ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

富山市街を散策する … 冬の北陸の旅 ( 4/4 )

2019年04月24日 | 国内旅行…冬の北陸へ

   富山駅南口を出て、路面電車(富山ライトレール)の1日券を買った。1回券は200円、1日券なら620円。市内を環状する路面電車に何回でも乗れる。

 今日の宿はビジネスホテルだ。ただし、駅前ではない。富山城のさらに南にあり、路面電車に乗って行く。ちょっと不便だが、そう広くない市街地を、路面電車の車窓から観光しながら宿へ行くというのも悪くないと思った。

 その路面電車は、JR富山駅の駅前ではなく、駅の構内のはずれから出ている。あまり見かけない構造だが、JRと話し合ってこういう構造にしたのだろう。雨や雪の日にも、乗りやすい。

 ( 富山駅の構内から出る路面電車 )

 車両はレトロな感じのものもあれば、最近、環境に配慮してヨーロッパのどの街にも走るようになった瀟洒なトラム風車両もある。そのばらばら感が面白い。レトロな車両の方も、もちろん低床・ワンステップ型である。

   ( 駅の構内から出てきた路面電車 )

 電車はお城を眺めながら走った。

 そして、富山駅から5つ目のステーションで降りると、ホテルはすぐだった。一応、温泉の内湯がある。小ぎれいで、安い。

 手荷物を預けて、いよいよ市内観光に。

        ★

 まずは、さっき電車でそばを走った富山城へ歩いて行った。

 大阪城を見なれている目には、いかにも小さなお城である。石垣の石も小さい。だが、姿が堀の水に映って、清らかですがすがしい。 

 

   ( 富山城と堀 )

 戦後、残っていた石垣の上に再建された。

 お城の中は「富山市郷土博物館」になっている。

 江戸時代、富山藩は前田藩の支藩で、10万石だった。そのせいで、明治以後もずっと、加賀100万石の城下町・金沢に対して、そこはかとない劣等感を持ち続けてきたという。そういう歴史の及ぼすニュアンスも、面白い。

        ★

 季節になれば、お城のそばから「松川遊覧船」が出る。

 松川沿いは、日本さくら名所100選の一つ。この遊覧船には、ずいぶん以前に乗った記憶があるが、改めて桜の頃の写真を見ると、麗しい。

 今は、季節外れで、船の清掃が行われていた。

  ( 松川沿いの遊歩道 )

 街を歩いていると、あちこちに雪吊りがあり、また灌木には冬囲いが施されている。

 手間暇かけているのは、木々を雪の重みから守るだけでなく、冬の風情ある景観として、街を飾るためでもあるらしい。冬には冬の富山がある。

 確かに、街に気品が感じられる。

   ( 冬囲い )

 ぶらぶら歩いたり、何度も路面電車に乗ったりして、富山駅前の名品店にも入ってみた。

  ( 路面電車 ) 

 下の写真の左手に自転車が並んでいるのが小さく見える。市民が自由に使えるレンタサイクルだ。

   ( 富山駅とレンタサイクル )

        ★

 空が晴れてきた。もしかしたら見ることができるかもしれない。

 富山市内から立山連峰を望む場所がある。市役所の展望台だ。

 今日、二度目だが、また市役所へ行ってみることにした。

 市役所の建物に入ると、中央フロアの一角に展望台へのエレベータがある。

 エレベータが降りてくるのを待っている間に、横に立つ市役所の職員らしき人に聞いてみた。「ここから、本当に立山連峰が見えるんですか」「晴れていたら、大パノラマですよ。今の季節は、しばしば見ることができます。そういうときは、我々も見に上がります」 …… 自慢げだった。

 ただ、既に午後も遅い。地上が晴れ渡っていても、3000m級の高山では霧で霞んで見えないことが多い。

 エレベータが展望台に着くと、完璧とは言えないが、見えた。なかなかの景色である。

 ごつごつしているのが、剣岳。 

    ( 剣 岳 )

 なだらかな山並みが、立山連峰だ。

 20代のころの夏、あのてっぺんの雄山に登り、ご来光を見た。 

   ( 立山連峰 )

