兵頭新児の女災対策的読書

「女災」とは「女性災害」の略、女性がそのジェンダーを濫用することで男性が被る厄災を指します。

【反フェミはこれ一本でおk】風流間唯人の女災対策的読書・第3回『#KuToo 靴から考え

2020-01-17 19:36:10 | 女災対策について





 さて、動画の第三回です。
 石川優実師匠の名著を紹介するためのものですが、ぶっちゃけ大した内容もないので、実際には「フェミニズムの(誤謬の)基本」を解説するような内容になっています。しかし逆に基礎編という感じでそれもよいのではと。
 正直、youtuberとして収入を得る、などは夢のまた夢の状況ですが、登録していただく、高評価ボタンを押していただく、コメントをつけていただくことで再生数が上がるようです。
 また、当動画で『女災』に興味を持っていただけたら、kindleでお買い求めいただければ幸いです。
 どうぞよろしくお願いいたします。


【ゆっくり解説】風流間唯人の女災対策的読書『ぼくたちの女災社会』【反フェミはこれ一本でおk】

2020-01-01 18:37:09 | 女災対策について

 新年、あけましておめでとうございいます。
 今年も旧年中と変わりないご愛顧のほどを、よろしくお願いいたします。
 さて、ここしばらく動画を作るのにかまけておりました。
 第一回と第二回、一挙掲載です。
 どうぞ両方、ご覧ください。

 第一回目



【ゆっくり解説】風流間唯人の女災対策的読書・第1回『ぼくたちの女災社会』【反フェミはこれ一本でおk】



 第二回目



【ゆっくり解説】風流間唯人の女災対策的読書・第2回『ぼくたちの女災社会』(その2)【反フェミはこれ一本でおk】


 自著、『ぼくたちの女災社会』を紹介するためのもので、大意としてはここしばらく、当ブログに書いたようなことなのですが、何やかやで元の記事の動画化というよりは新規書き直しの内容になってしまいました。
 できればこれから、ブログと動画の二足の草鞋でやって行きたい……ところですが、そうなると時間がどれだけあっても足りません。
 正直、ニコニコではカネを取ることを禁じられている状況ですし、youtubeにもうpしたものの、youtuberとして収入を得る、などは夢のまた夢の状況ですが、登録していただく、高評価ボタンを押していただく、コメントをつけていただくことで再生数が上がるようです。
 また、当動画で『女災』に興味を持っていただけたら、kindleでお買い求めいただければ幸いです。
 どうぞよろしくお願いいたします。



十年目の『ぼくたちの女災社会』(その3)  ――『女災』は「負の性欲」を予言していた!――

2019-12-28 17:07:35 | 女災対策について

※この記事は、およそ8分で読めます※

 今年は拙著『ぼくたちの女災社会』出版十周年の年です。そんなわけで本書については、(以下略)。
 が、期せずしてシンボリックな事件が起きたがため、それにちょい便乗させてもらおう(以下略)。
 今までも天才予言者であるワタクシ、兵頭新児が数々の予言を成就させてきた(以下略)。
 あ、それと本書を未読の方はkindleで買えますので、ご一読をお勧めします。目下ツイッター界隈で囁かれている反フェミニズム論、非モテ論がいかに浅く周回遅れなものかがおわかりいただけるようになりましょう。

●負の性欲とは?

 ――さて、ツイッターで先月28日、「負の性欲」という言葉がトレンド入りするという珍事が起こりました。いえ、この概念そのものは以前から結構評価されていたものであり、当然、当ブログでも折に触れ、扱って参りました*1
 が、当然というか何というか、ツイッターではフェミニストが聞きつけ、脊髄反射で拒否反応を起こしている場面、どう見ても語幹から適当に想像して勝手なことを言っているだけという場面などが散見され、まあ、しょうがないとはいえ何だかなあな状況を呈しています。



 こうした図が出回ったりもしていますが、何というか、全然違いますね。
 まずはぼくのブログなんかよりリョーマ氏のブログ*2を見るべきなのですが(全否定かよ)、まあここはポイントだけをご説明すると共に、ぼくの側の解釈を最後に述べることにしましょう。

*1「ショウジョマンガガガ」の「●歩く完全負のポルノ図鑑」など。
*2「女性専用化社会 負の性欲


●提唱者の、定義

まず、記事の冒頭には

とはいえ、最近の学生とかは恋愛はフラれるとSNSで「キモい奴から告白された~」って晒されるリスクが格段に高く、慎重にならざるを得ないっていう点で大変だな、と思います。



 とあります。
 何というか、上の図では「負の性欲」というのは誰にでもある、性のネガティブな発露。みんなでマナーを守り、楽しい社会を。とでもいった、薄っぺらなどうでもいい世界観が開陳されておりますが、リョーマ氏の記事の冒頭の痛烈な描写を見て感じるのは、「この女の過剰さって、何なの?」というものです。

