フェミニズムに対してある程度厳しい批判をした拙著が、フェミニストたちに陰口をたたかれたことは今までにも幾度か書きました。むろん、それ自体は想像のできたことではあります。
が、そうした中でも「男性フェミニスト」たちの罵詈雑言たるや、ある意味では女性フェミニストよりも支離滅裂な感がありました。
有村悠さんという、『ユリイカ』に書いていらっしゃるライターの方は、(ご本人のブログをちらちらと見ると、若い男性なのですが)典型的古典的なフェミニストのご様子。ぼくや、Amazonで拙著に肯定的な評価を下してくださった方々までを
バカか?
どっから湧いてきたんだお前ら。まあどこぞで見たようなネットスラングがレビュー内に出てくるあたりからも、どういう層が読んでいるのかは手に取るようにわかるのだが。
とこき下ろすという男らしさ。更にぼくの本をご覧になっていないようなので「読んでから貶してくれ」とブログで申し上げたのですが、ご本人は意にも介さないご様子で、
バカじゃねえの?
残念ながらこの本にそんな必要は認められない。表紙からわざわざネガキャン張ってくれてありがたい限りだ。(引用者註・読む必要はない、表紙も読む気を起こさせるものではない、との意味のようです)
などと得意げに絶叫しておいででした(しかしこの種の「読まずに貶す人」って、往々にして貶す点に困って表紙に言及したりしますよね)。
いずれにせよ読まずに貶すことに全くブレのないこの侠気、『ユリイカ』のライターはやはりモノが違う、と申さねばなりません。
しかし。
ここまでフェミニズムの全てを受け容れようと必死の彼なのですが、ちょっと調べてみるとフェミニストたちに蛇蝎の如く疎まれているご様子なのです。
いえ、ぼくもそれほどちゃんと調べたわけではないのですが、彼は2ちゃんねるのネットウォッチ板にスレッドを立てられ、そこで彼を監視しているのがどうもフェミニスト諸氏であるご様子。
(´;ω;`)ウッ…可哀想すぎます。
思考の一切を停止してまでフェミニストに媚びを売り続けてきた彼が、何故そのフェミニストからすら、一片の愛すらも与えてはもらえないのか。
さて、ここでぼくたちは彼と似た境遇にある人物のことを、想起せずにはおれません。そう、ツイッター芸人の東浩紀師匠ですね。
彼もまた思考の全てを放棄してフェミニズムの理論を受け容れておきながら、フェミニストたちから「性犯罪者、死ぬべき」とまで言われてしまいました。
(´;ω;`)ウッ…可哀想すぎます。
何故彼らはここまで報われないのかを考え、脳裏にかすめたのが『ときメモ』です。
恋愛シミュレーションゲームの先駆けとも言える本作、女の子とつきあって親密度を増していくゲームなのですが、複数の女の子と親密度を高めすぎると、「嫉妬爆弾」が膨らみ、女の子へのフォローを怠るとそれが爆発してしまうのです。どうも、この辺りに秘密がありそうです。「女の子には親切に」と思って女性に分け隔てなく接している男の子は、或いは決してモテることなく、生涯を終わってしまうのではないでしょうか。ましてや、自分以外の女性の全てを深く深く憎んでいる女の子が、攻略ターゲットの場合は……。
東師匠をバッシングしているフェミニストたちの言を、少し詳しく見ていきましょう。
と言ってもぼく自身、前回は「(フェミニストの言は)採り上げるべき価値のあるものはほとんどありません。」と書きましたし、その見解は今も変わっていません。
彼女らの罵詈雑言はとにかく東師匠がペドファイルに親和的なことを言った点に向けられており、ただその時点で絶対的に許すことができないのだとの彼女らの意見は、「作中の行動を肯定しているわけではない」としつこいくらいに前置きして、「しかし胸を打つ点がある」としている師匠の発言とは見事なくらいに噛みあっていません*1。
*1余談になりますが、東師匠はペドファイルというものを成人女性からの逃避であるという前提で、
成人女性の面倒くさいセクシュアリティに直面するのが男性にとっての正義だとは、まったく思いませんね。(だって性別逆にしたら、女性もそう言うんじゃないの?w)
とおっしゃっています。
