Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

お婆ちゃんの椿

2012-04-14 16:13:43 | 日々のつぶやき

昨日は香川県の境まで走った。もう私の街では桜はほとんど散ってしまったが、途中の玉川ダム湖畔は桜の満開、多くの人と車でいっぱいだと思ったら、「桜祭り」の開催中だった。

天気予報は夕方からと言っていたのにそれから1時間もしないうちに雨が降り出した。

他人事ながら、どうされただろうと気になった。

夕方近く、仕事を終え高速にのるとこちらもあちこちまだ桜が満開で所々にツツジの赤が混じっていた。楽しみながら帰ったが、今年は長い間桜を楽しむことが出来て良かった。

家では椿が次々咲き、つつじもあっという間に咲いた。

梅の清楚さも良いが、椿はバラに負けず劣らずゴージャスで好きだ。

椿の散り方も潔く大輪の花を咲かせた後は、すっぽりそのままの形で落ちて1日くらいはきれいなままである。

昔は、カスミソウの様な花が好きだった。しかし、それ自体では目立たず、他の花と合わせてからそれ自体も存在がはっきりしてくる。なぜ、そんな花が好きだったのだろう?今は樹の花が好きだ。

10本近く椿を植えている。それはほとんど親戚の亡くなったおばあちゃんにもらい、短く数本に分け、挿し木から育てたものだで、素敵な名前が付いているはずだが、全く知らない。図書館に行って調べようと思いながらずっとそのままである。

おばあちゃんは椿の鉢植えをたくさん育てていた。亡くなられた時、一鉢分けていただいたがその家に住む者も今はおらず、どうなっているかわからない。

子供の頃、従妹が縁側に落ちた時、おばあちゃんが走ってきたが「大丈夫?」と言って心配したのは従妹でなく、育てていた小さなサボテンの30個ほどの鉢植えだった。それは笑い話になっていた。

そのおばあちゃんは後1か月で100歳の誕生日を迎えるようになっていた。豪勢にそのお祝いをしようねと言っていたのに、出来なかった。

おばあちゃんは体の弱いおばさんの代わりに従妹達を育て、一家の主婦の役目を90歳過ぎまでした。

伯母が亡くなり、80過ぎの伯父とおばあちゃんで老人二人でも、独居老人ではないのでなんら公的な支援はなかった。お婆ちゃんも炊事する事が出来なくなり、昔その家でお手伝いさんをしていたおばさんが手伝いに来ていた。ヘルパーさんを伯母の時に一時雇ったが、布団のシーツの中から針が出てきたことがあったのでそれ以来止めた。

そのお婆ちゃんがなくなってから、本当に一人になっていた伯父も亡くなった。生前、伯父は平均寿命を生きたからいつお迎えが来てもいいと言っていた。

朝は近くのファミレスで、後は老人用の給食を取っていたが、「初めは良いが同じような献立なので厭きる。」と言っていた。そんなこともあり、母に頼まれて良く伯父の所におかずを届けていた。

前立腺が悪いと聞き、母はゴーヤ茶やゴーヤの輪切りの干したのを袋に入れて届けたが、8月の10日頃、とうとう手術となった。

入院した日、伯父の同級生が「わし、これから手術だ。」と言って目の前をストレッチャーで運ばれていった。もう一人も同じ病気だったが、伯父が入院している間に退院したて間無に亡くなられた。

伯父も9月の20日前に亡くなった。2か月足らずの間に3人とも亡くなってしまい、母はその病院の医者の手術のせいだと悔しがっていた。

葬式の夜、冷蔵庫を開けると、飲んでいないゴーヤ茶が水入れに数本と、戸棚からビニール袋に入ったままのゴーヤが出てきて、母は絶句した。一番頼りにしていた兄だったが、早く家族の元へ行く方が幸せだろうと言って母は自分を慰めた。

そういう形でだんだん空き家と更地が増え、バブルの頃250万した所が今は30万だと聞いた。

250万は異常だとは思うが、先日もお隣からの電話で覗いてみると「スカパーの時代劇チャンネルが映らない。」と言われ、直してから帰った。家の周辺も80歳前後の高齢者ばかり、自然と限界集落の道へまっしぐらだ。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