 ――いや待て。男だってすることだろ。

 いえ、しません
 否、そりゃするヤツもいるだろうけど、女の苛烈さと普遍性とは比べるべくもない。
 ここに何か、女性独自の精神的必然が働いてんじゃねーの? というのがリョーマ氏の疑問なのではないかと、ぼくは考えます。
 しかしそこを無視し、上の図は「お互いさま」とでも結論できるような、当たり障りのないものになってしまっている。
 白饅頭の著作で知ったのですが()、「世界公平信念」という言葉があります。これは「ずっとついてなかったんだから、そろそろツキが回ってくる」といった世界が公平にできているとの、整合性はないがついぼくたちが陥ってしまいがちな観念を指し、特にジェンダーフリー論者じゃなくとも、人は何とはなしに男と女を対称的なものだとの観念に引きずられてしまうものなのでしょう。
 しかし、あくまでこれは女性特有の、女性のセクシュアリティに紐づいた、特殊な欲望なのです。
 ブログを読み進めましょう。

男が女をキモいって言うこと、ほぼ無いだろ?女が魅力のない男からのアプローチに汚物のように嫌悪する感情、生理的に無理っていう感情を、男が女に抱くことってほとんど無いだろ?


 そう、「男には負の性欲は(ほぼ)ない」というのがリョーマ氏の考えだとわかります。

だから女の負の性欲から発せられる、「キモい男からアプローチされた!」「セクハラされた!」等の男をしばいてンギモヂイイイしているのは、女向けのポルノとでも言うべきものなんだ。


 とのフレーズもあり、これもぼくの指摘とほぼ、一致しますね。
 既に消されてしまっているけれども、恐らくリョーマ氏が広くこの概念を訴えたのは、棘のまとめで、ぼくが「ブスイキリ漫画」と称したような作品を例に挙げてのことだったはず。
 そう、何かエラそうな女が男に一喝して、男が反論できずたじろぐ。そうした漫画ってありますよね。あれこそがまさに「負のポルノ」だ、というのが彼の主張だったんじゃないかなあと、記憶しています。

「女性はこんなに被害に遭ってるんだ!」と延々男叩きを垂れ流してる女っているでしょ?フェミニストっていうんだけど。

つまりフェミニズムは女性向けのポルノコンテンツなんだ。


 驚きました。
 何しろ「フェミニズムとはポルノだ」との指摘は、ぼくが以前からしているもので、「あ、俺以外にも言ってくれる人がいたんだ」というのがぼくの率直な感想です。

●『女災』も実は同じことを言っていたとか、そういうことを言いたい


 しかし、敢えて、ここで一つだけマウントするならば、リョーマ氏の指摘ではこの「ポルノ」というのはこの段階ではある種、「比喩」と思えなくもないこと。
 ブログの見出しには「男から求められ、その男を性的優位な立場からボコる快感」ともあり、これは「暴力を振るう快感」と取れなくもない。が、その解釈に留まるならば、この「負の性欲」という概念のポテンシャルを、三割ほどしか発揮していないことになります(リョーマ氏がそうだというのではなく、ツイッター上の解釈が、そこに留まっているのではないかというのが、ぼくの危惧です)。
 ならばどういうことか……ということで、もうちょっとだけこの概念を深掘りしましょう。
 ぼくは『女災社会』において(以下の引用、実は前回記事と全く同じなのですが)、

女性のセクシュアリティの本質は、男性を悪者にすることそのものなのです。
(161p)



 と表現しました(強調原文ママ)。

 彼女らは自己愛を満たすために、男を悪者に仕立て上げます。恋愛や結婚における責の全てを男に求め、或いはまた自分が男から求められているのだ、という幻想を満たすために男を悪者に仕立て上げ、その結果、相手を殺します。
(157p)

 少なくとも立場的に弱い男性を「ストーカー」、「セクハラ加害者」扱いしてのいじめ、いやがらせとなると、日常的に広範に行われていると考えざるを得ません。そしてそういった行為に女性故の優越感を感じることの快楽がいささかも伴っていないというのは、どうにも考えにくいことです。
 何となれば、先に書いたように「男性から求められること」そのものが女性のセクシュアリティであり、アイデンティティの根幹をなしているからです。故に、彼女らは自らの欲望をつまびらかにせず、覆い隠すことで「男性から求められ」ようとします。
(160p)


 そう、前回記事では石川優実師匠の言動を批評するために引用したこれらフレーズは、全く「負の性欲」と重なるのではないでしょうか。
 女性の性欲というものは、そもそも自分自身に向かうという方向性があります。男性が自分の肉体性に惹きつけられていることを確認することで、女性の性欲は満たされるのですから。
 だから、男性が自分に求愛し、しかし肘鉄を食らい、無残に滅びていくことで、彼女らは「エクスタる」のです。
 フェミニズムとはまさにそうしたエクスタる過程そのものであり、性犯罪冤罪もまた、というのが実のところ「女災」理論の根幹なのです。
「女災」とは「負の性欲」の暴走で起こる厄災そのものなのです。

●ちょっとだけ、独自解釈?