これはなかなかラディカルな女性批判です。そしてまたここには、「ジェンダーフリーを謳うフェミニストであれば、男だって男らしさを強いられてつらいのだとの自分の意見にも賛同してくれるはずだ」との、男性フェミニストにありがちな女性フェミニストへの仄甘い幻想も垣間見られます。
しかし残念ですが、フェミニストはここに真っ先に、「女のセクシュアリティから逃げるな」と噛みついていらっしゃいました。フェミニストを含めた全女性は、「女性性の旨味は捨てず女性性の不利さには青筋立てて金切り声を上げる」という筋金入りのダブルスタンダードの塊であり、彼ら男性フェミニストたちの純情な正義感は、女性フェミニストには決して通用しないものなのです。
ただ、とは言え。
しかし東師匠にも瑕疵はあります。
見ているとフェミニストたちの発言には
セクシャル・マイノリティの人は怒っていいと思うよ「一緒にすんな」って
共謀して連続ロリレイプする性犯罪者を描く児童輪姦漫画を「セクマイの話し」という東浩紀。大学教授なのに性犯罪者とセクシャルマイノリティの区別もついてない。
などといったものが散見されます。
確かに漫画で描かれたキャラクターは性犯罪者でもあるけれども、同時にペドファイルでもあるのだからセクシャルマイノリティじゃん、区別がついてないのはお前らじゃん、と思ったのですが、しかし。
ぼくもこの話題について女性フェミニストとちょっとだけ話したのですが*2、その方は東師匠が「ホモ」と「ホモソーシャル」とごっちゃにしていることに、大層お怒りでした。
*2経緯は論争相手が「痴漢冤罪と自意識過剰について」(http://togetter.com/li/164764)にまとめてくださいました(どうもこの相手は恣意的に自分の発言を削除している気がするんですが……)。
面倒なので、未読の方は前回のエントリでぼくが引用した、東師匠の発言を見ていただけるでしょうか。師匠は「その場面は実にゲイ的。」「非モテ若者におけるホモセクシュアリティ」と繰り返していますが、ここは普通に考えれば、「友情」との言葉が入るべきところです。
そこを彼は、「ゲイ的」「ホモセクシュアリティ」との言葉を間違って入れてしまっている。
何故でしょう。
国語の時間に昼寝していて、「友情」という言葉を教えてもらえなかったのでしょうか。
そこを踏まえてもう一度フェミニストたちの言葉を読み返してみましょう。
東浩紀周辺と唐沢俊一岡田斗司夫山形浩生周辺のホモソーシャル軍団同士で合戦してとっとと両方滅びてくれ。
きっとあずまんはホモソーシャルな関係が大好きだと思う。
といった具合です。
ホモソーシャルという言葉が最初から政治的意図を持って捏造された造語であることは、ここでは繰り返しません(『友達がいないということ』、『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』、また東師匠がオタクをホモソーシャルであると言い立てた経緯について書いた『東浩紀「処女を求める男性なんてオタクだけ」と平野騒動に苦言』、『東浩紀「処女を求める男性なんてオタクだけ」と平野騒動に苦言(その2)』を参照のこと)。
この経緯は、フェミニストたちが「男の友情」をネガティブな「ホモソーシャル」という概念へと貶めたという背景がまずあり、その後に男性フェミニストが「良き男の友情」(という、彼らの世界観の中ではあり得ない概念を彼らの世界観にそぐうボキャブラリィで)を表現するため、やむを得ず、「ゲイ的」、「ホモセクシュアリティ」と形容し、教祖サマたちの憤激を買った図、という具合に考えることができます。
何だかフェミニストたちと東師匠が先を争ってホモのご機嫌伺いをしている光景が見えてくるようで、気分が悪くなってきます(そもそもペドファイルが成人女性からの逃避だと断ずるなら、ホモだって女性からの逃避でものすごくケシカランことのような気がするのですが、彼女らがそういう主張をするのを耳にしたことは一度もありません)。
しかしただ、実際にこの「ろりともだち」を読了した後では、ぼくにはまた別な感想が沸き上がってきます。
前回のエントリで書いたように、本作は大変に優れた、友情の物語です。
やっていることは幼女レイプというどうしようもないことですが、そこには「ダメな形でしか築けないダメな友情」というものが余すことなく、描破されています。
