ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

シチリアの珠玉・タオルミーナ……文明の十字路・シチリアへの旅 11

2014年06月24日 | 西欧旅行…シチリアへの旅

   ( 「4月9日広場」の宗教イベント )

< 旅の心は遥かであり…

 シチリア島は、縦長の二等辺三角形を左に倒したような形をしている。

 北海岸はティレニア海に臨み、州都パレルモを中心にして、チェファルー、モンレアーレなどノルマン時代のモザイク画が見どころだった。

 南海岸は地中海を隔ててアフリカ大陸のチュニジア (古代においてはカルタゴ) に対し、セリヌンテ、アグリジェントなど、古代ギリシャ神殿の遺跡がゆかしい。

 東海岸はイオニア海に臨んで、南端近くには古都シラクサ、北端にはメッシーナがある。

 初め、シチリアへの個人旅行を考えた時、漠然とメッシーナ海峡を渡るものだと思っていた。

 ローマから列車に乗って、延々と車窓の風景を眺め、眺めることにも飽き、疲れが滓のようにたまったころ、やっと「長靴のつま先」に着き、そこからさらにフェリーに乗ってメッシーナ海峡を渡る …。

 「旅の心は遥かであり、この遥けさが旅を旅にするのである」 ( 三木清 )。

 ところが、今、シチリアに行くイタリア人もヨーロッパ人も、そんなに時間のかかる旅をする人は少ない。ローマ空港から、シチリアのパレルモ、或いは、カターニャまで、頻繁に飛び発つ飛行機でひとっ飛びなのだから。

 また、多少とも旅情を求め、或いは、飛行機とは違った効率を求める人のためには、ナポリから、夜、フェリーも出ている。ホテル替わりの船室で一晩過ごせば、早朝にはパレルモだ。

 かくして、メッシーナは、遥かに遠い遠い港町になってしまった。

 そのメッシーナから、列車或いは車で1時間少々南下した東海岸に、タオルミーナはある。

 さらに南下すればカターニヤがあり、カターニヤ空港からもローマ行きの飛行機が頻繁に出ているから、明日はカターニヤ発、ローマ経由で日本に帰ることになる。

        ★

< 散策して心楽しくなる街 >

 何度訪れても、旅人を引き付け、町を歩いているだけで、旅人の心をうきうきと幸せな気分にしてくれる街がある。歩き疲れれば広場や街角のカフェで、美しい街並みや行きかう人々を眺めながら、一杯のワインを楽しむ。

 パリのセーヌ川のあたりは、そういう景観だ。

 ローマの、パンテオンのあたりも、楽しい。

 このタオルミーナという町もそうである。小さいが、珠玉のように美しく、魅力がある。

 青い海と、青い空と、そびえる岩山と、木々の繁みからたえず聞こえてくる小鳥のさえずりと、遥かに時間をさかのぼる遺跡と、そして小さくてもオシャレな街並みと。

 だから、ここはヨーロッパ人にとって、あこがれのリゾート地の一つである。

 今回、2泊したホテルも、周りに樹木が繁り、くつろげる庭があり、早朝から小鳥のさえずりが聞こえ、眼下にイオニア海が望めた。

    ( ホテルの庭から朝の海 )

        ★

< イオニア海と、古代の劇場と、ウンベルト通り >

 シチリアの5日目。晴天。

 午前中は、添乗員の案内で、古代のギリシャ劇場及びウンベルト通りをめぐり、午後は自由時間だ。

   イオニア海からせりあがるモンテ・タウロという岩山がある。標高は398mだが、海からそそり立ってかなり高く見える。

   その岩山の急斜面の中腹にできた町がタオルミーナである。町に入るには、海岸近くの国道から、急斜面を何度もカーブしながら上がっていく。道幅が狭いから、大型バスは途中までしか入らない。

  

  ( 町はモンテ・タウロの急斜面にある )

 またもや紀元前の4世紀。シチリア各地に攻勢をかけたカルタゴが、このモンテ・タウロの中腹に、岩棚のように平坦な部分があることに目を付けて、そこに小さな城塞町を築いた。

 実際、街並みは、岩山が海へ落ちていく途中、傾斜がやや緩やかになったあたりに、へばりつくように、広がっている。

 カルタゴはまもなく東海岸から撤退したので、町はシラクサの支配下に入り、古代のギリシャ人たちはモンテ・タウロの山頂をアクロポリスの丘にした。

 今、山頂には、10世紀のアラブ時代に造られた小さな古城がある。城と言うより、砦と言った方がよい。よくあんな急峻な岩山の上に城塞を造ったものだと感心する。

  ( 砦と聖堂 )

