ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

「魔法の解けて」 (2024年の春)…読売俳壇・歌壇から

2024年07月23日 | 随想…俳句と短歌

   (早春の山陰)

 読売俳壇・読売歌壇に、2024年の春、掲載された句や歌の中から、心ひかれた作品を選びました。

 春の季節は、句も歌も明るく朗らかで、楽しくにぎわっているように感じました。

 ただし、今は、もう、夏の盛りです。皆様、ご自愛くださいますように。

   ★   ★   ★

<希望の春>

〇 制服の魔法の解けて卒業す(宇陀市/泉尾武則さん)

<正木ゆう子先生評>「高校からの卒業。こちらも女子を想像。今時の制服はお洒落で、実に可憐である。守られた魔法の日々が終わり、人生へと踏み出す春」。

 「卒業」は春の季語。春は、別れがあり、新しい出会いもあり、希望も不安もあって、心ときめく季節です。

 確かに!! ── 制服は魔法ですね。

  (ディズニーランド/ピーターパン)

 あなたは一人立ちするにはまだ少し早い。魔法をかけます。あなたはお姫様です。時が来るまでは、夢を見ていらっしゃい。

 …… さあ、あなた!! 春になりましたよ。その時が来たのです。魔法を解きますからね。元気に、でも、心を引き締めて、旅立って行くのですよ。

      ★

〇 春の風遠くの君へ届く頃 (東京都/関根ともみさん) 

<矢島渚男先生評>「なんと青春性豊かな句だろう。俳句がこうした抒情を失って久しい。この句には季節の喜びが豊かにある。暖かい春がだんだんに北上して行き、思い人へ届く。『私の思いも届けてください』」。

  (5月の陸奥湾)

 矢島先生の「俳句の抒情」という言葉に心ひかれました。

      ★ 

〇 灯台のような学校作らむと離島に赴く新任教師(岩出市/西岡さちよさん)

 なんと爽やかな志でしょう👏💕。

  (大王崎灯台)

 「先生」自身が灯台ではないと思います。家庭的に、或いは社会的に、いろんな環境にある子どもたち。でも、誰もが、学校は面白いよ、と感じている。そんな学校です。

 なぜ?? ── そこにはちゃんとした秩序があり、しかもみなが前を向いて頑張っていて、しかも、お互いを守りあっていると感じられるから。

 先生は、その中心ではありません。学級委員長も副委員長も、各委員も、班長さんや副班長さんたちも、みんな頑張っている。フォロワーたちも、一人一人が存在感を出している。主人公は子どもたち自身。一人一人がいつの間にか、誰でもリーダーになれるように成長してきている。そうなるよう、縁の下で仕組んできたのが先生だ。子どもたちも、実はそのことはわかっていて、先生を尊敬している。

  ★   ★   ★

<旅立ちの春>

〇 あてどなく流れゆく先春の雲(浜松市/久野茂樹さん)

<矢島渚男先生評>「今は旅行に行くときには綿密な予定を立てるが、かつては『あてど』ない旅もあった。そんな旅がしたいもの。いい句だ」。

 矢島先生もロマンティストです。

 (フェリーに乗って)

      ★

〇 土佐は山土佐は海なり春の旅(岡崎市/加藤幸男さん)

 若いころ、田宮虎彦の「足摺岬」を読んで、藪椿の咲く小道をたどり、足摺岬に立ちました。

 また、その後、悠々たる太平洋を見たいと思って、烈風が吹く室戸岬にも立ちました。

 やがて四万十川や仁淀川の清流が有名になりました。

 山から海へと、両方を訪ねてこそ、旅らしい旅ですね。

      ★

〇 クロッカスもうじき咲くか子の部屋に「地球のあるき方」置いてあり (船橋市/矢島佳奈さん)

<俵万智先生評>「直接の関係はないのだが、取り合わせの妙で、クロッカスと子どもの成長が重なって感じられる。部屋を出て海外へ旅する日も遠くなさそうだ」。

 クロッカスについて、ちょっと調べてみました。

 早春にいち早く花を咲かせる。「スプリングエフェメラル(春の妖精)」というそうです。他にカタクリや福寿草なども。花言葉は「青春の喜び」。

 沢木耕太郎『旅する力』から

 「もしあなたが旅をしようかどうしようかと迷っているとすれば、わたしはたぶんこう言うでしょう。

 『恐れずに』

 それと同時にこう付け加えるはずです。

 『しかし、気を付けて』」

      ★

〇 差出人不明の風が届いたら春だと思えスニーカー履く(大和郡山市/大津穂波さん)

 「スニーカー履く」が、旅に出ることを含意しているのかどうかはわかりませんが ……。

 私はかつてポルトガルの、言い換えればユーラシア大陸の最西南端のサグレス岬へ行きました。その旅のことは、当ブログの「ポルトガル紀行」(2017年投稿)に書いています。司馬遼太郎のエンリケ王子を追う旅(『街道をゆく23 南蛮のみち2』)を追体験する旅でしたが、また、沢木耕太郎の『深夜特急』に心ひかれたことも強い動機になっていました。しかし、若くはない私は、路線バスを乗り継いでユーラシア大陸をあてどなく旅した沢木さんのようにはいきません。行程表を作り、見通しをもって出発する必要があります。ところが、リスボンやポルトのことは『地球の歩き方』にも詳しく書いてありますが、サグレス岬については数行しか触れられていません。