もう一度確認しましょう。「ホモソーシャル」という概念を戯画的に表現するのであれば、例えば、
男同士が「勝負だ! 今日こそ決着をつけてやる」と殴りあっているその傍らで美少女キャラがパンチラして「いや~ん」と言っている。
と、そんな感じでしょうか。
フェミニストたちは今まで、そんな他愛のない漫画に対して「絶対に許せぬ」と舌鋒極めて攻撃を繰り返していました。
が、上の例と「ろりともだち」の構造ってすごく似てないでしょうか。
よく考えると本作に登場する何人もの幼女たちは、ある意味、「赤井」と「山崎君」の友情のダシにされているだけで、「愛」を受けていないのです。
「愛」しているのなら、幼女をレイプしてもいいのかと言われれば、むろんそんなことはあり得ません。しかし例えば、アブないペド男が女子小学生に「ホンキの恋心」を抱いてレイプしてしまう、そんな漫画だって恐らく『LO』を読めば転がっているはずです。
むろん、ここで東師匠を叩いているフェミニストたちがそんな漫画であれば評価する、というのは考えにくいですが、しかし彼女らがそうした漫画よりも本作にこそ、憎悪を燃え立たせてしまったことは事実です。
町田ひらく先生がフェミ系の女性たちにも大人気なのと、えらい違いです。
これらを考えあわせると、何となく彼女らのメンタリティが仄見えてくるのではないでしょうか……?
最後にスペシャルボーナスです。
もう一つ、連想したことを書いて本エントリを締めたいと思います。
『テルマ&ルイーズ』という映画をご存じでしょうか。
ご存じない方はリンク先を辿っていただきたいのですが、要は主役の女性たちが自分をレイプしようとした男性を射殺してしまったことをきっかけに逃避行を開始する、女性版アメリカン・ニューシネマ。「ろりともだち」のフェミニスト版とでも言いましょうか(当然、何の罪もない幼女をレイプしている作品とは質が全く異なることは、言うまでもありませんが)。
これが公開された時、フェミニストたちは大喜びでこれに飛びついて、上映会を兼ねたシンポジウムなども開かれたと言います。当時山崎浩一さんがこの現象を『男女論』で採り上げ、フェミニストはマチズモの塊だ、と批判なさっていたのを思い出します。
フェミニストたちに「いかに相手側に非があると言えど、殺人犯を称揚するような態度はどうか」と言ったら彼女らはどんな顔をするのでしょう。
「これは映画だ、現実と虚構の区別くらいつけろ」と、冷静におっしゃってくださるでしょうか。
いいえ。
「レイプ未遂男など殺されて当然だ、二人は何も悪くない」
そんなことを、彼女らはおっしゃるのではないか……との不安を、ぼくは拭いきれないのです。
――さて、また随分と文章量を費やしてしまいました。
フェミニストへの毒は大体吐き終わりました。
が、ぶっちゃけこの種のレイプ漫画は行き過ぎではないか、との感情はぼくにもあります。
次回は更に、ロリコン側の支持をも失うべく、そっち方面を叩く文章で行こうかと。もう少し、おつきあいいただければ幸いです。
ここ泣けた!!ww
愛と言うより、復讐の対象? みたいな。
精液かけてよろこんでるとかさ。
世界中から愛されないふたりぼっちが、世界中から愛されるであろう女児を凌辱することで、なんらかのカタルシス感じる訳だよね。
あれやってみたいこれやってみたいというタブー破りでヒーロー気分も味わえて。大人のピンポンダッシュみたいな感じ。
ロリでも何でもない気がする。
愛がなければ性愛でもないし。
復讐したい世界のアイコンが幼女で、実現可能な征服対象。
「めんどうくさい女のセクシャリティ」は攻略不可能だろうしね。
当人たちは、いたずら気分なんだよ。
同人作ってみたいとかも、ロリオタ体験をなぞりたいということで、本気のロリータコンプレックスがあると言う感じじゃない。
自分たちに見合った役割を演じる感じかな。
偽悪的キャラとしてのキモオタ ロリオタみたいな。
同人本当に作りたい人は、レイプよりもそっちが楽しいのね。きっと。
普通の同人作る人が、リアルなセックスよりそっち選ぶようなもんで。
あと、こういう女性を抜きにした友情って、ナンパ物の定番かもしれない。
