「逃した魚たち」とは「迷走」だった、何とか売り出そうとして、それこそチャンスの出口を探し続けた結果なんだから、後から振り返るから当たり前かも知れないけどね。もちろん揶揄の意図はないよ。そして苦闘空しくレコード会社の契約解除。
その後何があったのかは分からないし、関係者が語ることもないのかも知れないけれど、「迷走」しながらもとうとう売れることなく「契約解除」なんだから、普通に考えれば「終了」になったはず。なのにそうならなかったどころか、そこで作られたのが「Baby! Baby! Baby!」だったという驚き。
何度か書いてるけど、この曲ってすごいと思う。事実上「ロマンス、イラネ」の次なのに、何このポップな感じ、おされな感じ。PVも初水着だし、AKBのアイドル力を正面からストレートに投げて来る。あの迷走が嘘みたい。多くの証言から、この頃のAKBは危機的状態だったはずなのに、本当に何があったのか。
このあたりについては探せる限りでほとんど唯一のソースが、キングレコードの湯浅ディレクターに記事くらいしか見つからない。
http://enjapan2013.com/companyView/pro.cfm?RecruitmentID=79523&ProfessionalID=1
以下引用****************
入社以来、主に「アニメ」を扱うセクションで営業やディレクターとして活躍してきた湯浅。転機が訪れたのは'08年2月のこと。念願叶って、J-POPを扱う「第二クリエイティブ本部」への異動が決まったのだ。先輩の引継ぎで2組のアーティストを担当することになり、気合が入る。「どんどん新しいコトにも挑戦していこう」と決意を新たにしていた。
それからおよそ1ヵ月後、湯浅は某雑誌の編集者からあるライブへと招待された。「行ったことがないなら、一度は彼女らのライブを観てみるといいよ」。何事も勉強と思い、彼女たちが毎日ライブを行なっているという秋葉原の劇場へと足を運ぶ。そして、そこで目にした光景に強い衝撃を受けた。 「この子たち、スゴイ・・・」。
それ以外の言葉が見つからなかった。ライブのエンタテインメント性、彼女たちのパフォーマンス、会場との一体感、全てに痺れた。それが湯浅と『AKB48』との出会いだった。
'08年7月、事態は急速に動き始めた。『AKB48』のキングレコード移籍が決まり、湯浅が担当ディレクターに指名されたのだ。かねてから上司に獲得を進言していたとはいえ、異動してからはまだ際立った実績も残せていない。そんな状態で将来有望なアイドルグループを任され、正直不安でいっぱいだった。
また、当時のJ-POPセクションでは、何年もの間アイドルグループのプロデュースを手掛けていなかったため、有効なノウハウや活用ルートも持っていなかった。「どうやって売り出していこうか…」。個人的には『AKB48』の魅力や可能性について微塵も疑いを持っていなかったが、それをマスに対して共感してもらうとなると話は別。様々なプランを考えてみたが、どれも使い古された手法のように思えて実行には移せなかった。「自分にはできないかもしれない…」。思い入れが強い分、なおさら下手なことはできない。その思いが湯浅を苦しめていた。
「とにかく『AKB48』のこれまでの活動状況をもう一度おさらいしよう」。湯浅は『AKB48』がこれまでリリースしてきたCDやDVD、誌面に登場した雑誌などを全てかき集め、再度“彼女たちにとって一番有効な手段は何か”を考え直した。また、世間で人気を集めているアイドル・タレント・アーティストのCDなども片っ端から聴き漁り、それに付随するプロモーション戦略についても勉強した。
「やっぱり彼女たちはこうあるべきだ…」。湯浅の中でおぼろげながらも一つのプランが浮かび上がってきた頃には、協力してくれる同僚や先輩、上司も増え、気付けば会社として取り組む一大プロジェクトになっていた。「絶対売れる。売ってみせる!」。