 目を凝らすと、さらにその隣の少しだけ低い峰の頂上に、聖堂がある。マドンナ・デッラ・ロッカ (岩の聖母マリア) で、岩をくりぬいて造られたマリア聖堂である。

 断崖の中腹に横に広がる町の、一番の中心街はウンベルト通りだ。町の上部を、等高線に沿って、横に800mほど貫いたメイン通りで、両サイドには城門がある。

  ( ウンベルト通りの城門 )

 州都パレルモをはじめ、今まで見てきたシチリアの街並みは、過去の繁栄の面影をわずかに残し、今は古びて、貧しげでもある。だが、このウンベルト通りは、西洋各地からの観光客やリゾート客を迎え、綺麗で、オシャレで、ウインドショップも楽しそうである。

  

    ( 賑わいのウンベルト通り )

 通りの中ほどに、「4月9日広場」がある。

 広場の一方は、眺望が海に向かって開け、遥か眼下に美しい海岸線が見下ろせる。

 

  ( 広場のテラスから見下ろす海 )

 反対方向をふり仰げば、城塞のあるあのタウロ山。

 

    ( 「4月9日広場」とタウロ山 )

 広場に面して、15世紀の小さな教会もあり、何もかもロマンチックである。

   ( サンタゴスティーノ教会 )

 青い空と、青い海。海に開けた開放感が、通りを歩いてきた人々の気分を幸せにし、子どもたちも楽しそうに広場のひとときを過ごしている。

 しかし、タオルミーナの魅力を決定的にしているのは、その海を見下ろす高台の一角に、古代ギリシャの野外劇場の遺跡があることだ。

 BC3世紀に造られたものだそうだが、シラクサの古代劇場よりやや小さくて、直径は109m。

 だが、何といっても素晴らしいのは、観客席からの眺めだ。残念ながらこの日は見えなかったが、シチリアを代表する山、エトナ山も見える。3369m、いつも噴煙を上げている活火山が、舞台の借景になっているのだ。

 そして、その横には、紺碧の海。

 このような劇場を造った古代の人々の感性に感嘆する。

 

   ( 野外劇場 )

         ★

< 午後のグラスワイン、黄昏のタオルミーナ >

 昼食後は自由時間。旅行中、親しくなった一組のご夫妻と、岩山頂上のさらに奥の村を訪ねたり、ロープウエイでイオニア海の海岸に下りたり、夕食を共にしたりして、旅の終わりの半日を楽しんだ。

 ネットで、モンテ・タウロ山へタクシーで行くことができるという情報を得ていたので、タクシー乗り場で運転手と交渉する。「近いから、ダメ。カステルモーラなら往復40ユーロ」。OKする。

 カステルモーラは、394mのタウロ山のさらに奥へ5キロの所にある村で、標高は529m。ワイン造りを主たる生業とする。以前、日本のタレントがこの村を訪れ1泊するという番組をみた記憶がある。

 タクシーは、すごい傾斜の七曲りの道を、慣れたもので、悠々迫らず運転して、頂上へと向かう。

 村が見えてきた。天空の村の風情だ。 

 

  ( カステルモーラ遠望 ) 

 村に着くと、タクシーには待ってもらって、しばらく散策する。午睡しているような小さな村だが、ペンション風の宿泊施設やレストラン、お土産を売る店などもある。

   ( カステルモーラの聖堂前広場 ) 

 村のはずれのテラスからの眺望は最高だった。ただ、この日はお天気が良すぎて、午後でもあり、カメラ写りはは今一つ。

 海に突き出た小さな半島のように見えるのは、イソラ・ベッラの小島だ。

  ( イソラ・ベッラが見えた )

   帰路、運転手は、砦のあるマウロ山の横にあるもう一つの峰、マドンナ・デッラ・ロッカ (岩の聖母マリア) に寄ってくれた。

 そこから、午前に見学したギリシャの野外劇場が、横にたなびく薄い雲の下、青い海を背景にして、丘の上に見え、感動的だった。

 まさに、天空の野外劇場である。

   ( 遥かにギリシャ野外劇場を望む )

 

     ( 望遠レンズで )

   ウンベルト通りに帰った。タクシーを降り、通りの突き当りを少し下ると、ロープウエイ乗り場がある。ここから一気に下って、マッツァーロ海岸へ。そこから花々に縁どられた海岸を歩いて、イソラ・ベッラへ。

