某市の社協便りの載った NO、70号誌 ↑
1月6日(金)
本日、我が家の仕事始めの作業から出た植木剪定屑を回収日の本日早朝から集積日に持ち込んだ
そして本日、息子の初出勤日、駅まで送迎し終え帰宅後、朝食を済ませてから溜まり溜まった郵便物、書類の整理に在
つける時間が出来取り掛かる事にした。
先ずは朝刊に、「次世代へ続いていく」の欄を読み入った。内容は、久しぶりに尋ねた歴訪先は、以前訪ねた時に元気
だった身内が寝込んでいた、更に若かった甥は親に成っていた。そして、挨拶を交わした方はお墓に入っていたと、
其の事柄を「順番やなあ~」と、(ひ)と模した記者が記して有る。
最悪には、(ひ)記者のコメントとして
、「新年を迎えるのが喜ばしいのは、人には終わりが有るから
こそなのだろう」と 、記して有る。腹の内は分からないが到底世間に通じる文句では無いと思う。
大馬鹿野郎、世間知らず、鬼、腹を切れと大声を出したい・・・新年早々、そうは出来まいと彼を哀れに思い自粛する事
にした ( たぶん短時間に文章を作成しただけの事だろう
)。
未だ未だ若い世代像の人間なのだろうと・・・・。精々、我が息子には真似てくれるなと願った。
人の意見の代行が自由に記する事が出来る立場とは言え、正月ボケも大概に目を覚めせと大いにハラワタが煮えくり
返るが・・・。
その者が平静から少し目を見張り、アンテナを張り続ければこの様な記事を目にする事も無かったと思う、関係者が
哀れに思えて仕方が無い、更には記事を認めた上司には最低の評価を下したい
。
気持ちを切り替え、
次に市の社協便り、この時期不足な「ボラセン・サポーター」養成講座記事に移り、自分には無理かな~と読み込んだ。
挑戦だけでも良いかもと
(でも、自分が無知に成れるには ・・・) 。
- 年末に述べ指して頂きましたが、「まさか」が「やはり」の年にだけは浸りたくないと強く念じた朝でした
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