めざせ百名画

旅行も山もどうもご無沙汰なので、現実的な映画鑑賞をテーマにしてみました(いい加減)

平日ですよね?

2015-03-13 09:01:36 | 日記
3/13の朝





6時頃はガランとしてましたが、若者がチャーハン作って、黙々食べて出掛けていきました。

昨夜もロビーは大賑わいでしたね(トイレに行った)





8時過ぎたらロビーも人が増えてきました。

例のうるさいオバちゃんが、フライパンとレンジを駆使して朝食を作り、知り合ったオバちゃんと大声で自慢話してます。

あ~うるさい、声のトーンがホント癇に障ります。

さて、ブログも打ち終えたので、昨日行けなかった寺に行きましょう。

宿で自転車が借りれるようです(楽)

頂妙寺

2015-03-13 06:30:46 | 日記
地下鉄を乗り継いで市役所前へ。

そうです、赤垣屋に行く順路ですが、その1本手前で右に折れます(残念?)





⑨頂妙寺

俵屋宗達ゆかりの寺です(風神雷神書いた人)

入って奥の仁王門





横に資料を持ったオバちゃんが佇んでますが、なぜか黙ってます?

いぶかしみながら奥の本堂へ。





今回は当たり年なのか、全ての寺にガイドさんがいます!

これなら600円の入場料も少しは納得できます。

日蓮宗本山の一つです。

織田信長の命で行われた浄土宗との宗教論争「安土宗論(安土問答)」に負けて、日蓮宗は処罰されました。

ガイドさんは「陰謀」と言ってましたが…

幸い?信長の死後、秀吉に許されて(賄賂でも贈ったか?)また布教できるようになった書状が飾ってあります。

宗達の「牛図」はポスターにもなってますね。

2幅で一式なんですが、京都式イケズで、1幅ずつの公開となってます(見たかったら2回来いよと)

今日は腹這いの方。

下地が乾かないうちに次の色を落とす「墨のたらしこみ」技法で牛の逞しい筋肉を表現しているそうですが…

薄くてなんだか分りません(泣)

外に出て、仁王門に行けと言われます。

えッ?さっきの門?

なるほど、こちらからアプローチすれば、さっきの佇むオバちゃんが喋りだすと言う訳です(笑)

金払わんと喋らんで!という事か(納得)

この寺の前の通りは「仁王門通り」と言います。

それくらい有名な仁王像は、運慶の作です。

普段は門の奥にあって暗くて見えないそうですが、そりゃまずかろうという配慮?で微かに照明が当てられてます。

天井にも絵が描いてあって、なるほどご利益ありそうです。

墓地には墓があります





宝探しじゃないんで、ちゃんと看板があってすぐ見付かりました





真ん中あたりに見えますか?「宗達」





鴨川沿いにゆるゆる南へ歩きます。





気になりますが、1升瓶を抱えて寺メグリは辛いのでパス(残念)

三条から1本東の縄手通りを歩いてると、由緒ありそうな飲み屋や鍋屋が並んでますね?

ああ、祇園か。

あんまり縁が無いですが(貧乏)





しかし、なんでこんな住所なんでしょうね?

分りやすいっちゃ分り易いでしょうが、地名が分らないよそ者にとっちゃ探すのにえらい手間です(泣)

さて、冬の旅常連の1つ建仁寺





風神雷神は複製でしょうからもういいや。龍の絵も平成製です。

端っこにあります。





⑩建仁寺 霊源院





「冬の旅」で気に掛かるのが、1部の例外を除いて一律600円な事です。

内容にはかなりの差があると思いますが、一律に守られてます(護送船団)

ここなんかは荷が重いですね?見ものは唯一つ!

「毘沙門天立像」

南北朝時代の彫刻の傑作の一つ「中巌円月坐像」は、教科書かなんかで見たことある像で、玉眼を嵌めこんだ表情が

見事ですが、平成8年の健康診断?の際のX線調査で胎内仏があることが発見されたそうで、それが並べて展示してあります。

左手に持った水晶の中には、最澄が持ち帰ったという仏舎利が納められてます。

仏舎利とは?

仏陀の骨とか髪の毛とか、体の一部なんだそうで、信じるものは救われんみたいな域ですね。

ちょっと裏側に次の寺

⑪六道珍皇寺





昔は、ここは平安京の東の葬送地「鳥辺野」に至る道筋でした。

「六道」とは、人間が死んだ後に進む6種類の行き先で、悲惨な方から地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上となってます。

この寺は、その冥界「鳥辺野」と現世を繋ぐ接点と言われてまして、今でも8月のお盆の前には精霊迎えの行事「六道参り」

が大賑わいなんだそうです。





では、お盆が終わった16日に行われる事とは?とガイドさんが問い掛けますが…はて?