 イソラ・ベッラは、映画「グラン・ブルー」のロケにも使われた静かな入り江で、小さな緑の小島があり、島までは浜辺から一筋の砂の道でつながっていて、まるで細長い半島のようだ。

 西洋人の子供や男女が、水遊びしたり、日光浴したりしている。

  

    (イソラ・ベッラの海岸)

 遥々とイオニア海までやってきた…。その実感を得るために、潮水をなめてみる。

 ヴェネツィアのリド島の先のアドリア海でも、日本列島と一続きのハワイの海でも、オーストラリアの西海岸のインド洋でも、こうして潮水に浸した指をなめてみた。が、いつも想像を超えて塩っ辛い。

 ご夫妻と、海辺のカフェで、潮風に吹かれながら、しばしグラスワインを楽しむ。時よ、止まれ! 

  夕方には、ご夫人の方がネットで調べたというレストランのテラス席で、楽しい食事の時間をもった。

 その帰り道で見た黄昏のイオニア海も、魅力的だった。

 

       ( 黄昏のイオニア海 )

        ★

< 帰国の朝 >

 翌朝早く、耳につくほどの小鳥のさえずりに囲まれながら、散歩した。

 よく晴れ、朝の空気は澄んで透明感があった。静かな市民公園の森の中の小径を歩き、まだ人通りの少ないウンベルト通りを経て、「4月9日広場」までやって来た。テラスから紺碧の海を見下ろすと、エトナ山の裾野が霞んで見えた。

 シチリアの空と海は、美しかった…。

  ( 小鳥のさえずりに囲まれて )

( 続 く ) 

 

 

 

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旅の終わりに ── 「人のためにもならず、学問の進歩にも役立たず」 … 文明の十字路・シチリアへの旅12

2014年06月19日 | 西欧旅行…シチリアへの旅

          ( セリヌンテの神殿跡 )

 大手旅行業者の企画したシチリア・ツアー。 「出発確定」に指定された日への参加だが、参加者はわずか10名。なにしろ、行先がローカルなのだ。

 1組のご夫婦を除いて、皆さん、どうも60歳以上の高齢者。季節は好いのだが、現役で働いている人に5月の海外旅行はむずかしい。

 それにしても、こんなローカルな企画に参加してくる人たちだから、聞くともなく話を聞いていると、ありふれたヨーロッパツアーなどとっくに卒業してしまったという感じである。

 アフリカの草原でライオンを間近に見たときは感動したとか、ナスカの地上絵をセスナ機から見たとか、南米のウニタ塩湖で、夜、自分の頭上を超えて彼方へ流れる天の川が、湖面に映じて、また自分の足元へ流れてくる光景に言葉を失ったとか …。

 とにかく、旅行業者の企画するほとんどのツアーを制覇する勢いで、言葉どおり世界を股にかけていらっしゃる。

   私の場合、大自然の生み出した絶景や、人類の造りだした奇観を、とにかく 「 何でも見てやろう」、という旅行はしていない。

   それで、残りの人生、手を広げずに、西欧にしぼって、その歴史と文化を知りたいと思って、旅をしてきた、と言ったら、1組のご夫婦から、ヨーロッパは所詮、斜陽だ。日本はとっくに追いつき、追い越している。「クール・ジャパン」を知らないのか?と言われた。さらに、中国、韓国に行ったかと聞くから、韓国には行ったと答えたら、白い目で見られた。

 最近、中国、韓国の「反日」大合唱に対する反動で、日本のなかでもナショナリズムの気分が台頭してきている。気持はよくわかるが、しかし、中国、韓国と同じレベルの「偏狭な愛国心」の行きつく先を、日本人はすでに歴史のなかで経験している。

 そもそも、「クール・ジャパン」は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」 などとは言わないものだ。

 それに、今、世界の中で、国民一人当たりの生産性が高く、豊かなライフスタイルをつくりだしている国は、いろいろあっても、やはり北欧諸国やオランダ、ドイツ、オーストリアなどで、西欧の懐の深さを侮ってはいけない。 

          ★

 明治維新以後、日本は、西欧をモデルにして、日本の近代化のために、必死で学習してきた。 

 しかし、今は21世紀。西欧の歴史と文化を知りたいという私の旅のテーマは、明治日本の、西欧をモデルにし、西欧に追いつき追い越せという学習動機とは、全く異質のものである。

 例えば、鎌倉時代について、学校で勉強した以上のことを知りたいと思って、本を読んだり、フィールドワークの旅をしたりする人は、今の日本よりも鎌倉時代の方が優れていると考え、鎌倉時代に追いつき、追い越そうと考えているわけではない。

