AKB48の旅

AKB48の旅

非選抜アイドル再読

2012年04月18日 | AKB
再読してみても、感想は「すばらしい」の一言に尽きるかな。「フォトブックたかみな」「フォトブックさしこ」もそうだけど、要約とか抜粋とか不可能というか、どこを切り抜いても一番大事なものがすり抜けてしまう、正にAKBは立ち止まったら死ぬを体現してるかのよう。

やむを得ないので本の内容から距離を置いて俯瞰してみよう。まず確認できるのが、ベースラインとしての過剰なエネルギーの存在。この場合はドライに言って潤沢な資金ということ。外野からはよく聞こえて来たことだけど、本書から内部的にも確認できるように思う。AKBは発足当初から、けっこう大きなプロジェクトだったことが透けて見える。しかも何年もペイしなかったろうに、規模の拡大を続けてた。つまりは資金がショートしなかった。

このあたりの突っ込みは趣旨に反するのでやらないけど、けれどもこれはとても重要なことで、生命現象における太陽エネルギーのように、負のエントロピーを実現するには、それを遙かに上回る過剰なエネルギーの蕩尽が前提となる。その上で競争原理を投入すれば、確率的にはゼロに近いけれど、生命の発生と進化のような奇跡すら惹起される。

以前に書いたけど、秋元康はこの「確率的にはゼロに近い」ギャンブルに勝ったことになる。もちろん自然相手と違って、AKBの場合は人工環境なんで、不確定要素はかなり排除できるから、「確率的にはゼロ」ということはないだろうけど、それでもオッズはそんなには高くなかったはず。それでもAKBが立ち上がったのは、タネとなるたかみなの存在により、自己組織化の閾値が思いっきり下がったのが大きいのだろうと思う。

まとめサイトとかで時々たかみなの後継問題が取り上げられるけど、だからそれは議論自体に無理がある。たかみなは単なるリーダーではなく、自己組織化の触媒にして結節点であり、共同体の意志の代表となっている。後継という概念自体が無意味だし、もし仮にたかみながAKBを去るとすれば、恐らくその直後からカタストロフと解体が始まってしまうことになる。

こう書いてみてあらためて思うのは、たかみなの公的性格だな。自己犠牲、利他行動も当然なのかも知れない。