こうして'08年10月22日にリリースされた移籍後第一弾シングル『大声ダイヤモンド』は、ヒットチャート3位を獲得。『AKB48』人気の起爆剤となり、その存在感を大きくアピールすることとなった。
以上引用****************
ここでも水面下の2月から7月までの情報がぽっかり抜けてる。どっかに情報、落ちてないかな。
桜の花びらたち2008の発売が2月27日。引用記事を信用するなら、湯浅ディレクターが劇場公演へと「足を運んだ」のがちょうどこの後ぐらいになるので、実際にはこれって「視察」だったんじゃないか。公演見て衝撃を受けたってレポは、検索すると他にもいくらでも見つかるので、この感想自体は嘘ではないだろうけど、問題はそこから先。
http://www.hosei.ac.jp/koho/pickup/ob-og/2010/110411.html
法政大学の公式なんで一時ソース認定。湯浅ディレクターは1982年生まれで、2005年にキングレコード入社。ということは、この時入社3年目の26歳か。現在の肩書きがAKB専属のチーフディレクターとのことなんで、これは論功行賞と見るのが妥当でしょ。
http://www.jungle.ne.jp/interview/?vol=171&no=21
「AKB48のエグゼクティブ・スーパーバイザー」とのことで、この浅沼という人が直属の上司確定。しかも「執行役員」なんで、実務の最高責任者ということでしょう。当時ペーペーだった湯浅氏が、恐らくはこの浅沼氏にAKBをねじ込み、押し切ったということになるのかな。もちろんこの時の秋元康の挙動が最重要なんだけど、そんな情報が出てくるわけもなし。
で、Baby!Baby!Baby!の配信が6月13日で、キングレコードとの契約が7月。大声ダイヤモンドが10月22日。どーんと妄想モードに走るけど、もしかしてBaby!Baby!Baby!って、キングレコード上層部への訴求のために作られた?プロモはプロモでもメインは「再就職」用だった?
そう考えれば、1960年代テイストなのも、やたらにゴージャスなのも、楽曲に迷いが感じられないのも、ターゲットが絞り込まれてるってことで、まるっと説明できそうなんだけどね。
その後何があったのかは分からないし、関係者が語ることもないのかも知れないけれど、「迷走」しながらもとうとう売れることなく「契約解除」なんだから、普通に考えれば「終了」になったはず。なのにそうならなかったどころか、そこで作られたのが「Baby! Baby! Baby!」だったという驚き。
何度か書いてるけど、この曲ってすごいと思う。事実上「ロマンス、イラネ」の次なのに、何このポップな感じ、おされな感じ。PVも初水着だし、AKBのアイドル力を正面からストレートに投げて来る。あの迷走が嘘みたい。多くの証言から、この頃のAKBは危機的状態だったはずなのに、本当に何があったのか。
このあたりについては探せる限りでほとんど唯一のソースが、キングレコードの湯浅ディレクターに記事くらいしか見つからない。
http://enjapan2013.com/companyView/pro.cfm?RecruitmentID=79523&ProfessionalID=1
以下引用****************
入社以来、主に「アニメ」を扱うセクションで営業やディレクターとして活躍してきた湯浅。転機が訪れたのは'08年2月のこと。念願叶って、J-POPを扱う「第二クリエイティブ本部」への異動が決まったのだ。先輩の引継ぎで2組のアーティストを担当することになり、気合が入る。「どんどん新しいコトにも挑戦していこう」と決意を新たにしていた。
それからおよそ1ヵ月後、湯浅は某雑誌の編集者からあるライブへと招待された。「行ったことがないなら、一度は彼女らのライブを観てみるといいよ」。何事も勉強と思い、彼女たちが毎日ライブを行なっているという秋葉原の劇場へと足を運ぶ。そして、そこで目にした光景に強い衝撃を受けた。 「この子たち、スゴイ・・・」。
