10月23日(金) のち
< 西へ西へと飛ぶ……カスピ海も、黒海も横断して >
前夜、20時30分に関空に集合した。
22時10分、トルコ航空で出発する。 (定刻より20分も早く出発した!?) 。
ヨーロッパ旅行で、ヨーロッパ系航空会社以外の飛行機に乗るのは初めてだ。トルコ航空は夜行便である。
旅行社の企画するヨーロッパツアーに、中東系の航空会社の企画がどんどん増えている。安いし、往復が夜行になるから、観光に効率的なのだろう…?
ヨーロッパ系の便なら、初め、北西に針路を取り、そのあとは西へ … シベリアの大地の上を延々と西へ飛んで … ウラル山脈を越え、さらに西へ。秋や冬なら日の落ちたアムステルダム、或いは、フランクフルト、或いは、パリ、或いは、ローマへ到着する。
初めてヨーロッパへ飛んだとき、地図帳で頭の中に形成されている遥かなるユーラシア大陸の上空を、自分が刻一刻と移動していくという、観念と現実の不思議な一致にただ感動したものだ。1万メートルの上空からは、行けども行けども続く寒々としたシベリアの大地や、その大地を巨大なカーブを描いて方向転換するエニセイ河が見下ろせた。
( シベリアの大地 )
トルコ航空は、最初、北西に針路を取らず、夜の大地の上をひたすら西へ西へと飛んで行く。
中国からモンゴルの上空を通り …… イランの北側、カスピ海の真ん中を横断して ( 昼間、空からカスピ海を見たい! )、北にウクライナ、南にイラクを意識しながら黒海を渡り …… 朝、5時半、イスタンブール空港に到着した。日本とは6時間の時差だから、日本時間なら午前11時半である。
長い長い夜の旅だが、少しは眠ることができた。
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< 海外旅行では何が起きるかわからない ! >
日本国憲法に、「主権を有する日本国民」という表現がある。── 言い換えれば、国境を超えて他国へ入れば、「主権者」としての身分・権利は通用しなくなるということだ。そこが、海外旅行の、「国内温泉旅行」と基本的に違うところだ。「お客様は神様」などと威張れるのは、日本国の中でのことである。そういう海外で自分を保証してくれるものは、日本国政府の発行したパスポートだけ。「地球市民」などという言葉は通用しない。
と、わかっていても、人はミスを犯す。長い飛行機の旅のあとは、なおさらである。頭は朦朧、夢うつつである。
沖留めの飛行機を降り、バスで空港の建物に移動し、ザグレブ行きに乗り継ぐため、トランスファー用の長い通路を歩いて、セキュリティ・チェックに到達。いよいよパスポートが必要になったとき、ツアー一行の一人の女性が、パスポートの入ったバッグを機内のシートに掛けたまま忘れてきたと言い出した。
人ごとながら絶句した。
これがもし個人旅行で、自分がパスポートを置き忘れてきたとしたら、その場で旅行の継続を諦めるだろう。旅行は断念し、腹を据えて、目の前のこと、まずは最寄りの空港事務所の係員に忘れ物を探してほしいと、身振り手振りも総動員して訴えるしかない。そのあとのことは、あとのことだ。
添乗員のSさんは、乗り継ぎの時間内に、見事に見つけてきた。
関空発の飛行機の乗客の多くは日本人だから、その点、安心である。後から降りる誰かがバッグに気づき、乗務員に届けるだろう。誰も気づかなくても、バッグはずっとそこにあり、最後に点検する乗務員が発見するだろう。日本語を話せる女性乗務員がいた。ちょっと会話したが、心優しい、日本大好きのトルコ人女性だった。乗務員は、落し物として、空港の「しかるべき事務所」に届けるに違いない。
以上のことを信じて、Sさんとしては、空港内の最寄りの事務所の係員に訴え、つまりバッグにはパスポートが入っており、乗り継ぎの時間が迫っていると説得して、係員を本気にさせ、電話、或いは、パソコンで、落し物が届いているかどうか、どこで保管されているかを探してもらう。(そのとき、係員たちを忙殺させるような、何か事が起こっていれば、万事休すだ。個人的事情は後回しにされる)。そうして、どこにバッグが届いているかがわかれば、落し主を連れて広大な空港内の当該事務所にたどりつき、所定の手続きを踏んで、返還してもらう。
Sさんはかなりのベテランの添乗員であるが、それにしても、なかなかのものであった。コミュニケーション能力もさることながら、経験と、何よりも根性。
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< ザグレブの旧市街を歩く >
10時5分、クロアチアの首都ザグレブに到着。日本との時差は、トルコよりさらに1時間遅れて7時間。日本はすでに17時5分だが、今日の活動はこれから始まる。
お天気は、あいにくの曇天。日本より10℃低いとされるザグレブのこと、防寒対策はしてきたが、それにしては暖かい。
観光バスに乗り、空港からザグレブ市内へ。
現地ガイドと落ち合い、添乗員に連れられて、レートが良いという街の中の両替所で、日本円からクロアチアのクーナに両替する。1クーナは約18円。
それから、街の中のレストランで、みんなで昼食。一行の初顔合せである。
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ザグレブ市は今は大きく発展しているが、旧市街は緩やかな丘の斜面に開けて、東西が約1.3キロ、南北に約0.8キロ。日曜の散歩で歩く程度の広さだ。
『地球の歩き方』によると、その小さな旧市街の東側は、11世紀にカソリックの司教座として建設されたカプトル地区で、西側は、13世紀に商工業の町として開かれたグラデツ地区。歴史的に起源の異なる二つの地区が一つになって、小さな旧市街を形成している。