 さらにもう少々、マウントを続けましょう。
 リョーマ氏は以下のように指摘します。

もちろん女にも男の肉欲的な「正の性欲」はある。けども、それは女がセックスしてもいいと認める、ほんの一握りの男にしか感じない、限定的な欲望だ。だから、女向けのAV(調べたら一応あるみたいだ)は男向けのポルノに比べて市場規模は小さい。


 ちょっとこれは違っていて、言うまでもなく女性向けのポルノというのはレディースコミックという形で、無限にあります(まあ、前にも書いたように女性週刊誌の誰それが浮気したの離婚したのという記事こそが彼女らにとってのポルノだろうけれども)。
 そこにはレイプ描写が溢れており、レディコミ全盛期にはフェミが必死になって言い訳に奔走していたというのが実情なのだけれども、BLもまたレイプ描写の山であり、女性はレイプ描写が大好きだという事実は揺らぎません。
 実はこれは、藤本由香里師匠が(いや、フェミニストという立場で大丈夫なんですかと言いたくなるほどにあけっぴろげに)分析していて*3、要するにレイプものとは責を男に預けたまま、自分は気持ちよくなれるというサイコーに負の性欲を満たしてくれる表現なのですな。「私はイヤなのに」というわけです。
 女性の描く「ショタ漫画」というのももちろん、ほとんどは成人男性が小学生男子をレイプするものなのですが、ぼくの知人の女流エロ漫画家さんはこれにも同じ評を与えていました。つまり、「責は男に押しつけて快だけ得るので安易である」と。責任逃れの度の強さは、何しろ子供で、しかも性別をも男性に押しつけているわけだから、最強なのですね。


*3 快楽電流
本書には「好みの男にされるレイプはレイプじゃない」と言っているとしか思えぬ個所もあり、「フェミとは思えぬ極めて率直な自己分析と鋭い自己洞察」と、「痛すぎるフェミの大変なことになってしまっている部分」とが同居しており、何というか、驚きの著作という感じがします。



 恐らく、リョーマ氏自身も(仮に無意識裡にでも)上のようなことを感じており、だからこそ「性欲」と名づけたのでしょう(「負の」というのは「性欲を感じていない」という意味ではないはずです)。
 ただ、ここは強調しておかないと、先にも書いたような、結局「男女ともに負の性欲があってお互い様だよね」みたいな曲解された通説が広まるのでは……というのがぼくの危惧です。こういうの、大メディアに採り挙げられると、とたんにそういうわかりやすい方向に持っていかれ、棘を抜かれちゃうんですよね。
 実はリョーマ氏のツイッターアカウントは復活しており、これからも積極的に発言してくれることを期待します。その上で、少しでもこの概念が深化されていけばいいな……とぼくは今、考えています。


十年目の『ぼくたちの女災社会』(その2)――『女災』は「これフェミ」を予言していた!――

2019-12-20 18:53:16 | 女災対策について


※この記事は、およそ12分(課金コンテンツ含めると17分)で読めます※


 今年は拙著『ぼくたちの女災社会』出版十周年の年です。そんなわけで本書については、もう少々語っておきたいという気持ちがありました。
 が、期せずしてシンボリックな事件が起きたがため、それにちょい便乗させてもらおうかと。
 今までも天才予言者であるワタクシ、兵頭新児が数々の予言を成就させてきたことは誰もが知るところですが、実のところ、「これフェミ」についても『女災』において「予言」がなされていたわけなのです。
 あ、それと本書を未読の方はkindleで買えますので、ご一読をお勧めします。目下ツイッター界隈で囁かれている反フェミニズム論、非モテ論がいかに浅く周回遅れなものかがおわかりいただけるようになりましょう。

●2019年11の月、青き眼鏡が降り立つであろう、フェミニズムを復活させるために

「これフェミ」というのは、青識亜論(以降、青識)と石川優実師匠とのトークイベントです。青識は近年、表現の自由クラスタとしてアンチフェミ的発言を続けるネット論客。石川師匠はどうも近年、フェミニズムに目覚めたグラビアアイドルのような方らしいです。
 何にせよ青識側主導のイベントであるがため、聴衆などは彼の側の人間が多かったことが想像できる。しかし青識側は(彼の主張を信じるならば)かなり周到に、「吊し上げ」にならないよう、配慮をしていたようです。
 しかし、そうした配慮にもかかわらず、石川師匠はブログで当イベントを否定する「表現の自由クラスタによる吊し上げ」であったかのような発言を始めたのです。
 もっとも、ぼくも参加したわけではなく、ネット上で参加者(とされる人々)の書き込みなどから、事態を傍観している立場にすぎません。しかし青識は一応、当日の録音テープか何かを持っているらしいので、最終的にはそれを無編集で提出する、という手段が取れる(目下、何故かそれをしないことで青識への不信感も、高まりつつあるようですが……)。その上で言っていることなのだからそこそこ信頼できる、と考え、以降、論考を進めましょう。