         ★

 日が暮れるのを待ちかねて、居酒屋へ行った。

 冬の北陸は、居酒屋がいい。魚が旨い。

 最近、再放送だが、太田和彦という人の居酒屋探訪記を見ている。日本のあちこちの居酒屋を紹介する、「いい旅、いい酒、いい肴」という番組だ。

 この人、私と似た世代で、不思議なくらいあれこれの趣味・好み、感覚が一致する。旅が好きで、港が好きで、日本酒が何より好きで、それも必ず燗酒を注文する。肴の好みも一致する。

 全国の居酒屋を紹介する著書も何冊かあり、太田さんが富山駅付近で紹介しているのは、「あら川」。

 そこへ行ってみた。

 なかなか美味しかった。

 パリでは、ミシェランの星が付くと客が押し寄せるようになり、すると値段が上がり、やがて高いばかりで味が落ち、客が減り、経営者が代わって、ついには「ここは、昔、名店であった」と言われるようになる。

 テレビや本で紹介されても、謙虚にがんばってほしい。

        ★

 富山市を訪ねる以上、岩瀬地区に行くべきだが、海のそばは寒そうなので今回はやめた。

 昔、北前船の港町であった岩瀬は、富山市再生の取り組みのもう一つの象徴である。富山駅北口から、これも自慢のポートラムというトラムが出ている。

 いつかはわからないが、次に富山に来たときは、行こう。

         ★

 翌日は、高岡で降りて、高岡城址公園にある射水神社に参拝し、そのあと、金沢から特急で帰った。

 

     ( 射水神社 )

 

 

 

 

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コンパクトシティ・富山市の挑戦 … 冬の北陸の旅 (3)

2019年04月16日 | 国内旅行…冬の北陸へ

 ( 富山市庁舎の展望塔から剣岳を望む )

        ★

 明治の初めに日本の人口は3500万人ぐらいだったが、右肩上がりに増えていき、増大する人口とともに「近代日本」はつくられた。

 だが、今、それよりももっと急激な勢いで人口減少が始まっている。100年もたたないうちに、1億2000万人から3500万人に減る勢いである。

 問題は人口が右肩下がりに急減するというだけではない。

   人口が増えていった時代との根本的な違いは、人口に占める高齢者の割合が増え、一方、働く世代の割合がどんどん減っていくことにある。

 働く世代が減れば、GDPも減少し、富の配分を巡って日本社会が分断され、混迷に陥り、国自体の存立が危ぶまれる状況が来るかもしれない。

 よって、できるだけGDPを維持すること。働き方改革も行い、地方経済も活性化し、生産性を上げ、子育て支援も行う。これすべて、日本が直面する問題につながる政策である。国を挙げて、本気で取り組まねばならない。

        ★

北陸3県のデータを少し >

 藤吉雅春『未来は地方から始まる ─ 福井モデル ─ 』(文藝春秋 2015年刊)は、そういう問題意識のなかで出会った本の一つである。本の題は「福井モデル」となっているが、4つの章のうちの第2章「世界を唸らせた富山市の挑戦」の中で、富山市の取り組みが紹介されている。

 当ブログ「冬の北陸の旅」がいよいよ富山市にさしかかったところで、この本の中から、ほんの少しだけ富山市の「挑戦」を紹介したい。このように頑張っている都市もあると知るだけで、多少とも元気をもらえるから。

 だが、その前に、あまり知られていないと思うので、頑張る「北陸3県」のいくつかのデータを紹介しておきたい。

 以下、「 」は、この本からの引用である。

〇 「2011年に法政大学大学院の坂本光司教授と『幸福度指数研究会』が発表した、47都道府県幸福度ランキングでは、1位 福井県、2位 富山県、3位 石川県と、北陸3県がトップスリーを占める。20年近く前の、旧経済企画庁によるランキングの頃と変わっていないのだ。

