もりあおがえるのつぶやき

山里の四季の移ろい、日々の暮らしをつれづれに

相川考古館

2015-03-21 17:10:03 | 古墳詣で

まだたっぷりと雪があると思ってたら世間はもう春の花満開なんだ。久しぶり関越の山超えてみたら梅の花、狼狽、白木蓮と咲いている。
今回は太田市の埴輪を見に行ってきた。ここ相川考古館は個人が集めたものだけど国指定重要文化財の琴弾男子をはじめ埴輪がごっそり、イヤー見事なものだ、残念ながら写真撮影禁止なのでお見せできないが見事なものだ。ほんとに堪能した。
それから薮塚本町歴史民俗資料館、ここでは学芸員さんがいろいろとつきっきりで説明してくれた。古墳時代の韓半島との交流のこと、土師氏のこと、いろいろおもしろかった。
もう一つ新田義貞の本拠地、新田荘歴史資料館に、時間が遅くなってしまい間に合うかと思ったがぎりぎり4時半に滑り込み、ここも我ら以外お客もなくいろいろ教えてもらった。冬の平日なんてこういうマイナーな博物館なんてお客もいないから学芸員さんがしっかり相手してくれる、ありがたかった、そしていろいろ聞きすぎて疲れたなー。夕闇の中を走って帰ってきたが大きな満足感があった。




下野の国

2014-11-18 17:06:44 | 古墳詣で
下野の国、ここは古代に栄えたところなのか、律令時代には国分寺、さらに薬師寺など奈良の都を思わせる。台地と平野その合わせ目に古墳が並ぶ、栃木と言うだけあって林の多い土地だ。武蔵国、上野国、下野国と関東平野に栄えた古代王国を訪ねたが同じようで少しずつ違う古墳、埴輪、特に埴輪は下野国では洗練された作りになっていた。さらに機織りの埴輪というめずらしいものが出ていた。

下野国はさすがに遠い、高速走って3時間つかれたころにようやく下野国風土記の丘に着いた。けやきのはやしのなかにたつ資料館は落ちついた雰囲気で疲れた体を癒やしてくれた。埴輪の企画展が見たくてやってきたが来たかいあった。ついでに古墳をいろいろ見て薬師寺に廻り栃木の国を堪能した。帰りはあんまりいい天気なので景色をみながらなんて思ってゆっくりと絶対追越し車線に出ずにひたすら走行車線を80キ
ロで走ってみた。するとおもしろいことに気づいた。疲れないのだ。追い越しだなんだと余計な緊張せずにすむからなのか。ゆっくり走るのもいいものだ。群馬は榛名山、妙義山と魅力的な山々が続いていい。


    たてもちびと


    鍬を担いだ農夫



    女性


    琵琶塚古墳

埴輪の世界 展

2014-11-08 07:44:18 | 古墳詣で

埴輪の企画展が方々で開かれてることを知って、目下最大の関心事?なので、忙しくて余裕もないのに出かけて行ってきた。こういうのを冬にでもやってくれるとありがたいんだが僕の都合なんてどうにもならんし、秋の企画展でもうすぐ終わりになるんで忙し忙しと思いつつ。写真は現代の名工(子供たち)が作った楽しい塙たち、でも侮るべからづ、おもしろいんだ。
さて肝心の埴輪展、武蔵国、今埼玉県の埴輪たち。僕はこの単純でおおらかな顔が好きなんだ。顔がいいなんていうとこおいう考えが仏象につながっていくのかもしれないなあ。奈良時代の仏像はおおらかな顔をしてるが時代が下ってくると次第に複雑になって苦虫かみつぶした渋い顔になったりして。ちなみに釈迦の説いた教えと仏像崇拝は何の関係もない。仏像は偶像を好む庶民の要求が生み出したものでお釈迦様は仏像を拝みなさいなんて一言も言ってない。

菅原古墳

2014-10-21 17:10:06 | 古墳詣で


上越は古代栄えたところである。律令時代越後の国府はここに置かれたという。場所は特定されていないがこの間関山の文化財を守る会の方から聞いたところ今府という地名があるということであった、大いに興味が持たれる。この菅原古墳は水田の中に連なる小高い丘に一基の前方後円墳と百あまりの円墳があったという。
高句麗から海を越え直江津へ旧北国街道を通り御篶刈る信濃国へ、さらに甲斐、武蔵野へと渡り来た渡来人、古代のロマンに浸る。

大室古墳群

2014-09-04 15:14:16 | 古墳詣で


山塊に累々と500基あまりの古墳が並ぶ広大な墓域である。しかもこれは渡来人の墓といわれ積み石塚や合掌石室という朝鮮半島の様式で作られている。古代自由に交易していた日本と朝鮮半島の交易路として玄界灘を越え北九州へ上陸したようにここもまた日本海を越え直江津へ上陸しいまの18号線を越えてここ長野に続く道があったのだろう。交易でやってくるもの、半島の戦乱を逃れやってくるもの皆この倭国に新天地を求め来たものだろう。
今回は直江津から大室まで渡来人の跡をたどってみた。様々なロマンが思われる。



  積み石塚



合掌石室