 それで、ネットの中に個人の紀行文を探しました。実際に行った人の生きた情報がほしかったのです。すると、意外にも、観光地でも何でもないこの岬へ、何人もの日本の若者たちが、一人旅で、遥々と旅をしていることを知りました。ポルトガルの若者よりも、日本の若者の方が行っているのかもしれないと思いました。そこは、『深夜特急』の沢木耕太郎が1年もバスを乗り継ぐ旅を続けて、とうとうこの最果ての岬に立ち、「これで終わりにしようかな」と思った所なのです。

 『深夜特急』を読んだ若者たちは、自分もバックパーカーの旅に出ることを夢見、そして、旅に出ます。「青年よ、荒野を目指せ」。だが、誰にも諸事情があるから、沢木さんのように1年も旅を続けることはなかなかできません。それで、せめて、主人公が「ここで終わりにしようかな」と思った、ユーラシア大陸の果てには、行ってみたいと思ったのではないでしょうか。

 サグレス岬は、そういう日本の若者の青春の岬でもあったのです。そして、その若者たちの中に、一人旅の日本の若い女性たちもいることを知りました。率直に、すごいなと思いました。

 この歌の作者は多分、女性だろうと思って、書きました。

  (サグレス岬への道)

 サグレス岬にはエンリケ王子がつくったという航海学校(要塞)の跡らしい建造物の一部が残り、そこまでの一本道をひたすら歩きました。ユーラシア大陸の果ては荒涼として、ただ暑かった。沢木さんも、日本の若者たちも、みんなこの道を歩いたのだと思って、年甲斐もなく頑張りました。

 (サグレス岬)

 サグレス岬もまた荒涼としていて、その先は茫々と大西洋が広がっていました。毎日、この海を見て、その果てを極めたいと思っていたエンリケ航海王子のことを思いました。

  ★   ★   ★

<里の春>

〇 氏神の定めしところ蕗(フキ)の薹(トウ) (江別市/北沢多喜雄さん)

 (蕗の薹)

 春は、まず里から。蕗の薹は、クロッカス同様に、いち早く春を告げる「春の妖精」です。

 今は、氏神も、鎮守の神や、地主神や、産土(ウブスナ)の神と同じ神様として認識されています。八百万(ヤオヨロズ)にして一、一にして八百万。所詮、人間が付けた名ですから。

<高野ムツオ先生評>「氏神はここでは土地の守り神であろう。蕗の薹はその使いで、神の思し召しに従って定められたところに顔を出すとの土俗的発想が魅力」。

      ★

〇 初蝶を見る野地蔵に成り済まし(高槻市/村松譲さん)

 初蝶が逃げていかないように、動かない。「われは野地蔵である。この手にとまれ。われの頭にとまれ」。 

 (信濃路にて)

       ★

〇 五歳には五歳の地図のあり春は土手で綿毛を吹いてからゆく(平塚市/小林真希子さん)

 子どもには子どものルーティンがあるのです。

   ★   ★   ★

<物語めく春>

〇 「そう、だね」とフリーレンめく応(イラ)へして過去も未来も遥けき人よ(可児市/阿坂れいさん)

 黒瀬河瀾先生評>「アニメ『葬送のフリーレン』の主人公は、永い時を生き続けるエルフ。その彼女と似た雰囲気の知人がいるのだろう。アニメキャラが現世の人に乗り移ったかのような…」。

 「過去も未来も遥けき人よ」── カッコいい人ですね。

 フリーレンは二千年も生きるエルフ。魑魅魍魎が活動した時代の中欧・北欧??を旅している。

 フリーレンは人ではないから、非情。だが、有情の人間に心ひかれ、行く先々で人間と人間の町を守って、残虐非道な妖怪と戦います。

 唐突ですが、助動詞「けり」を連想しました。「けり」は詠嘆の助動詞ですが、特に、初めて気づいた驚きや感慨を表すとされます。「春は来にけり」、春が来ていたことに気づいた驚き、感慨。「気づき」の「けり」です。

 「そう、だね」というフリーレンの言葉には、このようなときには、人間はこのように感じるのだと気づき、人間の心に共感したときの気持ちが込められているのかもしれない。この歌を繰り返し読んでいて、ふとそう思いました。

 茫洋としていて、ちょっと優しい。ハードボイルドの味があります。

  (中欧の町)

       ★

〇 朧夜に見知らぬ婦人訪ね来る子等の掘りにし筍返しに(福岡市/こよりんさん)

 <栗木京子先生評>「作者の所有する竹林から無断で筍(タケノコ)を掘った子たちがいたのであろう。気付いて返しに来た女性。朧夜(オボロヨ)に現れたことが神秘的で、物語の世界に誘われるような場面である」。

 初句の「朧夜に」が効いています。続く「見知らぬ婦人」で、すいっと引き込まれました。人ではないと思いますよ。

   (竹林)

       ★

〇 今日散ると決めたんですと言うように万代橋に桜がふぶく (船橋市/山本三千代さん)

    黒瀬河瀾先生評>「名前からして立派そうな橋に桜花が降り注ぐ春の景。今日という短い時間を舞い散る桜と、万代という長き時を感じさせる名前の橋の取り合わせが、実に鮮やかです」。

   

 黒瀬先生の評で、よくわかりました。

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする