かつてなら年賀状を気にしなければならない時季である。しかし、数年前に、喪中につき欠礼のお断り書きを送るべき時期に、私くしなどのために年末のご多忙時にお気を煩わせるのは申し訳ないので、今回より年賀状を廃止いたしますと宣言してから、ずいぶん楽になった。必死で書いても大概、気紛れの年賀状が数通届いて、返事に正月早々あたふたするのが物凄く嫌だった。それでも届くことがあるけれど、宣言後はもう罪悪感が無くなったので、余裕をもってしたためることができる。その後コロナが襲ってきて、年賀状どころか、生身の行き来もサボって良くなったのだから、ジャストタイミングで先見の明があったと自慢できる。これですっきりしたわけであるけれど、そうなると浮世のしがらみが断ててよくなった一方、生焼きで途切れた関係が懐かしく思い出されて、おかしなものである。押されれば引く、退かれれれば押したくなるのが人情の常なのかもしれない。
この調子で、下がったところで売る、上がったところで買うことを繰り返していたため、リーマンショックやコロナショックなど大変動の都度、株式資産が縮小する一方である。若い頃、株式が額面50円を割り込んでもタンスに仕舞って置いたら、高度成長後に100倍以上になっていたというような話を聞かされ、その気になったけれど、いろいろ試しても、持ち株が100倍どころか2倍にもなったことがなかった。しかし、失われた20年、30年と言われた日本経済下でも、10万円の元手で始めて数億円に資産を増やしたという話をいろいろ聞き、やはりスポーツでも学問でも競争社会は、運の世界でなくて才能の世界であることに、ようやく気付かされた。世の中をなめて、勘違いして生きてきたのかもしれない。
芭蕉の立石寺の句、閑さや岩にしみ入る蝉の声、ではないけれど、閑かさや耳にしみ入る虫の声、と長らく風流に解釈していた。しかし、冬になっても同じ様子なのでおかしいと気付き、単なる耳鳴りと意識したのはだいぶ経ってからだった。こういう物は意識すればするほど気になり、夜中など気が狂いそうになることがある。
子はでかく 孫寄り付かぬ 年の暮れ
すのうまんぢゅう かじる静けさ