〇 政府統計の数字を見ても、生活保護者の受給率(2012年)の低さでは、1位が富山、2位は福井、石川は8位だ。

〇 勤労者所帯の実収入(2010年)では、1位が福井県で、2位の東京を引き離している」。

 以上は、本の引用だから、少々古い。そこで2018年の政府統計その他のデータを見ると、

〇 全国学力テスト (公立小中学校。私立は任意参加) ── 1位 石川県、2位 秋田県、3位 福井県、4位 富山県、5位 東京都。

〇 東大合格者数 (2014~2018の5年間の現役・浪人の合格者数を生徒数で割った。ただし、都道府県別は生徒の住民票所在地ではなく、高校の所在地) ── 1位 東京都、2位 奈良県、3位 神奈川県、4位 兵庫県、5位 鹿児島県、6位 富山県、7位 石川県、…… 23位 福井県

 ── 例えば、東京都の場合、都立が少し巻き返しているとはいえ、私学の天下である。奈良県は県立も健闘しているが、東大となると、東大寺学園と西大和学園という2私学で稼ぐ。兵庫県は天下の灘高、鹿児島県にはラサールなど、いずれも中学生が飛行機お受験をする私学がある。北陸3県に、そのような私立はない。ほとんど公立高校からの合格者である。福井県の23位は、東京に出るより京大へ進学する地域だからである。

〇 共働き所帯の割合 ── 1位 福井県、2位 山形県、3位 富山県、4位 石川県

〇 サラリーマン所帯の実収入ランキング ── 1位 栃木県、2位 富山県、3位 石川県、… 6位 東京都、… 10位 福井県。 

 こうしてみると、北陸3県がよく頑張っていることがわかる。  

     ★   ★   ★

コンパクトシティ・富山市の挑戦 >

 以下、この本の第2章の内容を紹介する。興味のある方は、ぜひ本のほうを読んでいただきたい。

 「あまり日本国内では知られていない事実だが、富山市は世界中から注目されている」。

 「その証拠に森市長は世界中から引っ張りだこで、講演の要請が頻繁に舞い込んでいる。おそらく世界中で講演を行っている日本の市長は、他にいないだろう」。

 「森(市長)はパリ、北欧、南米と、地球の裏側まで講演会や討論会に呼ばれ続けている。韓国で講演を行う際は、1年かけて学んだ韓国語でスピーチを行った。イタリアに招かれると、やはり練習したイタリア語で討論する。2005年以降、市長は毎年65回とか79回といった数の講演会や討論会に招待されている」。

 「国内外から富山市への行政視察も増え続けている」。

 「世界中から注目を浴びる理由は、2012年、OECDがまとめた『コンパクトシティ』政策報告書で、富山市が …… 世界の先進5都市として評価されたからだ。この5つの都市の中で、人口減少と少子化・超高齢化にあるのは、富山市だけだ」。

 「人類が経験したことのない超高齢化社会を、富山市がコンパクトシティ化によって克服し、いかに『住みやすい街』に変えようとしているのか。そのヒントを富山市から見出そうとして、多くの人が行政視察に訪れる」。

 「富山県は、道路整備率と道路改良率がともに全国一位」。「しかし、高齢化で人口動態が変わると、『住みやすさ』は逆作用する」。

 「道路整備に税金をつぎ込んできたことは、補修整備にもカネがかかることを意味する。また、道路が整備されたため、街は郊外へと拡大を続けていった」。

 「逆に、中心地の商店街に空き店舗が目立ちはじめ、ゆがて中心商店街地の地価が下落。税収が落ちた。悪循環の始まりである」。

 「街は郊外に拡大したため、行政コストの増大につながった。ごみ収集、介護サービスの巡回、雪が降れば除雪のコストは増し ……」。

 (かつての道路整備は)「維持管理の問題だけでなく、高齢者にとって不便なものに変わった。高齢化によって老人たちは運転が難しくなる。買い物や病院へのアクセスが不便になり …… 」。

 そこで富山市は、市街地を循環するノンステップ・低床のチンチン電車(ライトレール)と、かつて北前船で賑わった港と市街地とを結ぶ電車の2交通機関を官民協力して整備し、富山市を歩いて暮らせる街へ、着々と変貌させていったのである。

 街の中心部にヒト、モノ、カネの機能を集約する。そのために、郊外から市街地に引っ越してくる人には、補助金を出して奨励した。少子高齢化の時代を先取りしたコンパクトシティづくりである。