それ以外の言葉が見つからなかった。ライブのエンタテインメント性、彼女たちのパフォーマンス、会場との一体感、全てに痺れた。それが湯浅と『AKB48』との出会いだった。
'08年7月、事態は急速に動き始めた。『AKB48』のキングレコード移籍が決まり、湯浅が担当ディレクターに指名されたのだ。かねてから上司に獲得を進言していたとはいえ、異動してからはまだ際立った実績も残せていない。そんな状態で将来有望なアイドルグループを任され、正直不安でいっぱいだった。
また、当時のJ-POPセクションでは、何年もの間アイドルグループのプロデュースを手掛けていなかったため、有効なノウハウや活用ルートも持っていなかった。「どうやって売り出していこうか…」。個人的には『AKB48』の魅力や可能性について微塵も疑いを持っていなかったが、それをマスに対して共感してもらうとなると話は別。様々なプランを考えてみたが、どれも使い古された手法のように思えて実行には移せなかった。「自分にはできないかもしれない…」。思い入れが強い分、なおさら下手なことはできない。その思いが湯浅を苦しめていた。
「とにかく『AKB48』のこれまでの活動状況をもう一度おさらいしよう」。湯浅は『AKB48』がこれまでリリースしてきたCDやDVD、誌面に登場した雑誌などを全てかき集め、再度“彼女たちにとって一番有効な手段は何か”を考え直した。また、世間で人気を集めているアイドル・タレント・アーティストのCDなども片っ端から聴き漁り、それに付随するプロモーション戦略についても勉強した。
「やっぱり彼女たちはこうあるべきだ…」。湯浅の中でおぼろげながらも一つのプランが浮かび上がってきた頃には、協力してくれる同僚や先輩、上司も増え、気付けば会社として取り組む一大プロジェクトになっていた。「絶対売れる。売ってみせる!」。
こうして'08年10月22日にリリースされた移籍後第一弾シングル『大声ダイヤモンド』は、ヒットチャート3位を獲得。『AKB48』人気の起爆剤となり、その存在感を大きくアピールすることとなった。
以上引用****************
ここでも水面下の2月から7月までの情報がぽっかり抜けてる。どっかに情報、落ちてないかな。
桜の花びらたち2008の発売が2月27日。引用記事を信用するなら、湯浅ディレクターが劇場公演へと「足を運んだ」のがちょうどこの後ぐらいになるので、実際にはこれって「視察」だったんじゃないか。公演見て衝撃を受けたってレポは、検索すると他にもいくらでも見つかるので、この感想自体は嘘ではないだろうけど、問題はそこから先。
http://www.hosei.ac.jp/koho/pickup/ob-og/2010/110411.html
法政大学の公式なんで一時ソース認定。湯浅ディレクターは1982年生まれで、2005年にキングレコード入社。ということは、この時入社3年目の26歳か。現在の肩書きがAKB専属のチーフディレクターとのことなんで、これは論功行賞と見るのが妥当でしょ。
http://www.jungle.ne.jp/interview/?vol=171&no=21
「AKB48のエグゼクティブ・スーパーバイザー」とのことで、この浅沼という人が直属の上司確定。しかも「執行役員」なんで、実務の最高責任者ということでしょう。当時ペーペーだった湯浅氏が、恐らくはこの浅沼氏にAKBをねじ込み、押し切ったということになるのかな。もちろんこの時の秋元康の挙動が最重要なんだけど、そんな情報が出てくるわけもなし。
で、Baby!Baby!Baby!の配信が6月13日で、キングレコードとの契約が7月。大声ダイヤモンドが10月22日。どーんと妄想モードに走るけど、もしかしてBaby!Baby!Baby!って、キングレコード上層部への訴求のために作られた?プロモはプロモでもメインは「再就職」用だった?
そう考えれば、1960年代テイストなのも、やたらにゴージャスなのも、楽曲に迷いが感じられないのも、ターゲットが絞り込まれてるってことで、まるっと説明できそうなんだけどね。