送り火(大文字焼みたいな)ですね?と常識!みたいに言われてもどうも。

閻魔大王像も気迫に満ちてます。

その隣に並ぶのが「小野篁」(たかむら)像。聞いたことある名前です。

平安時代の公卿であった彼は、一方で夜は閻魔庁の役人でもあったそうです。

彼が冥界に行くのに使ったのが「冥土通いの井戸」





さて、言い伝えではこの世に帰ってくる井戸も存在していて、古い住職は確かにあったと言っていたそうですが、

その場所の上に住宅が建っていて確認出来なかったそうでしたが、最近家が取り壊されて、見事井戸が発見されたそうです。

この写真の奥にありました(撮影不可)

「黄泉がえりの井戸」

草薙君の映画ありましたね(女優の名前が思い出せん…)

そのまま東に歩けば東大路通を越えて清水坂です。





夜はライトアップしてるんですね?

っていうか、突然人口密度が上がってきました。どっから集まった?なんじゃこりゃ?





坂の両側は土産物や食べ物や店が一杯で、人が群がってて真っ直ぐ歩けないほどです。





多分、修学旅行以来かな?清水寺





しか~し、





冬の旅は左に折れます(笑)

全く人影が無くなりました(極端)









庭が売り物です。

ここは「月の庭」

京都には3つの名庭があって、後の二つは「雪」と「花」

ただし、これらは今は無くなってしまって、現存するのはここだけ。

この名前は宝塚の組名の元でもあるそうですが、もっと組数なかったっけ?

ここは今でも住まいとして使ってます。

五つ子ちゃんの名付け親(ゴッドファーザー)もここの人だったそうで、その時テレビで映ったのがこの部屋です!

と言われてもね。

年末に、今年を表す1字!と書く人もここに住んでるそうです。

去年の字知ってはりますか?(知らん)

「税」

はぁ、そうでしたか。日本に居なかったモンで(笑)

月の庭ですから、真価は夜観てもらわななりません。

…夜は公開してませんが。イケズです。

入り口で配られた新聞の見開きページに蓮の池に浮かんだ月の写真が載ってますので、それでご勘弁やて(笑)

奥の山を背景にしながらの庭は、平地の庭と違って奥行きがあって見事ですね。

オバちゃんの説明を聞きながらうっとり見入ります。

秀吉も戦いに臨む前には必ず寄って行ったそうです。

ねねが秀吉亡き後住んだ寺の灯篭もここから見えます(去年行ったな)

縁側を進んで西側に移動すると、庭の趣きもガラッと変わります、不思議です。

洛中の景色も見えて、いい感じです。

竹の筒が2本地面に差してあって、耳を当ててみて!とオバちゃん。

低い音と高い音。低い方は聞こえない場合もあるが気にせんでええよ(老化すると聞こえない音域らしい)

気にするわい(笑)

ビクビク耳を当ててみたら…無事両方聞こえました。

書院に移動。

幕末に尊皇攘夷の拠点でもあったこの寺には、西郷隆盛もしょっちゅう来ていたそうです。

いよいよ形勢が悪くなって、ここの住職の月照上人と共に西郷隆盛は脱出して西へ逃げます。

匿ってくれる筈の島津何とかさんが亡くなってしまったため、進退窮まって2人で鹿児島湾に入水したそうです。

ええッ!知ってました?ビアンコさん?

デブのせごどんだけ、引き上げられて助かったそうです。

住職の弟の信海上人もその後、江戸に引っ立てられて獄死したそうです。

それぞれの上人に付き添ってたお供の人も一緒に死んでしまったそうで、残された遺族の生活を助ける為、その2家には、

境内で永遠に営業できる権利を与えたのだそうです。

いやぁ、色んな話を聞けて面白かった!これなら600円も安いモンです。





本道に戻ると、やっぱり人だらけ。

そのまま下山します。

ラスト1つなんですが





今日まで拝観休止してます(泣)

効率悪いですが、また明日。

ちょっと南に「京都国立博物館」





昨年、平成知新館がオープンしてます。

おおッ!





ロダン!

パリでは見かけなかったが?

でっかい像がズラリ並んで壮観でした。





こっちは改築するのかな?





本願寺沿いを北へ、宿に帰ります。

バスとかあるんでしょうが、歩いていける距離なんで。

ビアンコさんが仰け反りそうな構図(笑)





シャワーを浴びてサッパリして夕食





店のコンセプトが不明です。ガンガン飲み食いしてるのは私一人。





大丈夫、気にしないタイプです。





にんじんのサラダ。

今日は昨日とは違う物を頼んでみます。

カルパッチョだっけ?





ハウスワイン





お腹が空いたのでパン





マグロのコーヒー漬け





爆弾コロッケ





卵焼き





いやぁ、どれも美味い!

日曜日は15時まで、月曜日が休みのようです(覚えとこ)

焼酎がまだ残ってます





相当酔ってるな、こんなサイズに手こずるなんて(笑)