         ★

 例えば、「孫とお出かけ支援事業」という施策があった。孫、ひ孫と一緒なら、市内のファミリーパーク、博物館、科学館、民俗資料館などの市の施設が無料になる。父母ならアイスクリームを1個しか買わないかもしれないが、おばあちゃんなら3人分、3個買うかもしれない。帰りにおじいちゃんは孫を連れて寿司屋で食事くらいするかもしれない。もともと「高齢者の外出を促進する政策」、歩く歩数を増やす健康づくり政策だったのだが、地域経済にも貢献し、世代間交流にも資する。一石三鳥だった。

 これには、後日譚がある。視察に来たある自治体の市長が「これ、パクッていいですか」「どうぞ、どうぞ」ということになった。

 しかし、その後、その市から残念ながらうまくいかなかったと報告があった。市議会で、ある議員が「孫のいない高齢者にとって、不公平ではないか」と反対し、結局、議会で成立しなかったというのだ。富山市長はこれを聞いて、「不作為」。「結局、何もしない」方が無難なのだと怒った。

         ★

 別の政策の話。

 2011年4月の富山市内のホテル・旅館への外国人宿泊者は511人。ほとんどの観光客は富山駅を素通りして、それぞれに温泉地や立山方面へと向かう。ところが、その1年後、2年後と宿泊者数は飛躍的に増え、3年後の2014年4月には9739人になった。

 特別なイベントやアトラクションをやったわけではない。では、何が??

 各ホテルにチンチン電車(ライトレール)の無料券を置いたのだ。この無料チケットの効果で、旅行者が市内のホテルに泊まるようになった。

 「実は、このヒット企画は、パクリだった。森(市長)が明かす。『スイスのバーゼルに行ったとき、外国人旅行者は市電が無料だったのです。これに感動して、一人で、一日中、市内を見て回りました』」。

 実は私にも経験がある。当ブログの「フランス・ロマネスクの旅」(2015年)の2回目「ジュネーブへ」に書いている。

 関空から飛行機の長旅を終え、ジュネーブ空港に降りた時、空港のパッケージ・ピックアップの空間に、市街地へ行く電車の90分間無料チケットの発券機があった。ブログにも書いたが、スイスはユーロ圏ではない。当然、スイスフランの小銭の持ち合わせはないから、ありがたかった。

 さらに、翌朝、ホテルのフロントで、ジュネーブ市内の公共のトラム、バスに1日無料で乗れるチケットをもらった。さらに翌日、ローザンヌに移動したが、ローザンヌのホテルでも1日券をもらった。

 そのときに、思った。日本は、言葉で「おもてなし」を言うより、観光大国スイスから、その方法論をもっと学ぶべきだと。日本の観光事業は遅れている。観光だけでなく、それぞれの分野で、日本よりももっと先に進んでいる国はいくらでもある。観光なら、まずスイスだ。

 森市長は私と同じことを感じ、市長としてどんどん実行している。

  ( ジュネーブのレマン湖畔 )

         ★

 富山市の街を歩いていると、街角にレンタル自転車が並んでいるのを見かける。「自転車市民共同利用システム」というそうだ。市街地に17カ所もステーションがあり、24時間、いつでも借りることができるが、これも、バルセロナやパリの仕組みのパクリだという。

 

( アムステルダムの自転車とハンキングバスケット )

 今回は、富山市を訪れた時期が真冬だったので、あまり目にすることはなかったが、景観を美しくするためにハンギングバスケットに飾られた花束が市内を彩るそうだ。これも、ヨーロッパの都市からのパクリだという。

 その延長で、指定の花屋で花束を買ってライトレールに乗れば、運賃は無料という「花トラムモデル事業」もある。しかし、これは利用者が少なかったそうだ。

 ところが、このオシャレな取り組みを東京のテレビ局が次々に取材に来て全国に報道した。

 そのテレビを見たある企業の女性役員が、「こんなオシャレなことをやっている町で、うちの社員を働かせたい」と、支店の設置を決めたという。

 「『誰も街を愛していなかった』と、10年前を振り返る市民の声を聞いた。ピンクチラシが路上に散らかり、ヤミ金融のポスターや、針金が外れかかった捨て看板がぶら下がる。薄汚れた風景を、誰もかえようとしない。そんな街だった」。