男の友情が主で、遊びとしてのガールハント。
3Pとかできる男同士って、ろりともとそんな変わんないゲイっぽさがあるってことになっちゃうよね。
ナンパって基本男二人なんだよね。
自分の容姿なりなんなりで、一番居場所を得やすいのがオタクだというもくろみでオタクサークルに入ろうとするも、そこすらはじかれてしまうんだよね。
オタクが一般化した社会ではオタクの中も階層化しているのかも。
げんしけんみたいなのは、オタクのリア充になっちゃう訳だよね。
あのメンバーがレイプツアーなんか絶対やんないしね。
秋葉原大量殺人の彼がネットに居場所を築こうとしたのと同様、ここにいてもいいと言われる場所を求めてる感じ。
なんせそこは勘違いとずれがあるから、オタクでもベドはキャラ立ちして見えるとか思うのかな。オジーオズボーン的な目立ち方。
最終的には、普通に友達を作って楽しく遊びたかったってことだよね。
それがレイプツアーでも。
拒絶され続けた嫌なことしかなかった人生で、最後は楽しいことだけして逃げ切りたい そういう願望かな。
死ぬ前に豪遊したいみたいな。
そんな人たちを相手になさっている兵頭さんには本当に頭が下がります。
それはさておき。
女のフェミの言動をこうして子細に見ていくと彼女らの行動原理は嫉妬、それに基づいた男への逆恨みなんですね。
女の私の相手をしてくれないのが許せない。だから男同士の友情を認められない。
成人した私の相手を以下同文。ゆえにペドファイルも許せない
根っこにあるのが私利私欲丸出しの嫉妬だから、自分たちを縛るセクシュアリティを憎悪しながら男には同じセクシュアリティを強制して悪びれることもない。
どこまでも醜く、おぞましい存在です。
そんなにフェミたちにいわば「惚れて」しまった東先生はある意味かわいそうな奴なのかも知れません。
フェミに必死で媚びつつも今回のように罵倒され、それでもフェミに尽くして他の男性を嘲笑し続ける彼の姿は惚れた弱みで振り回される哀れなピエロそのものです。
余談かも知れませんが、上記のような師匠の姿を見て一つ思い出しました。ユダヤ人の強制収容所で囚人たちを直接に監督し、つまりは直接に虐待や暴行を加えていた連中の多くは、同じ収容所から選ばれたならず者のユダヤ人同胞だったそうです。あくまで余談ですが……。
(或いは初めましての方でしょうか?)
>そんな人たちを相手になさっている兵頭さんには本当に頭が下がります。
ありがとうございます。
まあ、どっちかと言えば「相手にされてない」んですが。
確かに「有名人だから」という理由で「相手にされてしまった」東師匠こそ災難かも知れません。
>女の私の相手をしてくれないのが許せない。だから男同士の友情を認められない。
そうなんですよね。
今回の漫画においても「ホモソーシャルだから許せん」なんていう文句の付け方をしている人は一体何がしたいんだと思います。
まだしも「レイプ漫画は許せん」と言っている方が心情としては理解できます。
>つまりは直接に虐待や暴行を加えていた連中の多くは、同じ収容所から選ばれたならず者のユダヤ人同胞だったそうです。
いや、今はもう、「ユダヤ人を虐待したいユダヤ人」が多すぎて、虐待対象のユダヤ人を血眼になって捜している段階ですねw
師匠たちは自分のような人間の方がむしろ多数派だと気づかずに、いまだ「俺だけはユダヤ人の中でもナチスのエラい人たちに愛されてるんだ(キリッ」と誇らしげな気の毒な人たちです。
あ、すいません。たしか爆笑問題の回あたりから書き込みをさせていただいている者です。
>「ホモソーシャルだから許せん」なんていう文句の付け方をしている人は一体何がしたいんだと思います。
本当ですよね。連中にとって男同士の連帯というのは是が非でも悪ということにしたいようです。
まるで民衆の団結を恐れる独裁者。そして民衆より独裁者グループの方が数にまさるというのが現代の男性の置かれた絶望的立場な気がします。悲観的すぎでしょうかね。
>まるで民衆の団結を恐れる独裁者。
これは面白い指摘ですね。
フェミニストは「男たちがつるんでおまんじゅうを独占しているのだ」と言い続けてきたけれど、今となってはネットに怯える為政者みたいな状態です。