 知りたいから、知ろうとして、本を読み、旅をする。それが人間というものだ。

 もちろん、鎌倉時代について、なぜ学校で勉強する以上のことを知りたいのかと言えば、鎌倉時代に何か心ひかれるものがあるからに違いない。広い意味で何かリスペクトしたくなるような、或いは、ロマンを感じるようなものがあるから、知りたいと思うのだ。

 同じように、もともと西欧の文明と文化にロマンを感じ、敬意をもっているから、西欧をもっと知りたいと思うのである。

 だからと言って、現代社会が鎌倉時代より劣っているなどとと考えているわけではないのと同じように、西欧文明の全てが、日本より優れていると考えているわけではない。

 逆に、鎌倉時代を深く知れば、そのことを通して、現代日本のものの感じ方や生き方について改めて気づくこともあり、現代日本についての理解が深まるということもある。

 同じように、西欧文明を知れば知るほど、日本について振り返って考えるようになり、日本の歴史や文化を、以前よりもずっと深く理解できるようになったし、愛情をもてるようになった。

 一方、西欧文明について深く知れば、西欧文明の中にひそむ醜い一面もリアルに見えるようになり、当然、批判的な見方もまた、生じてくるのである。

 西欧かぶれも良くないが、だからといって、日本かぶれが良い、というわけでもない。贔屓の引き倒しは、誤った愛国心である。

 韓国に旅行したのは、今の韓国に何かを学ぼうと思ったわけでも、併合時代のことを詫びる気持ちからでもない。今の隣国を、報道や本だけでなく、自分自身の目で見ておきたいということ、それに、遥かな昔、伽耶国や百済や新羅や高句麗と日本との関係に興味があり、その舞台となった韓国の地理・風土に触れたかったからである。 

         ★

 というような動機をもって旅をしているから、できるだけ自分の足で歩き、自分の目で見、空気を肌で感じ、自分のペースで行動したい。計画の段階から、見たいもの、行きたい所、泊まりたい町を、自分で決めたい。

 それでも、自力では行きにくいところ、一人では不安に思うところだけ、旅行業者の企画するツアーを利用する。ツアーに参加して、どうしても気になる町があれば、そこへはもう一度、今度は自分で計画を立てて行ってみる。

 それが私の西欧旅行のやり方である。

         ★ 

 理屈を述べたが、早い話、高校生に、「海外旅行へ行くとして、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米、オセアニアの、どこへ行きたいですか?」 というアンケート調査すると、8割以上の高校生が 「ヨーロッパ!」 と答える。これは、いつの時代でも、同じだ。

 牧歌的なスイスの高原も、海の都のヴェネツィアも、シャンソンが空に広がるようなセーヌ河畔も、「ロマンチック街道」のお伽の町もお城も … ヨーロッパは、抒情的で、物語的で、美しく、魅力的なのだ。これは理屈ではない。

 だから、私の本当の旅の目的は、高校時代からの夢・あこがれを実現したい、ということに過ぎないのかもしれない。

 青年、沢木耕太郎は、たった一人で、カネもなく、バスを乗り継ぎ、安宿に泊まり、遥々とユーラシア大陸を越える旅をした。彼は言う、「およそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことを、やりたかったのだ」と。有名な『深夜特急』の中の一節である。

 私の旅は、沢木青年の文章の前半部分があてはまる。

 私の旅は ──「人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、記録を作るものでもなく、血沸き肉躍る冒険大活劇でもなく、まるで何の意味もなく、誰にでも可能」な旅である。

 だが、他人にとって、既に何度も行った、何の変哲もない行先であっても、肌の色も違い、言葉も通じない異郷への旅は、私一個にとって、心ときめく「未知」への旅である。「未知」への旅である以上、それは心躍る「冒険」でもある。

 脚力も、体力も、年々、衰え、腰痛持ちで、最近は不眠症で、12時間以上の空の旅に耐え、遥々とユーラシア大陸を越えて、もし旅の途中、異郷の地で倒れたら…と、最近は旅に出る前に思わぬでもないが、「野ざらしを 心に風の しむ身かな」の芭蕉と違って、いざというときは、最後の力をふりしぼってでも、愛する日本には帰ってくる。

 「もう、良かろう」と、あきらめるようになったら、いよいよ老境である。

 もう少し、がんばってみよう。[  了  ]

 

       ( ローマ空港付近 )

 

 

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