旧市街のある丘の南の麓にイエラチッチ総督広場があって、伝統的な美しい建物に囲まれている。町の人々が落ち合う場所としてよく使われるそうで、言わばザグレブのヘソ。ここから南には、賑やかな新市街が大きく広がっている。
( イエラチッチ像 )
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観光はこのイエラチッチ総督広場からスタートした。
カプトル地区の方へ少し上がって行くと、青果市場があった。ヨーロッパの町はどこでもこうした市が立つ。新鮮な野菜や果物が山盛りに盛られて売られていた。
( 青果市場 )
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青果市場からさらに丘を上がると、聖マリア被昇天大聖堂の西正面の広場に出る。
旧ユーゴスラビアの統一のくくりは、南スラブ民族というくくりである。それが、今では、6つの共和国と2つの自治州に分裂した。スラブ民族というくくりが、民族のくくりにはならなかったということである。実際、スラブ民族と言っても、遠い過去の言語の名残りがわずかに共通して残っている、というに過ぎないらしい。言語以外の、一般に民族を規定する歴史的・文化的・宗教的土壌はかなり違う。
例えば、宗教だけでも3つの宗教がある。カソリックと、ギリシャ正教と、イスラム教である。
スロベニアやクロアチアは、その昔、フランク王国のカール大帝の時代にカソリックを受け入れ、その後、ビザンチン帝国 (ギリシャ正教が国教) の政治的・文化的・宗教的影響もあったし、オスマントルコの侵略も受け、人々も流入したが、わが民族は、本来、少しだけスラブの血を引くラテン民族である、という意識が強かった。
当然、民族運動や独立運動において、カソリック教会は心の砦となってきた。
そういうクロアチアを象徴する教会が、カブトル地区の聖マリア被昇天大聖堂である。大聖堂は、司教座の置かれた教会で、13世紀ごろに建てられ、19世紀の大地震後、外観はネオゴシック様式で修復されたから、まだ新しい。
(聖マリア被昇天大聖堂の西扉口)
燭台の灯された聖マリア被昇天図の前には、社会見学の児童たち。
(聖マリア被昇天図の前の子どもたち)
ヨーロッパのどこの町でもよく見る光景であるが、小さいときから、静粛にしなければならない時と場があることを学ぶのは、大切なことである。日本では、親が、子どもの授業参観で私語して、授業を妨害するらしい。
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坂を上り、西へ向かうと、商工業の町として建設された、しかし今は古都の風情の、グラデツ地区に入る。
この地区の中心は、屋根のモザイクが印象的な聖マルコ教会。
( 聖マルコ教会 )
屋根の二つの紋章は、左側がクロアチア王国とダルマチア地方とスラヴォニア地方を表す紋章で、これらを併せて、現在のクロアチア共和国がある。右側はザグレブ市の紋章。
聖マルコ教会も19世紀に改築されているから、紋章は19世紀の民族意識の高揚を表すものであろう。
教会の右側の旗の見える建物は国会議事堂、左側の門に旗が掲げられた赤い屋根の建物は首相官邸である。
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聖マルコ教会からグラデツ地区の通りを下って行くと、ギリシャ正教の美しい教会もあった。
(ギリシャ正教の教会のあった)
道端で、民族衣装を着た娘さんが、民芸品のお土産を売っている。ザグレブ市のPRガールだろうか ?
( 民族衣装の若い女性 )
「お土産を買わなくても、写真を撮ってもらって構いません」と、笑顔で言ってくれるから、立ち止まって、みんな、パチパチ写真を撮り、彼女と並んで写す人も。ちゃんとポーズを取ってくれる。……で、 遠慮深く、遠くから1枚。
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< 撮影はだめよ‼ >
小じんまりした旧市街を一巡し、イエラチッチ総督広場に戻って、しばらくの自由時間のあと、観光バスに乗車した。
クロアチアの首都を見た、とは言えない。旧市街の、ごくサワリを垣間見た、ということか。
だが、旅は続き、予定では、今日のうちに北の隣国スロベニアの首都に行かなければならない。
首都ザグレブから、首都リュブリャナまで、観光バスで約3時間。国境を超えて、3時間で首都から首都へ。近い。これがヨーロッパだ。
途中、林や畑や野の広がる高速道路に、国境の出入国検査場が、料金所のようなたたずまいで、あった。空港のパスポート・チェック、鉄道駅のパスポート・チェックは経験があるが、道路は初めての経験。
バスを降り、徒歩でクロアチアを出国し、スロベニア側で、今度は入国検査を受ける。
一行を待っている間に、検問所の写真を撮ろうとしたら、添乗員のSさんに制止された。「写真機を没収されますよ」。そうだった。どこの国であろうと、許可なく国家権力に向けてカメラを構えてはいけない。
それに、この国の「主権者」ではないのだから、何かあれば、国家間の問題になる。
(車窓風景: スロベニアの田園風景)
ザグレブでは曇天だったが、すっかり晴れ渡った。山 (丘) があり、緑が豊かで、スロベニアの田園風景はのどかである。
日本でも秋の日は釣瓶落としと言うが、ヨーロッパの秋の日暮れは、日本よりさらに早い。日が暮れて、スロベニアの首都リュブリャナに入った。
関空を出てから長い1日だった。やっと風呂に入り、ベッドで横になれる。