 「だが、花で埋め尽くして景観をきれいにしていくと、住む人々が自分たちの手で街をきれいにしていったのだ」。

         ★ 

 「市長は連休になると、… アイディアを盗みに、世界に旅立っている。急に思い立ったようにハンブルグに2泊4日で出かけたと思うと、ポートランド、ミラノ、シアトル、ヘルシンキと、思いつくまま地球のあちこちに出かけている。『税金の無駄遣いだ』という批判が起きても当然の行動であり、市民団体が飛行機はエコノミーかビジネスクラスかを調査するのが普通だ。ところが、市民から一切批判が起きてこない」。

 「実は、市長の海外視察には税金が使われていない。市長の個人後援会の人々が、こう言って背中を押しているのだ。『躊躇することなく視察できるように後援会費を出しているんだから、惜しみなくカネを使ってアイディアを持ち帰ってくれ』

 いい街をつくりたい市民が、市長を使っているのだ。… その最たる例が、最大のパクリ、ライトレールだ」った。

 ヨーロッパも一時は車社会だったが、環境への意識からチンチン電車が見直されるようになった。今では、西ヨーロッパの中都市以上の町では瀟洒なトラムが街の風物詩のように走っている。

  ( ストラスブールのトラム )

 ( リスボンの旧式チンチン電車 )

 富山市のチンチン電車は、このヨーロッパのトラムをいち早く、官民半々の出資で、取り入れたのだ。

          ★

 「市長は市役所で『市民の声を聞け』と檄をとばす。これはよくある話だ。だが、市長の森はこう付け加えている。『今の市民の声を聞いて、それを政策に反映させるのは、ポピュリズムだ。30年後の市民の声を意識しろ』」。

 「このシナリオのポイントは、『危機感』と『ビジョン』がセットで語られている点だ」。

     ★   ★   ★

 改革、改革、というが、組織いじりをしたり、思い切った若返り人事をやったとしても、未来に向かって生きた改革が行われるようになるわけではない。

 大切なことは、結局、「人」を得ることだ。たった一人の人である。たった一人の人がやって来ることによって、組織の中に「熱」が生まれ、一人一人が生き生きと動き、変わっていく。

 すると、一人一人が、この街を美しくしたいと思うようになる。この街を良くしたいと思い、未来に向かって動き出す。息子に、「東大を卒業したら、東京の大企業に就職するより、この町に帰って、この町に貢献する人間になれ」と言うようになる。

 それを市民意識という。「庶民」のままではだめなのだ。「人民」や、「大衆」や、「庶民」ではだめなのだ。

 そして、「市民」の延長が「国民」である、と思う。

  令和の時代の改革は、中央からではなく、地方から始まらなければならない。

  「国民」も大事だが、「市民」が必要な時代になる。

 

 

 

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雨晴(アマハラシ)海岸 … 冬の北陸の旅 (2)

2019年04月04日 | 国内旅行…冬の北陸へ

      ( 富 山 湾 )

 朝、宿の部屋のカーテンを開けて、しばし景色に見とれた。

 宿は、富山湾に臨む岬の丘の上にあるらしい。

 昨夕、雨晴駅まで迎えに来てくれた宿の車は、ぐるぐると鳶のように弧を描きながら、上へ上へと上って行った。

 宿を予約したとき、「マップを見ると駅から近いですね」と聞いたら、「駅までお迎えに行きます」との返事。列車で到着した人たちをまとめて乗せるのだろうと思い、「でも、列車を降りて、雨晴海岸で時間を過ごすかもしれません」と言うと、「いつでも電話してください。お迎えに行きますから」とのことだった。親切なもの言いに好感をもった。

 もし海岸からこの高さまで荷物を持って徒歩で歩いたら、ちょっと無理でした!! 最初からそれなりの覚悟してたら別でしょうが。

        ★

 今日も曇天で、立山連峰は見えない。だが、眼下には古風な黒瓦の屋根が並び、波静かな富山湾が広がって、その向こうには、薄く冠雪した能登の山並みが霧の中に続いていた。

   ( 朝の富山湾 )

    ( 能登の山並み )