 さて、上に信頼と書いたものの、そうは言ってもまず、当ブログの愛読者の方はおわかりのように、青識はとてもとても信頼できる人物ではありません。彼は「アンチフェミ」であるかのように振る舞っていますが、牟田和江師匠の悪辣かつ幼稚極まるフェミ本『実践するフェミニズム』を白饅頭と共に絶賛しており、フェミ批判はポーズであると考える他ない*1。何しろ、当イベントにおいても

・フェミニズムに悪いイメージが持たれているが「フェミのことは嫌いでもフェミニズムのことは嫌いにならないでください」


 などと宣っていたのですから*2、お察しです(恐らくですが、上の「フェミ」は「フェミニスト」を指すのだと思われます)。
 同様に、青識陣営に立ち彼を擁護しているのが多摩湖師匠やらろくでなし師匠やらといった、どうしようもない面々。ことに多摩湖師匠に「事実を事実として認識する能力」があるとはとても思えず*3、事態そのものが『ドラゴンボール』風に言うならば「とびっきりの最狂対最凶」の様相を呈しているわけです。
 しかし、ここでぼくが一番興味を持ったのは、まさに本件が石川師匠による「女災」そのものである点です。そう、「女災」とは「女性ジェンダーというものの加害性のため、男性が被る災害」です。そしてそれは端的には「被害者ぶること」。「女性はいついかなる場合も被害者である」との「ジェンダー規範」を「兵器利用」することです。そして、フェミニズムとは「女災」の肯定、女性は(今回の石川師匠のように)「歴史改変」→「冤罪」のコンボを決めることによって男性を殺す権利があるのだとの主張そのものなのです。
 石川師匠はイベントにおいて、

・この場があるのはありがたいこと。青識さんがしっかりハラスメント対策をしてくれた。


 などと宣っておりました(これは会場のヤジを、青識がたしなめた件です)*2
 また、ヒトシンカさんたちによると、師匠は以下のような発言もしていたようです*4


「今までは怖いというのが一番にあって、でも話を聞かないといけないなと。もっと話を、また何か炎上したらこういう会ができたらいい」

「怖かったし、怖いから来れないという人もいた。しかし来た事で、相手の考えがわかってよかった。次はその原因も聞けたらいいと思う。」

「またなんか炎上したらやっても良いと思うが、配慮は必要。今回のようなルールを全員がやれば社会は変わるので、意識改革すべき」


 ところがこの石川師匠、後日、自身のブログでぐちぐちと文句を言い出したのです*5


3つ目。途中から青識さんが私の考えを評価し始めた。
「それは素晴らしい」「それは正解」などなど。その辺りから私の頭は
「あれ?ところでこの人誰だっけ?」となっていた。なんで青識さんが判断できるんだろう。

7つ目。青識さんは会場にむかって大きな声で感情をぶちまけ、会場の方たちから共感を得ていた。そしてとても気持ちよさそうに見えた。

隣から見ていたが、青識さんが一番輝いていた場面だったと思う。でもすごく痛々しく見えた。私との討論会だったと思うのだが、青識さんは誰と何を話していたのだろう。



 ……正直何を言っているかわからないと思います。当記事を「ふわっとした、文章らしきもの」といった批評をしていた人がいたかと思いますが、ぼくも同じ感想を持ちます。
 まあ、青識に対し「エラそうだったから気に入らない」「私より評価されたから気に入らない」とおっしゃっているのだと思います。師匠は何やかやですっかり態度を硬化させてしまい、kutoo運動を先鋭化させる宣言までしちゃっています。
 いえ、実は当記事も、前半ではそれなりに首肯できることを言っている部分もなくはないのですが、後半に進むにつれ、「ポエム」度を増していきます。

そんなに簡単に共感してもらえる部分ではあなたが羨ましいが、私は絶対あなたのようになりたくない。

この会の最後にも私は言ったが、先に加害をした側が被害者ぶるな。 同じだと思うな。


 まあ、何か、女性の中でどう感情が醸成され、「女災」が形作られていくかの、これは格好の実況中継、テキストとなっています。
 以降も事態はくすぶり続け石川師匠(側の人物?)は青識(側の人物?)を痴漢呼ばわりし、また明らかな嘘を吐いたりもしているようなのですが、まあ、平常運転としか言いようがありません。
 ただ、平安和気辺りが本件を石川師匠側の完全勝利、何となれば彼女の方が圧倒的に知名度があるのだから、と言っていましたが、それは正直、あまり同意できません(石川師匠はBBCの「100人の女性」に選ばれた著名人だそうですが、そう有名とは思えませんよね)。
 青識だってそれなりに影響力のある人物なのだから、石川師匠という強者が青識という弱者を利用したというのは、それほど当たっていない。仮に、例えばですがフォロワー数などで石川師匠が青識を圧倒していようと、支持者の熱意という点では青識が上ではないか。だから、「これフェミ」にフェミの出席者はほとんどいなかったのだし、(石川師匠が自身のイベントで本件をダシにしようとしているようですが、同時に)青識もまさに本日、テレビ出演をすることになったのです。

