何が書いてあるかもわからないままである。
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