 チェックアウトのとき、フロントの女子に、「雪の立山連峰を最もよく見られる季節はいつですか」と聞いてみた。ちょっと考えて、「2月、3月。一番は3月でしょうか」と言う。「えっ。 そういう季節なの? 」 (5月くらいかと思っていた)。「3日ほど前もとても綺麗に見えましたよ!!」「そうなの? 」「何日かに1回くらいの割合で、絶景が見えます!! あとは、運ですね」。

 …… それなら、リタイヤした暇な身分。前日の天気予報を見て判断し、翌朝、列車に乗ってもよい。

   宿はここ。大きな旅館だが、あまり混んでいないし、昨夜の料理は美味しかった。従業員の感じがいい。

        ★

 車で「雨晴」駅まで送ってもらい、列車がくるまで、海岸に降りて過ごした。

 絶景ではないが、穏やかで、気持ちの良い海岸線だ。

   ( 雨晴海岸で立山の方を望む )

 ホームに上がると、一人旅の青年が三脚を立てて、やって来る列車を撮影していた。脚が長い。小顔。向井理のタイプ。

 列車に乗り込んでから、青年に、「鉄道写真を撮る旅ですか? 」と聞いてみた。「いえ、立山連峰を写したくて、休暇を取ってきたのですが」「じゃあ、一緒です。お互い、残念でしたね」。

  ( 雨晴駅のホームで )

 下の写真は、小さな「雨晴駅」の駅舎の横にあった大きな看板である。この光景を自分の目で見、自分のカメラにおさめたくて、この青年も私も、ここまで鈍行列車に乗ってやって来た。

 

  ( 「雨晴駅」の横の看板の写真 )

        ★

 氷見線に乗って、「雨晴」から「高岡」まで、コトコトと20分。

 「高岡」で乗り換えて、とやま鉄道で「富山」まで、また20分。

 「高岡」からは、開通した新幹線が並行して走っているはずだ。しかし、旅はローカル線が一番である。

        

 

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能登国の一の宮へ … 冬の北陸の旅 (1)

2019年03月27日 | 国内旅行…冬の北陸へ

      ( 雪の残る気多大社 )

 昨秋、能登半島をめぐるツアーに参加した。

 秋も深まり、年を越え、寒さが一段とこたえるようになったころ、寒いときには寒い所へ行くのが一番だと、再度北陸への2泊3日の旅に出た。

 今回の旅の目的は、秋に参加したツアーが素通りした能登の国の一の宮である気多(ケタ)大社に参拝すること。

 あとは、…… できたら、雨晴(アマハラシ)海岸から、冬の立山連峰を望めたらいいなあ。しかし、これは、お天気しだいだから、あまり期待しない。冬の北陸のイメージは、吹雪や大雪だ。

 もう一つある。昔、出張で行って、夜、富山駅前の居酒屋で食べた白エビやブリの刺身がびっくりするほど新鮮で美味しかった。あれをもう一度。「お酒は "熱め" の燗がいい」。

     ★   ★   ★

特急に乗り遅れる >

 1月21日(月)。

 今日は、七尾線の羽咋(ハクイ)駅で下車して、能登一の宮の気多(ケタ)大社に参拝し、そのあと、ローカル線を乗り換え、乗り換え、乗り換えして、雨晴(アマハラシ)駅のそばの「磯はなび」という宿に泊まる。

 ところが出だしでつまづいた。大和路線が遅れ、タッチの差で、大阪発の特急サンダーバードに乗り遅れた。

 今回の旅はローカル線の乗り継ぎが多く、綿密に計画を組んでいたのだが、全て大阪駅のプラットフォームでやり直しに。

 それでも、宿に1時間遅れで着く計画を作り直した。スマホは便利だ。

 当初の計画より30分遅れのサンダーバードに乗った。

         ★

七尾線に乗る >

 琵琶湖の北岸あたりから雪景色になることを期待していたが、積雪はなく、ぽかぽかと暖房の効いた車内で読書して過ごし、早い目の昼飯を食べた。

 12時過ぎ、金沢駅で七尾線に乗り換える。当初の予定なら、ここで特急に乗り換えられるはずだったが、大阪で乗り遅れて、羽咋まで1時間弱かけのんびりと行く。

 ( 七尾線の車中 )