*1「実践するフェミニズム――【悲報】テラケイがラディカルフェミニストとお友だちだった件」及びそれに続く二つの記事をご覧ください。
*2「【議事録+感想】これからのフェミニズムについて考える白熱討論会に行ってきた
*3「献血ポスターの騒動で、フェミニストが遂に「宇崎ちゃん取りやめないなら献血拒否しよう!」と献血拒否を呼び掛け始める
彼女は「フェミニストを名乗るのは止めた、止めた」と繰り返しておきながら近年、また「フェミニスト」を自称するようになってきたのですが、そこを指摘すると、「デマを流すな」と言われてしまいました! 本当に、息を吸って吐くようにウソを吐くのがフェミニストであり、青識はその仲間、なのです。
*4 https://twitter.com/hitoshinka/status/1197301469109604352
*5「11月16日、#これフェミ 私から見えた風景


●その前後の期間、フェミは平等の名の下に女災をもたらすであろう

 女性は受動性を宿命づけられた性であり、男性は能動性を宿命づけられた性です。そうした性質が先天的なものなのか後天的かは置くとして(後天的であるとしたジョン・マネーの実験が捏造であるとバレた、といったお話は今回は置くとして)、まず現実としてそのようになっています。
 即ち、両性共にある種、自分の意志を越えたところで被害者/加害者にさせられる宿命性があるわけです。仮にそのため(例えば、身体能力が男性に劣るせいで)女性が被害者の立場に置かれたら、その女性が不利益を被ることになります。
 フェミニズムとは、この状況を絶対視し、女性ジェンダーのメリットから全力で目を伏せることで成り立っているガクモンなのですが、もしその被害者性に理がなかったら(要は冤罪であったなら)ことは男性の側の、圧倒的な不利益です。
 さらに言えば、女性は(ことに性的な場で)男性を加害者に仕立て上げる強力な動機を持っています。
 ぼくは『女災』において、

女性のセクシュアリティの本質は、男性を悪者にすることそのものなのです。
(161p)


 と表現しました(強調原文ママ)。

彼女らは自己愛を満たすために、男を悪者に仕立て上げます。恋愛や結婚における責の全てを男に求め、或いはまた自分が男から求められているのだ、という幻想を満たすために男を悪者に仕立て上げ、その結果、相手を殺します。
(157p)

 少なくとも立場的に弱い男性を「ストーカー」、「セクハラ加害者」扱いしてのいじめ、いやがらせとなると、日常的に広範に行われていると考えざるを得ません。そしてそういった行為に女性故の優越感を感じることの快楽がいささかも伴っていないというのは、どうにも考えにくいことです。
 何となれば、先に書いたように「男性から求められること」そのものが女性のセクシュアリティであり、アイデンティティの根幹をなしているからです。故に、彼女らは自らの欲望をつまびらかにせず、覆い隠すことで「男性から求められ」ようとします。
(160p)


 そして、性的な場でなくとも、何かと言えば自分を被害者の位置に置きたがる女性というのは、確かにいます。それはそうした「女災」がいかに自分に旨味を与えてくれるかを知ったが故の行動なのでしょう(そのプロになった女性を、我々はフェミニストと呼ぶのです)。
「これフェミ」は性的な場ではなかったはずなのですが、石川師匠は青識が「エラそうだったこと」「ちやほやされていたこと」を「ひがんでいる」ようにしか見えない辺りは示唆的です。「私は注目を浴びようとモデルに、フェミニストになったのに」との不満が、石川師匠の本音ではなかったでしょうか。そしてその「注目を浴びる」こと自体が、女性にとっては非常に性的な意味あいを持っているのです。いえ、ぼくの目からは青識もまた、鼻の下を伸ばしてフェミをデートに誘ったようにしか、見えないのですが……。

