昨日 商用で大阪に出かけた。
始発のなので、6時には出ないといけない。そんな時に限って寝付けない。
そんな事もあり、真夜中にノワタリさんと話していて大阪の話をしていると、水掛不動さんが気になった。それを伝えると、
「待っておられますよ。」と言われ、そのまま会話を続けていると、
「ちょっと待って」と会話をさえぎった。
「見納め…って言ってるわよ。」と私に伝えられた。
「えっ!!、見納め…、来年4月か5月にまた出かける予定なんだけど…そんな~」と突然の事に驚いた。
「でも、高松の友人達と1月に会った時も、『最後の別れ』と言われたけど、本当にそうなってしまったわ。すぐにでも又集まるからと言いながら、出来ず、引田の件で怒らせ、拒絶されたから、もう会う事は無いわね。」
大阪に何か起きるか?私の方に何か起きるかは分からない。でも、本当起きるのは間違いないだろう。
引田と言う地名を出すと、ノワタリさんは「其処は落ち着いたみたいね。」と言われた。
そんな言葉が気にしながら、出かけた。
いつも大阪は通過点で、街の中を歩くのは久しぶりだった。中百舌鳥古墳群を周った時、天王寺から新大阪へ出た時以来で車窓の風景は残っていない。バスで大阪市内を走っていると、中ノ島の会堂の周りの街路樹が色づいていて赤レンガが映えて綺麗に見えた。
難波でバスを降り日本橋の方に出かけたが、15年以上行ってなく、シャッターが下りていたり、マンションが建っていたりして昔の面影は無く寂しい事になっていた。
ノワタリさんともよく話すが私達は良い時代を過ごして来た。今は冠婚葬祭も地味になり、表を歩いている人の姿もくだけてズボン姿が多く、鮮やかな色彩の衣服の姿を見る事も少ない。
思いのほか仕事が早く終わったので、水掛不動産をお参りした。
裏参道の方から細い横丁に入っていくと、観光客らしい若い女の子二人連れが写真を撮り合っていた。
お線香とローソクを買い、苔だらけのお不動さんに水を掛け、御真言と般若心経をあげ此処も最後なのかしらと思いながらお参りした。他にもボツボツと参拝者が途切れない。
丁度横にある夫婦善哉の店に入った。メニューはこれだけで温かいか冷たいだけである。おまけにこれで800円、田舎者の私からするとちょっとお高いのではと思うが、観光客相手で大阪と言う事で成り立つのかな…。
食い気が先走っているので1杯食べた所で気づいて写したが、独り者の私にはこれの方が良かったかもと思う。、「縁結び」と宣伝文句が載っていたが、店内には関係なさそうな70歳代の男性一人、そして60歳代の女性一人がいたが、やっとガイドブックを持った中国人の若い二人連れが入って来て仲良く1杯づつ分け合っていた。
その後、デパートに行ってウインドショッピングをして、表の人の姿と大きく離れた高価でおしゃれな鮮やかなオレンジ色のコートが目に付いて見ていると、声を掛けられた。
お値段を尋ねると、「22万です。」と言われ、買う気も無かったので
「予算が足らないわね…」と言って離れたが、余り建物の中に入ると酸欠になったようで辛く、外に出て大きく深呼吸をして、久しぶりに服地屋さんによりプルオーバーとスカート生地を買って空港までバスに乗って出た。
隣になった出雲少し年上の女性の荷物を預かった事からずっと到着するまで話したので速く着いた。出雲空港は出雲縁結び空港と言うそうである。それの方がインパクトがあり耳に残るかな。
そこに住んでいる子供さんの所へ行くそうだが、「食べ物も美味しく、人が親切でゆったりしていて良い所。」と、嬉しそうに言われていた。
帰りのは乗るのに外へ出たと思ったら、珍しくとても小さなプロペラ機で不安になる。それでも乗客は少なくガラガラだったのでB席だったが窓際の席を勧められ、眼下の夜景を楽しんだが、ブゥ~ン、ブゥ~ンと言う鈍い音が耳についた。プロペラ機も10年以上乗った事は無かったが、18時発は慢性的に利用者が少ないということなのかな。
小豆島上空に来た時、大阪を離れて真っ暗だったのが下の明かりが見え出した。
岡山側から四国を見る。高松、宇多津、瀬戸大橋が細いオレンジ色に輝き暗闇の中に浮き出ていた。本当に道路は動脈の筋のように車の流れが血流のように動き、四国は岡山側に比べると暗く寂しい。そう言えば、今年は、よく香川へ行った。その一つ一つを思い浮かんた。
其処からすぐに降下して行き、先程より大きくしまなみが見えて来たと思ったら、もう松山。
空港の明かりが下に見えたがは大きく西に旋回してまた暗闇になってしまった。視界が明るくなった時は空港近くになっていた。大阪松山間なんて飛んでいる時間は短いが、プロペラ機なのでジェット機よりも高度が低いようで眼下の景色を楽しむ事ができたが、これも見納めなのでこういう風に見せてくれたのかとも思う。
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