天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

2019-07-03 18:40:18 | 日記
日本のアスリートで井上尚弥、大谷翔平以外に、世界に伍して頼もしいパワーが出現して心強い。バスケットの八村塁とショートスプリントのサニブラウン。2人ともインタビューを受けると、異風の愛敬ある顔でコテコテの日本語を喋りだすのが、意表を突かれて魅力を感じてしまう。滅茶苦茶強くても、現役時代の落合博満(元中日監督、三冠王3回日本一)や隆の里(元横綱、故鳴門親方)みたいに、ワシら芸者じゃないんだから愛嬌じゃなくて実力を出せばいいんだろうと肩で風を切られると、怖くなってつい敬遠してしまう。日本人は巧言令色を軽蔑するものの、人間は疑心の動物だから、いつも優しい言葉を欲しがる西洋女性風の心理に陥りがちとなる。この点、強くて愛嬌があっても、大坂なおみの表現力に、いま一つ物足りなさを感じてしまう。人の心は、たとえケミストリーが合っても、コミュニケーションが合わなければ、心底からの親しみがわき難い仕組みになっているのではないか。
映画『新聞記者』を観た。ヒロインが韓国女優であった。親しみの持てる美人で、演技の表情も迫真力があったけれど、セリフがスムーズでなく、もどかしかった。キャスティングの背景を知る由もないけれど、思うにこんなシリアスな題材に合う日本女優が見つからなかったのだろう。辺野古基地などに発信するローラがテーマ的にはぴったりであるけれど、官房長官ッたら私に何にも答えてくれない、プウーと頬を膨らませるイメージがまとわりつく点が映画の流れにふさわしくなく、起用できなかったのではないか。だいたい、可愛げではあってもキャッきゃ騒ぐだけか、急に泣き出したり怒り出したりするのが迫真の演技と勘違いしている日本女優連に食指が動かなかったのだと想像できる。政治環境的にも、ひょいと出演すれば、その女優は棒演技で有名だとネットで辻斬りのように罵られるのだから、そんな劣悪な労働事情の下、日本以外のキャストを求めたくなるのも理解できた。
日本の女優、タレントに華がある者が見当たらず、演技も芋か棒だと非難されているうちは良いけれど、あまりにもジャーナリズム的に売れる素材に乏しいため、その人身御供として矛先が皇室に向かっているのが遺憾である。本来、タレントに向くべき雑誌ネタが、購買意欲をくすぐるキャラクターがないばかりに、やれ真子さまだ佳子さまだ愛子さまだ雅子さまだと、芸能界に消滅したスター性のあるやんごとなき方々に向くのは不幸極まりない。紙媒体がマンモスのように絶滅寸前の状態にあり、必死に獲物をハントする姿は浅ましく、最後に足掻けば足掻くほど頓死を早めるだけという気がする。ジャーナリズムに品性を求めるのは元より愚かなことではあるけれど、見てきたような想像だけの中身の薄いネタだけでは、煽情性こそを喜ぶ頭の薄い読者層にも、すぐ飽きられてしまうだろう。それでも書き手の生活の都合もあるから、芸能界の闇営業のような記事が無くなる心配はない。
鬱陶しい上、天気も悪いので気分転換のため、娘の家で飼う子猫の様子を見に行った。20年前に沖縄の動物愛護センターで貰ったわが愛猫と同じ年頃で、生前を懐かしんだ。風呂に入れたら、気持ちよさそうに糞を垂れまくったのには参った。子猫のくせに思い切り飼い主の腕を噛みちぎり、血が噴き飛んだ時は叱り飛ばした。同じ捨て猫でも、別の生き物のように性が穏やかで人懐っこい。たまに会うだけなのに、おとなしく抱っこされてくれる。でもやっぱり、死別してまだ1年ちょっとなので、あの温もりとずしんとした重みには敵わない。

顔よりも 詞に顕はる 人となり
鞘を放たば 竹か刃か