●フェミの支配の2000年が過ぎた。2019年、同じものがその体制を保つだろう


 ただし、先に引用した*2においても青識がエラそうであった、パフォーマティブであったことをかなり否定的に書いている箇所があります。青識が相当に図に乗っていたことが窺い知れるわけですが、これも仮に男女の性的関係に準えて表現するならば、例えば「おkを取ったと思い、女とやったら後日レイプだと訴えられてしまった」、即ち「能動性を期待されているがための被害者性の発露」であったと言うことができましょう。
 性的な場において「男の誘い方がキモくなかったら、ヤれる」。しかし女の方も気が弱く、「何か、断りづらくその場ではおkしてしまったが、本音を言えばキモかった」といった状況があり得る。
 そうなると、「レイプだったこと」に、後づけでなってしまう可能性が大いにある
 本件でも、石川師匠の後出しじゃんけんに対して「何故、イベント当日のその場で言わなかったのだ」という反論がありました。しかしまあ、「お気持ち」としては「何か、言いづらかった」のはわかる。ただ、となれば石川師匠も、後出しで本音を言うことは悪くないが、同時にその時に言い出せなかった自分を省みることも必要であったでしょう。
 ところが、「女災の体系」である「フェミニズム」はそうした「反省の心」を彼女から奪ってしまったのです。
 さて、しかしです。
 果たして青識はそんな、石川師匠に怒る権利を持っておいでなのでしょうか。
 ここで先にも書いた(*1で詳しくレビューした)、青識ご推薦の書、『実践するフェミニズム』を開いてみましょう。同書の16pには「両者の合意があればセクハラにならない」としながらも、「しかし相手がエラければ断れないじゃないか(大意)」と主張する箇所があります。また、マッキノン師匠の「女性は沈黙をもって拒絶の意を示す傾向にある」との説を引用し、「見かけは喜んでいるように見せて巧みに男性の面子を立ててや」るのだとも言います(18p。強調ママ)。
 こんなものを手放しで大絶賛していた青識に、果たして後出しじゃんけんを責める資格があるのでしょうか。
 牟田師匠はまた、「女はNOと口にしないことを規範とされてきた(大意)」と称します(121p)。何しろ、そもそも「女言葉には最初からNOを意味する言葉が用意されていない(大意)」のだそうです。また師匠は女言葉というのは近代社会において生まれてきたものだと言っており、これは恐らく近代における男性支配社会が女の抑圧を始めたのだ、との史観によるものなのでしょう(もちろん、中世にはレイプはなかったのでしょうね)。
 また『部長、その恋愛はセクハラです!』においては(何という象徴的なタイトルでしょう!)

女性の気持ちとしては、本当に「セクハラかどうかわからない」のです。
(p60)


 などとすら言っているのです(むろん、しかし、後づけでセクハラだと感じたら、男は逮捕されるべきなのです!)*5
 逆にいえば、このようなロジックを導入することでしか、ドゥオーキンの「全てのセックスはレイプである」との論法を維持することは、難しい。しかしながら、そんな狂った本を、青識は称揚しているのです。
 全ては、自業自得でした
 彼はフェミニズムへと妄愛を捧げ続け、しかしそのフェミニズムの本質については、けし粒ほども理解が及んでいなかったのです。
 そしていまだ淫夢から覚めない青識は、石川師匠を擁護し、「だから、今一度、みなさん、人格攻撃をやめて、寛容の精神に立ち返りましょう。」、「どうか。このような対話の場を何段にも重ねていきましょう。」などと言っています*6
 フェミニストの延命だけを使命としてこの地上に派遣されてきた青識にしてみればそれでいいのでしょうが、オタクを、男性をこれ以上巻き添えにするのは止めていただきたいところです。

*5「部長、その恋愛はセクハラです!(接触編)
*6「討論会後記:それでもなお、寛容と対話を(青識亜論)
何しろ「フェミニズムに帰依せよ」と言っているだけの内容で、「ふわっとしたポエム」というのなら、こちらも相当なものです。


●フェミがリーク情報を受け取るであろう時に、私の予言は成就し、終わる。

※さて、ここから最後の節なのですが、これ以降はnoteで課金の上、お楽しみください。まあ、概ねの主張はここで終わっていますが……。


2014女災10大ニュース

2015-01-09 11:41:53 | 女災対策について
 早いもので、今年ももう僅か十一ヶ月と二十日を残すのみとなりました。
 みな様、年越しの準備はお済みでしょうか。
 ……リクエストがありましたので一応、歌丸師匠のネタ、やってみました。