 どこにでもあるローカル線ののどかな車両だが、女子高生が勉強しているのがいい。

 七尾線は、金沢から日本海に沿って北上し、羽咋で方向を変えて、能登半島を西から東へと横断。波静かな七尾湾の和倉温泉まで行く。

 一、二日前に降ったらしい積雪が、薄く田野を覆っていた。

 この曇天では、雨晴海岸からの立山連峰の雄姿は、望むべくもない。だが、それは最初からあまり期待していない。人生、あまり欲張らない方がいい。

  ( うっすらと雪景色の田野 )

        ★

「羽咋」の名のいわれを聞く >

 羽咋駅で下車した。次に乗り継ぐ列車まで1時間足らず。本数の少ない路線バスを待つ余裕はないので、駅前からタクシーに乗って気多大社を目指した。

 

 タクシーの運転手は心得て、運転しながら付近の観光案内をしてくれる。

 それで、ふと、「羽咋(ハクイ)って、ずいぶん珍しい地名ですが、何か名のいわれがあるんですか」と聞いてみた。すると、運転手のおじさんは一呼吸おいて、「こんな風に聞いています」と、話してくれた。

 昔、この地方に巨大な怪鳥が出現し、村人を襲い、凶作が続き、疫病が蔓延して、村は疲弊した。

 このとき第11代の垂仁(スイニン)天皇が、その第10皇子の磐衝別(イワツク ワケノ) 命(ミコト)を派遣した。「岩を衝く」というのだから、勇猛な皇子だったに違いない。

 垂仁天皇は、第10代の崇神天皇とともに、実在した可能性が高いとされる最も古えの大王である。記紀によると、若いときから英名の誉れが高い。

 磐衝別命は供として連れてきた3頭の犬とともにこの怪鳥と戦い、矢で射、剣を振るって、ついに怪鳥を倒した。だが、この戦いのなかで、3頭の犬は死んだ。

 犬は怪鳥の羽に喰らいつき、最期まではなさなかったという。

 羽に喰らいついてはなさなかった犬を称えて、「羽咋」の名が生まれた …… のだそうだ。

 …… 聞いてみるものだ。「ハクイ」という地名が「羽咋」になった。

 磐衝別命はそのままこの地に住み着き、子孫は羽咋君(ハクイノキミ)を名乗って、国造(クニノミヤツコ)になった。

   羽咋駅の近くに羽咋一族の墳墓群があるそうだ。

 そのなかの磐衝別命の墓と伝えられる墳墓は100mの前方後円墳で、陵墓参考地に指定されている。また、犬を弔った水犬塚や、命(ミコト)の剣を埋めた剣塚などもあるとのこと。

 記紀によれば、畿内を掌握した第10代崇神天皇は、叔父や従弟を四道将軍に任命して北陸道、東海道、山陽道、山陰道に派遣した。それに続く第11代垂仁天皇のときにも、不穏な動きのある豪族の制覇行があって、この話もその一つが伝説化したのもしれないと想像したりした。

 山陽道に派遣された吉備津彦命は桃太郎伝説となった。桃太郎はイヌ、サル、キジを率いたが、この地の話で磐衝別命はイヌ3頭を率いた。サルやキジより、現実感がある。

         ★

気多大社に参拝する >

 車は二の鳥居の前に着き、運転手に見送られて参道を歩き、拝殿へと向かう。

 右手に社務所があり、左手に手水舎。正面には安土桃山時代の神門。最近降ったらしい雪が、神門の屋根を白く覆っている。ここが能登の国の一の宮だ。  

   ( 気多大社神門 )

 日陰に残雪が残り、人気のない、しんとした雰囲気のなか、拝殿にて参拝した。

 ( 境内図 … 「入らずの森」 )

 拝殿、本殿の奥は森になっており、森の中に奥社があるらしい。

 だが、この神社の森は「入らずの森」とされ、神官でさえ、年1回、大晦日の夜に松明をもって入り、神事を行うだけだ。

 1万坪の原生林は、タブ、ツバキ、シイ、クスノキなどの常緑広葉樹が密生し、国の天然記念物に指定されている。

  ( 森を垣間見る ) 

