Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

残留波動

2010-02-03 09:24:51 | 日々のつぶやき

フクちゃんが亡くなった8月の下旬、2キロほど離れた倉庫に1年ぶりくらいに荷物を出しに行った。最近は、メーカーの出荷も早くなったのと、不景気で倉庫に積むほどのこともなくなったので、荷物は少なくガラガラであったが、その2年半前に前回書いた家を建て替えた知り合いの家財道具が立て替える間と言うことで貸したがそのまま一階に、二階は同時期詐欺に遭い家を失った知り合いの家財道具に占拠されていた。

二階の使用者はは詐欺に遭い、家を手放さなければならなくなった。その時、元の家の近くの一軒家を地代だけで良いという好条件の話があり、私達も勧めたが家が見えるのがつらいと言って聞かなかった。

遠隔で私のぎっくり腰を直した山梨のおじいちゃんもその家に移り、息子さんと家業をするように言ったが頑として聞かず、仕事は出入りの業者に譲り、「仕事を教えたら、妹の所に行くから、ミシン一つだけ置かせてくれ」と言って倉庫前のアパートに引っ越した。おじいちゃんの言う通りしていたら、同業者は1年後病気で倒れ、仕事が出来なくなったので挽回できただろうが、彼女は手放していた為、権利は無くなっていた。決して、私から勧めた話では無い。彼女の打算だ。

一階もさることながら、二階はこんな事ってあるかと言うほど負の連鎖で、20年前まで、大層裕福なお家だったが、事業に失敗して、駐車場付きの5,6階建てのマンションなど数箇所持っていた不動産を失い、その後、ご主人は自殺、子供さんは離婚、今回は詐欺である。それが、残留波動として家財道具に染込んでいる。

倉庫に行ってみると、仕事用ミシン、仕事材料、箪笥3棹、下駄箱、ダンボールが二階いっぱいあり、よほど慌てて引っ越したらしく、古い平凡パンチなどの週刊誌や子供用の松葉杖など不要と思われる物が山積みになっていた。

一階の使用者も2年前に家は立て替わっているのに、自分の物置に使い、鍵を返してはくれないままだった。したがって、生活に不要な以前の家の戸障子、骨董品、亡くなられたおばあさんの着物などが入っていた。

倉庫に踏み入れた途端、気分が悪くなった。おまけに足も取られた。又、残留波動を受けたみたいだと思った。もうこれ以上置いて置くことは出来ず、ノワタリさんに相談しても「このまま、置いておくとあなたに良くない影響が出てくるだろう。」と言われ、決心も付いた。倉庫も私の物でもなく、両親にも小言を言われていた。

まず、一階の使用者に訳を言い、返してくれるよう伝えたが「そのうちに」と言う。「有難う、世話になった」の言葉もない。2度目は「年内にボツボツ」と言い。3度目は「二階の○○ちゃんと相談して」と言う。便宜をはかって無償で貸しているのになんという事だ。おまけにご主人は「日月神事」とか「浜本末造」さんなど精神世界の本を私に貸してくださり、意味がわかる方なのに...ひどい。父と母の方が私よりも立腹し、カンカンだった。

二階の使用者にも伝えると「有難う、甘えてゴメンナサイ」の言葉は貰ったが、多くの家財道具がアパートに入りきるわけでは無く、又泣き付かれた。ノワタリさんが「他人に迷惑をかけてまで持つ事は許されない。自分で持てる分だけが財産だ。」と言われたのでそう伝え、片付けていただき、当初の約束通り、仕事道具だけ、お一日と15日に粗塩を交換し、浄化しながらと言う条件で置く事になった。しかし、箪笥の中身は無くなったが最後まで箪笥はそのままだった。

一階はその間、何度か荷物を出すよう伝え、やっと1ヵ月後の9月の末に片付いた。その後、付き合いは無い。有難うの言葉は最後まで無かった。

二階は昨年9月に、片付けてもらった。私の再出発と言う事で10月に神棚も御神鏡も新たにする前の事だ。5年半貸したが、彼女とももう付き合いは無い。年賀状を出しても来なかった。私は一時期でもお友達だと思っていたのに、お人よしの馬鹿で甘ちゃんだったみたいだ。人間不信になりそうだった。たぶん二人とも空いてるのに使わしてくれてもいいじゃないと根底に思っているのだろう。とても後味の悪い思いをした。これに懲りて、同情はしない。付き合う必要が無いのだろう。明日、倉庫にお守りを持って行こう。

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