天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

2019-10-15 13:11:01 | 日記
 むかし住宅展示場に行ったとき、円錐形の木片がいろいろ置いてあり、展示場の担当者に摘まんでごらんなさいと言われた。くだらない、遊びに来たのではない、と思いながら、指で持ち上げようとしても、ツルっと滑って持ち上がらない。あれッと思って顔を窺うと、円錐の角度が年代順に切り分けてあって、若い人ほど角度が緩いのが摘まめます、と言われた。そう言えば、10代用、20代用、30代用と年代層が上がっていく木片ほど、細く尖っている。なぜそんなことが言えるのかと聞くと、若い人の指は脂で湿っていて吸着力があり、平たい物でも摘まめるのに反し、歳を取るに従い指がカサカサに乾いて角度が緩いのは滑って持ち上げられない、という理屈であった。50代なりたての時に60代用が摘まめず、口惜しい思いをしたものである。
 ところが最近スマホを操作していて、文字入力のとき、フリックの指が躓いて滑らず、誤変換することが多い。左横の文字のつもりなのに、真ん中の文字のままだったりして、妙な文章になっている。画面を見ると、縦横棒状に手垢が付いていて、滑りが悪くなっているのだった。
 細かい物を摘まむ時は、カサカサ指が滑って上手く行かないのに、画面を触ると油膜がこびり付いて滑りが悪くなるとは、歳を取るとマイナスの作用ばかり現れる。息も臭く、体臭などで気付かず世の中に迷惑を掛けているのだろうなあ。
 電車で高校生が70代くらいの男性に席を譲ろうと声を掛けたら、老人扱いをするなと罵声を浴びた、という話をネットで見たけれど、女性専用列車があるなら、老人専用列車も必要かなと思った。もちろん老人保護というより、老人隔離という趣旨である。
 偉大な小津安二郎の影響が強すぎて、老人が枯れて爽やかになるイメージをばら撒いたけれど、笠智衆は映画のフィクションであり、芝居の上ではあるけれど三益愛子のがめつい奴みたいな、ごうつく爺婆がごろごろ居るのが世の現実である。
 山形県・立石寺にぴんころ車、佐久市にぴんころ地蔵があるように、体も心もピンピンしたままコロリと往くのが、昔も今も老人の理想形である。雑誌に百までセックスとか羨ましい特集が盛んに組まれるけれど、この寺、地蔵はそういう類いのピンピンを奨励しているわけではないと思う。

濡らすのは 指の働き 滑るのは
歳の衰へ ころり行かせよ







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