けさは盛夏が影を潜め、秋の気配が忍び寄っていた。本日はちょうど二十四節季の処暑か。慌てて言い間違えると、また顔が熱くなりそうな日である。
娘一家が主に鉄道を使って京都旅行をして2週間ほど間をおいて土産を持ってきてくれたけれど、大丈夫のようである。コロナ警戒も半年以上、緊縛状態に居ると飽きる。個人的には収束宣言を出したけれど、まだまだ世間が煩い。
仕方なく家に籠もってプライムビデオと麻雀ゲームに没頭するしかない。古いTV番組で『日本ボロ宿紀行』というのが見つかった。かつて1曲だけヒットしたあと、鳴かず飛ばずの中年男歌手が女性マネージャーに連れられ、地方営業ドサ回りの旅をする話で、宿代節約のため年季の入った風情があると言えばある宿を渡り歩く。先々で起きるペーソスのある悲喜劇の筋も面白いけれど、一番気に入ったのは各話毎の冒頭のナレーションである。
「どこもかしこも似たような駅前の風景。私はこういう東京の景色が嫌いだ。そして2020年。東京オリンピック開催に向けて再開発が進み、街は新しくなっていく。でも、日本はまだまだ……」と言うので、あとは当然「捨てたものでない」と続き、地方に残る良さを紹介していくドラマかと思った。ところが実際は、「廃れている」だったので、何じゃこりゃと違和感唐突感に耳を疑った。しかし、冷静に耳朶に残る声を再生して、じっくり聞き直すと、全く違和感が無くなり、むしろ日本を上手く言い表しているではないかと感嘆した。
コロナ以降の日本のドタバタ、持続化給付金やGo Toキャンペーン事業の運営手法などを見ていて、この国はどうなってしまったのだろうかと頭を傾げるだけで、適語が思い付けなかった。そのもどかしい気持ちが、「日本はまだまだ廃れている」を聞いて、ストンと腑に落ちた。今日、安倍首相の連続在任期間が2798日と歴代最長の佐藤栄作氏に並ぶそうであるけれど、その期間を評するのに、これほどびったりのセリフは見つからない。
官公労と経団連企業とお役所の談合政治から政権を奪還して、官僚の人事を握る手法は確立したものの、政治の手足として使い回すどころか、結局は官僚ブレーンの目くらましに乗っかるしか才覚はなく、国力を糾合するような政権構想を打ち立てることはなく、経済政策も外交もばらまきに終始した。モリカケ問題、桜を見る会などの胡乱さから国内の求心力は失われ、行政文書の廃棄や改竄を正当化したことにより、ボロ宿紀行のナレーションどころか、「日本はますます廃れていく」未来が広がっている。
長からむ
佐藤も知らず
抜かるとは
乱れて国は
なほ廃れゆく
#本歌 百人一首 待賢門院堀河
長からむ 心も知らず 黒髪の
乱れて今朝は 物をこそ思へ