僕は山ン中に住んでいる、バスの終点の村だ。今日は女房殿はコンサートとやらで一人で暮れ行く外の景色を見ながら夕飯だ。僕は大木と水辺の風景にあこがれて池を掘り木を植えてきた。それが気随てみれば結構ないい樹になっている、50年、50年たてば自分は年を取るが樹はりっぱになる。不便な山ン中何て言う人もいるが、今はほんとにいい時代になった。IT、車、カーナビ、コンビニ、夢のようにいい生活ができる。こないだみんなの話し合いの中で老人にPCは覚えられないだろうかなんて話が出て、こんないいものみんな使ってほしいと強調してみたが、ほんとにこれは意欲ある者には便利なもので、町のほうでもPCよろず相談室をひらくことになった。僕らの子供時代にはこんな山の中では生きていけない時代になるのでみんな勉強して都会に就職しなけりゃいけないなんて今の途上国そのもので一族郎党先祖の墓までもって都会に出てった時代だったが、日本は素晴らしいね、高度成長が田舎でもいろんな産業を生み田舎も生きていけるようになった。今また少子化、限界集落何て言ってるが、僕はそれいい、それでいい、人が少なくなればそれだけ一人で使える資源は増える、なんていってる。大変な気力、体力はいるが、大木と緑と鳥のさえずりの中で暮らすのも悪くないよ。