 というわけで、今更なのですが去年年末に書いた2014年の女災ニュースについて投下します。
 次はもうちょっと早く更新しますので……。

 以前、親フェミニズム的な「男性差別クラスタ」の人がぼくを「何だこいつ、性犯罪冤罪だけが守備範囲なのか」と評していたことがありました。
 いえ……ひょっとすると「痴漢冤罪」といった言葉だったかも知れません。そもそも「性犯罪冤罪」という言葉すら、DV、ストーカー、セクハラ冤罪などの全てを包括するためのこなれない造語です。わざわざそうした言い方をしなければならないのも、これら諸冤罪が同質のものだという認識すら、今の社会では大変に希薄だからです。
 繰り返しますが、「女災」とは「広義の性被害冤罪」です。
 男性が女性から被る厄災の全ては「広義の性被害冤罪」、即ち「女性ジェンダーのために、不当に加害者に仕立て上げられること」です。
 フェミニズムとは「全てのセックスはレイプである」とのおぞましい思想ですが、とは言え、ある種の「暴論」としては、これもわからないではない。
 それに倣うならば女災とは、「女性と男性とのかかわりは、その全てが女性から男性への性被害冤罪である」との認識、なのです。
「セクハラ」概念が登場した時、「ある意味、男性に一瞥されるだけでもセクハラ足り得る」といったフェミニストの物言いに、男性たちは戦慄しました。
 が、それもわからないではないのです。
 しかしそれは同時に、逆に言えば「ある意味、男性が女性を一瞥した瞬間、それが即ち性犯罪冤罪につながり得る」との認識と対になるべきものである、というのが「女災」概念の根本なのです。
 ――以上のようなことを念頭に、即ち以下に並べることは全てが「性犯罪冤罪」なのだ、と頭の片隅に置きつつ、本稿をお読みいただければ幸いです。

 【第10位】従軍慰安婦問題

 これについては、本当ならば第一位でいいくらいなのかも知れませんが、正直それほど知識もなく、ある種のケリがついた後でドヤ顔になるのもどうかと思い、最下位にランクインさせました。
 いわゆる吉田証言が撤回されてからは、『朝日』などは「広義の強制性」があったというロジックで戦っているようですが、何、あらゆる性行為は全てレイプなので、強制性は常にあるのですな。
「全てのセックスはレイプである」との(空疎で無意味な)極論は即ち、それ自体が「女災」でしかない。
 左派の人はやたらと相手を犯罪者呼ばわりするのが好きですが、それ自体が犯罪だ、みたいなことを連想する話です。

 【第9位】小保方さん騒動
 
 【第8位】『ガンダム』論争に巻き込まれる


 二つまとめて。
 まず小保方さんについては、彼女を「サークラ姫」と解釈しての言説が目立ちました。
 そしてぼくは今年、「サークラ姫」とは、ホモソーシャルという愚かな概念に対するカウンターだ、との主旨の発言を、幾度かしてきました。

瀬川深のホモソーシャル論が伊集院光並に面白い件(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar626412)

 一方、『ガンダム論争』もまた、必死になって「ホモソーシャル」を捏造して敵に濡れ衣を着せようとする愚かな人々の暴走行為である、と論じてきました。

「ホモソーシャル」というヘンな概念にしがみつく人たち (http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/c3d3192edc370c5d58eb40d28cd09a09)

「女子力」が男性コミュニティを破壊すること。「女子力」の肯定に躍起になって、男性自身が男性コミュニティを破壊する、言わばサークラ姫の代行業となってしまうこと。
 これらの本質は「女性ジェンダーの及ぼす男性への厄災」、即ち「女災」だったのです。

 【第7位】例の問題その後(その一)
 【第6位】例の問題その後(その二)
 【第5位】例の問題その後(その三)


 詳しくは書けませんので要点だけを述べさせていただきます。
 最近、「彼女」はぼくの振る舞いについて触れ回るようになりました。ぼくが「ネット上で相手を女性だと思い込み、罵倒し、しかし男性だと知って慌てふためいた」のだそうです(その一)。
 何の件を指しているのかわからない以上、「絶対に違う」と断言はしにくいのですが、まず99.99%、「彼女」の思い込みでしょう。
 少なくともぼくにそうした記憶はないし、そもそもぼくは男性にだって言いたいことをさんざん言っているのですから、「男性だと知って慌てふため」く理由はありません。これは「兵頭はミソジニストであってほしい」との彼女の願望が生み出した幻覚でしょう。
 これ、性犯罪冤罪と構造がいっしょですよね。
 また、「彼女」は当時の経緯について最近、「兵頭がIの件について彼女に言いつけたが、自分は我感知せずと退けた」というものであったと、事実とねじ曲げて語るようになりました。それはまるで、後づけで「あれはレイプであったのだ」と語る人のように(その二)。
 これ、性犯罪冤罪と構造がいっしょですよね。

「フェミニズムを叩く女は誰のおかげで殺されずに済んでるか分かってるの?」の元のやりとりでフェミニズムの話はされていたか?
(http://togetter.com/li/711846)

 もう一つ。また別な「彼女」はぼくのブログなどにおける活動について、「これ以上我々を批判すると訴えるぞ」と脅してきました(その三)。
 これ、性犯罪冤罪と構造がいっしょですよね。

 【第4位】藤本師匠とのニアミス

 詳しくは以下参照。

重ねて、ラディカル/リベラルフェミニスト問題について
(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar636635)