 これもタクシーの運転手の話だが、昭和天皇の行幸があったとき、天皇はお迎えした金沢大学の植物学の先生とこの森に入られた。ところが、いつまでたっても出てこられず、石川県警やSPの人たちは、禁断の森の中へ様子を見に入るわけにもいかず、ずいぶん気をもんだそうだ。

 二の鳥居まで戻り、タクシーに乗る。

 参道は二の鳥居からそのまままっすぐ南へ延びて、途中、国道を横切り、海に到る。そこには海に向かって立つ一の鳥居がある。海に開かれた神社なのだ。能登は、そういう所だ。

 祭神は大己貴(オオナムチノ)命。別名、オオクニヌシ。入らずの森の奥社に祀られているのは、スサノオとその妻クシナダヒメ。

 遠い古代において、出雲の政治的影響力は日本海に沿い、北陸に及んでいた。古事記にも、オオナムチが北陸のヒメと結婚する話が出てくる。

 オオナムチ(オオクニヌシ/オオモノヌシ)を祭神とする出雲系の神社の広がりを見れば、茫々とした古代もほんのわずか垣間見ることができるように思う。中部地方の諏訪湖のそばの諏訪大社も、初期ヤマト王権が尊崇した大和の三輪山をご神体とする大神神社も、縄文時代からある神祀りの場だったが、その後のある時期から出雲系の神を祀っている。こうしたことから、出雲の勢力圏の広がりを推測できる。そうすると、ヤマト王権への「国譲り」神話も、何らかの史実の反映ではないかと思われてくる。少なくとも、「国譲り」の「国」は出雲一国のこととは思われない。

 タクシーの運転手は、列車の時間までまだ余裕があるからと、日本海の海岸に寄り道してくれた。

  ( 雪の残る日本海 )

 雪の残る砂浜へ下りていくサーファーがいた。曇天の暗い海だが、意外に波は良いのかもしれない。

         ★

雨晴海岸は曇っていた >

 七尾線で「津幡(ツバタ)」までもどって、とやま鉄道に乗り換える。

 さらに、「高岡」で40分の待ち合せをして、氷見線に乗り換えた。あと少しだ。

 氷見線の車内に、雨晴海岸から望む立山連峰の写真が吊られている。この景色を見ることができたらいいなあ。だが、曇天である。

 

  ( 氷見線の車内 )

 ほどなく列車は富山湾に沿って北上する。

 あっ、見えた。

 

   ( 車窓から )

 だが、すぐに暗い雲に隠れた。

 人けのない「雨晴」駅に着く。

  ( 雨晴駅 ) 

 小さな駅舎を出て、海岸に降りてみるが、小雨まで降ってきた。

 やむなく、宿に電話し、迎えに来てもらう。もう午後5時だ。

        ★

  こ゚の夜泊った「磯はなび」は丘の上にあり、立山連峰は見えなくても、波静かな富山湾と能登の山並みを一望にして、素晴らしい。

 夕食のレストランで、若い女子が飲み物の注文を聞きに来た。「生ビールと燗酒を」「……?? キリンとか、アサヒとかありますが、…… カン酒はありません」「……??」。しばらくやりとりして、「熱カンはあります」「……(笑い)……、では、熱燗を。でも、あまり熱すぎないように」。

 どうも、「缶酒」と思ったらしい。

 日本は日本酒ばなれが進んでいるが、日本酒ほど旨い酒はない。ワインも美味しいが、果実酒は飽きる。それに、体が冷える。日本酒は温めて飲めば、体にもやさしい。温めて飲んで旨い酒は、世界でも限られている。

 しかし、最近、「熱燗」という言葉が使われるようになり、日本酒を知らない居酒屋の女子が、熱湯に近い酒をもってくるようになった。それで、居酒屋で「熱燗」という言葉は使わないようにしている。「燗酒」が通用しないのなら、これからは「お酒を燗にしてください」と言うことに。

 海の幸の食事がとても美味しかった。若い人には量的にもの足りないかもしれないが、私には十分。生きのよい、美味しいものを、少量ずついただくのが良い。

 

 

コメント
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