5年前に突然発症した変形性膝関節症が再発しだしたので、これはもう旅命あと1年だなと自己診断した。何処にも出歩けず一生を終えるのは、ロシアのラーゲリかシベリア流刑並みに酷いので、路銀の用意もなく何はさて置き、陋屋を後にした。
枷を引き
老いさらぼへし
この命
解き放たれて
神のまにまに
5年前に突然発症した変形性膝関節症が再発しだしたので、これはもう旅命あと1年だなと自己診断した。何処にも出歩けず一生を終えるのは、ロシアのラーゲリかシベリア流刑並みに酷いので、路銀の用意もなく何はさて置き、陋屋を後にした。
枷を引き
老いさらぼへし
この命
解き放たれて
神のまにまに
千葉県木更津市にある伝説の證誠寺を訪ねた。
むかし、寺の和尚さんが夜中に外が騒がしいので、そっと節穴から覗いてみると、狸が数十匹輪になって腹鼓をポンポコ叩きながら楽しそうに踊っていた。愉快なので自分も加わって毎晩踊り続けた。ところが暫くして狸達が来なくなった。不思議に思っていると、ある日藪の中で狸が腹が割れて死んでいるのが見つかった。可哀想に思った和尚さんは、狸塚を造って葬ってやったという話である。
それを野口雨情が童謡『證誠寺の狸囃子』として作詞し、中山晋平が曲を付けた。本当の歌詞は知らないけれど、学生時代に寮の先輩から替え歌を教えてもらった。
処ッ、処ッ、処女じゃない、処女じゃない証拠には、つ、つ、月の物まだ出てこない。彼女のお腹はポンポコポンのポーンポン。純真な童謡らしさが影を潜めた下品な宴会歌であった。ChatGPTではないが、本物と偽物の違いをよく見極めよという先輩の教えだったかもしれない。
平家維盛の嫡男六代丸の末裔として生まれ、その容姿から光源氏の生まれ代わりと陰で揶揄された自分も、須磨、明石ではないけれど、あちこち転勤人生を卒業した末の旅先で丹後一宮の籠神社(このじんじゃ)に着いた。浦島太郎ゆかりの地で気付いたことは、すっかりよぼよぼの老人に成り果てていたことであった。
ここまで渡り歩いても、竜宮城にも乙姫様にも遭遇できなかった。付いてなかったと諦めるしかないのか。密教の初歩入門書には、輪廻の空しさを知り、正見、正語、正念など八正道を励行することによって解脱を図れと書いてある。昔も今も裏をかく輩が居て、なかなか自分の思惑通りには行きそうにないけれど、解脱とまではいかなくても、好き気ままにに脱落くらいはできるだろうと、気を取り直すことにした。
我詠ふ
ゆえに我あり
ツイッターに
むかしをとこを
甦らせて
小さい頃京で育って迂闊に過ごして東京の私大に進学したら周りは熊襲や蝦夷みたいな人ばかりで生活に順応できなかった。生き馬の目を抜く意味を実感した。
閉じてしまえば賓頭盧尊者像が善光寺から盗まれることはなかったのだろうけれど、それでは世の中が流れないし詰まらない。虚を衝くというのはロシアの侵略戦争にしろ何にしろ嫌なことである。
賓頭盧さんは東大寺の大仏さん前に居られるし、熊野古道に没頭していた頃、金峯山寺でもお会いして親しみを持っているだけに、今回の持ち去り事件は不埒極まりない。損傷がなく戻ったというのは、やはり神通法力があるのかと安心したりもする。
大仏さんとかお釈迦さん、阿弥陀如来に薬師如来などの畏まった仏さんに比べ、賓頭盧さんはどこの寺のでも、ただならぬ佇まいをされている。何か空海さんの説く密教的な雰囲気が醸し出されている。ひょっとして、これが即身成仏のお姿なのかと思ったりした。
東大寺