 藤本師匠と初めて、「タイマン」で対話を持ちましたが……。
 オウム事件で、逮捕された時の麻原彰晃の態度が非常にみっともなかった、といった一幕があったかと思います。テレビで現場レポーターが「言うまでもなく私はオウム信者などではなく、麻原への信仰心など全く持ちあわせていませんが、それでもどこか幻滅めいた感想を持ちました」と語っていました。
 本件でのぼくの感想もそれに近しいものです。申し訳ないけれども、彼女の対応はあんまりという他ありませんでした。一応、藤本師匠はフェミニズム界でも大物に入ると思うのですが。
 ぼくはフェミニズムを「女性ジェンダーという名の伝統芸能の保存運動」、「学術的に作り上げた女性ジェンダーのダミープラグ」などと形容してきましたが、本件でもそれが証明されたように思います。
 フェミニストは常に自らが被害者として振る舞うことに特化した存在、要するに「女災」そのものだということです。

 【第3位】『男性権力の神話』の出版

 これだけはトピックそのものは「女災」ではありませんが……。
 本書については二回、採り上げました。

男性権力の神話 《男性差別》の可視化と撤廃のための学問(その2)
(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar553641)

男性権力の神話 《男性差別》の可視化と撤廃のための学問
(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar548298)

 とにかくデータが豊富で、必読の書です。
 お持ちでない方は、(高い本ですし)図書館に購入してもらってはいかがでしょう。
 しかし本件で驚くべきは訳者が親フェミニズム派だという事実ですw

 【第2位】ろくでなし子、北原みのり逮捕

 これについては

デコまん
(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar595540)

『毎日変態よい子新聞』、もとい『毎日小学生新聞』が小学生相手に「ま○こまん○」と連呼した件
(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar656835)

 の二件、またASREAD様でも記事を書かせていただきました。

僕らがろくでなし子に抱く違和感はどこから来るのか――フェミニストが「性表現」で逮捕される時――
(http://asread.info/archives/1331)

 何というか、本件についてはフェミニズムの奇矯さが世間に知れ渡るという点はメリットですが、裏腹にオタクが巻き添えにされるというデメリットが生じた、という感じです。
 これもまたオタクへのとばっちり、「女災」ではあるのですが、しかし更に言えばオタクのマジョリティは本件に冷めきった感想を抱いているように思え、両者の溝が深くなった点はよかったとも言えましょう。
 CRACを巡るオタク界の上層部とマジョリティとの乖離含め、この傾向はこれからいよいよ強まっていくことでしょう。

 【第1位】ドブスブーム

 去年の第1位は「喪女ブーム」でした(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar423101)が、本年は「ドブスブーム」です。
 両者は対をなす概念と言ってもいいかも知れません。
「喪女ブーム」は「ぼくたちがもこっちに萌え出した」ことを指します。
 が、本年のこれは、本来なら(恐らく)もこっちのような扱いをされることを拒んでいたはずの女性たちが、居直りだしたこと、の現れではないでしょうか。
 少し前、ツイッターで「伊集院光はラジオでよくブスネタをやる。しかし今時、テレビメディアではそうしたネタはやれない」とつぶやいたところ、誰かから「いやそれは違う、結構テレビでもブスブス言っている」と言われました。
 ぼくはあまりテレビを見ず、確かにそう言われると「なるほど」と引き下がるしかないのですが――最近、ちょっと気づいたことがあるのです。
「CMなどでやたら、ブスとイケメンの組みあわせが目立つようになったよな」と。
 ブスがやたらとイケメンにしつこく絡み、イケメンもさすがに嫌がってはいるが、(見ようによっては)何のかんの言ってこの二人いいムードだよなと取れなくもないこともない、という。
「ジャイ子が成人後美人になっている」という実写版『ドラえもん』のCMもこの一ヴァリアントと言えましょうし、本年度の戦隊『トッキュウジャー』では女モンスターとイケメン王子の結婚が描かれましたが、これもまたしかり、でしょう(考えると801ちゃんを化け物的に表現している時点で、このブームの下地はあったわけです)。
 ぼくが何度も言及している『ダンガンロンパ』の腐川冬子、十神白夜のカップリングも同様です。美形の御曹司、十神に喪女の腐川がつきまとっている、という図式であり、普通に解釈するならば十神は腐川を嫌っているようにしか見えないのですが、実に巧妙に「取りようによっては、十神の態度はツンデレで実は満更でもないのだと思えなくもないこともない」ような仕掛けが施されています。このゲーム、発売はかなり前ですから、こうなると「ドブスブーム」自体は結構以前からあったことなのかも知れません。
 例えば一昔前の少女漫画などで、ヒロインは「何の取り柄もない平凡な少女」と設定されつつも、ひとまず可愛く描かれていました。が、とうとう女性たちはそうしたナルシシズムへの執着すらも手放しました。
 何だか恐ろしい女災のフラグが立ったのではないか――といった辺りで、続きはまた、来年。