社労士(社会保険労務士)さんのひとり言

社会保険労務士ブログは早く卒業して、グルメブログにしたいものです。

コメント御礼。というよりは「お知らせ」に御礼。

2009年04月12日 19時54分36秒 | Weblog
「sr-ta3」さん。「訃報4。」で「お知らせ」をいただき、ありがとうございました。

>お取り込み中、投稿内容と関係の無いコメントすみません。
>私、引っ越しました。
>いま、いろんな設定をしている最中です。
>落ち着いたら、また連絡します。

了解でっす。

>4回目の引越しです(^o^)/

理想のポータルサイトを探して4回目の引越しですね(^o^)/

私は面倒なのでgoo一本ですが・・・。
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訃報4。

2009年04月12日 13時54分00秒 | Weblog
松江では、かなり自分勝手やらせていただきました。

接待も自分が楽しんでいましたね。松江はご飯が美味しいんですよ。魚も良いし、お酒も美味い。

それは、ある意味では開き直りでしたね。どうせ冷遇されるのなら、仕事を楽しもう・・・と。

もう1つには・・・。岡山時代と比べて、人間関係が出来ていた・・・ということもあったですね。

私が会社を辞める寸前に、某医師2名から脅されたのですが・・・。仲の良かった医師からは「気にするな。」と言われました。

もし岡山時代だったら・・・。孤立していたのかも知れません。

ただ・・・。私が会社を辞めてから何年も経ちました。仲の良かった先生方がお亡くなりになるケースも増えてきました。

私としては、心臓君が良くなり次第、またご挨拶に伺おうと思っているのであります。
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訃報3。in松江。

2009年04月12日 12時27分30秒 | Weblog
松江に着任してから面白くない日が続いた。

新製品の発売についても、手柄を横取りされた感覚があった。

岡山で、私は「褥瘡(じょくそう)治療剤」を某病院に大量納入する交渉をまとめていた。しかし、会議で表彰されたのは、私ではなく私の仕事を受け継いだ後輩だった。

(後で、聞いた話だが・・・。松江出張所長は「ふとっちょを誉めてやってくれ。」と岡山出張所所長に言っていたらしい。もちろん、それは果たされなかったが・・・。)

しかし・・・。私は、少しずつではあるが・・・。松江の医師に受け入れられていった。

その中でも、T先生とは公私とも仲良くさせていただいた。

T先生は私よりもかなり年上で、私の父に近い年齢であったが・・・。コンピューターにも詳しく、私とは話が合った。

T先生に受け入れられたことから、私の気は晴れていく・・・。
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訃報2.1。今、お悔やみの電話をしました・・・。

2009年04月12日 10時08分37秒 | Weblog
今、松江に電話しました・・・。

「ふとっちょさんにはお世話になって・・・。」と奥さんに言われましたが・・・。

お世話になったのは私の方でありまして・・・。

私が会社を辞めたときに、自身の病気を隠して励ましのハガキを贈ってくださったF先生。(後に、お亡くなりになったと聞き、自宅まで訪問させていただきました。)

私が会社を辞めるときに、自宅に招いて食事を振舞ってくださったO先生。

私が会社を辞めるときに、自宅の2階(茶室)を見学させてくださったT先生。

私は、人に恵まれたと思っています。

T先生は、夫婦で送別会を開いてくださいましたね・・・。それがどれだけ嬉しかったか・・・。


体調の件もあり、松江に行くことは難しいですが・・・。いずれ、お邪魔させていただきたいと思います。
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訃報2。歓迎される人。見捨てられる人。

2009年04月12日 09時44分17秒 | Weblog
岡山から松江には「やくも」という特急で異動した。

「やくも」→山陽本線・伯備線・山陰本線を通過し、出雲駅まで運転される。

見送りは2人だった。1人は、その後、総務に回されたKさん。もう1人は、飲み屋の女性だった。正直、寂しい見送りだと思った。

岡山から行った私は、松江にいた後輩の出たアパートに入居させられる。一方、松江にいた後輩は岡山に異動したのだが、新しいマンションに入居した。それだけでも、私が冷遇されたことがお分かりになるだろう。

もし、私が違法要求に応じたら・・・。最悪は、法違反を問われることになる。それを私は避けた。しかし、会社は、医師を怒らせたという結果を以って私を冷遇した。(人事考課も最低だったらしい。)

私は傷心のうちに松江に着いた。

しかし・・・。



以下、続く・・・。
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訃報。松江への転勤編。

2009年04月12日 07時22分29秒 | Weblog
昨日、私が外出している間に電話がかかったらしい。

内容は「(松江市にある)T医院の院長がお亡くなりになった。4月5日のことだった。」というもの。T先生の奥さんからの直接電話だったらしい。

私が会社を辞めたのが松江市だった。岡山市からの転勤だった。

岡山県T市という街にあるT病院(今は、合併して「他の名のT病院」と名を変えている)の内科医長の「法に違反する要求」をはねつけたことにより、怒らせた?ことが原因だった。

義は私にある。今でもそう思う。しかし、T病院の内科医長は、医薬品卸「S」のセールスを通して、松江出張所所長にクレームを出した。その時の、所長が「いい人」であった。それが災いした。

(私は今でも「いい人」は営業の上司には向かないと思っている。「いい人」は素直すぎて腹芸が出来ない。その時の所長のF氏は直接的に2人の人間を退職に追い込んだ。)

所長は、そのまま(医薬品卸「S」のセールスの話のみで、私の弁明を聞かず)支店長に報告してしまう。

私は意に反して、松江への転勤を命じられる。全ての責任は私が取らされる形になった。

組織というものは恐ろしいもの。それが身にしみて理解出来た。義は私にあっても、組織は、部下の言うことよりも他社「S」のセールスの言うことを信じたのだ。

(ちなみに、所長は「医師の言うこと」を当該医師に直接確かめていない。後でお詫びに行ったらしいが、その様子は私には伝えられなかった。それゆえ、本当にT内科医長が私に対して怒りを覚えたかどうかは、私には分からないままなのである。)


以下、続く・・・。
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