ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

SEIMEI … まるで楽曲を奏でているよう

2018年02月23日 | 随想…スポーツ

 

「よみうり寸評」(讀賣新聞夕刊 2、22)から 

 「日本勢の獲得メダル総数はこれで長野五輪の10個を超えた。過去最多というからなおさら誇らしい。選手団主将の小平奈緒選手が掲げる言葉通り、『百花繚乱』の趣である」。

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 「百花繚乱」。だが、私にとって今回の冬季オリンピックの圧巻は、羽生結弦の「SEIMEI」である。今回のオリンピックで、ただ一つに絞れば、この「SEIMEI」に思い入れがあった。

 そう思いつつ一人で感動の余韻に浸っていたら、今朝の讀賣新聞朝刊(2、22)に、狂言師・野村萬斎氏の文章が掲載された(「冬銀河」)。

 「羽生選手に初めて会ったのは2年半ほど前のテレビの企画です。都内の能舞台で対談しました。

 2001年公開の映画「陰陽師」のエンディングで、安倍晴明役の私が舞ったシーンから着想して出来上がったのが、2015~16シーズンと今シーズンの彼のフリープログラ「SEIMEI」です。映画では、狂言の型だけでなく自身のオリジナルの型も採り入れてアドリブで舞ったものに梅林茂氏が音楽をつけて下さったのですが、回転と跳躍があり、フィギュアスケーターとして興味深かったのかもしれません」。

        ★

 この対談番組を私もみた。対談を望んだのは羽生の方のようで、もっぱら羽生が質問し、萬斎が「私の場合は」と、自分の考えを答えるというかたちで進んだ。

 例えば、羽生は、「これから演技が始まるというとき、すごく緊張して、そのためミスをしてしまうということがありますが、萬斎さんは緊張をどう克服していらっしゃいますか?」と聞く。

 野村は答える。「能舞台には四方に柱があります。4本の柱に囲まれた空間は、神域なのです。舞台に立ったとき、私たちはまず、この4本の柱の空間に「気」を送ります。ただ、私の場合は、その空間を広げて、観客席も含めた会場全体に、「気」送ります。この会場内の空間(天地)と、全観客(人)と、私とが、渾然と一つになるよう「気」を送るのです」。

 これは、スゴイ、と思った。賢い羽生は、自分のスケートに、日本の古典芸能の神髄を取り入れるに違いないと思った。

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 羽生の「SEIMEI」において、演奏が始まる前、羽生は左手で「印」をきる型をとって立つ。音楽が始まった瞬間、もう一方の右手が天に向かってさっと挙げられる。単に上に挙げるのではなく、「天」が意識されるのである。

 ということも、2人の会話の中で、萬斎氏が言ったことである。

 「対談した時、私の型をただまねるのではなく、型の一つ一つに深い意味を持たせるようにアドバイスしました。私たち伝統芸能の世界で言えば、型は技術でもあるが、同時に表現にもなっていると」。

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 「もう一つのアドバイスは、『音楽を身にまとうこと』。フィギュアに限らず、ダンス・舞踏においては音を聞きながら動くと、音にノれていないように見えます。羽生選手は「SEIMEI」の楽曲を奏でているように体が動き、音楽すらも衣装の一部になっていました。またそれをできる体を作り上げて、信頼する楽曲と一体になれたからこそ、自身の力を発揮することができたのではないかと思います」。

 羽生の演技を見終わって、自分の感動をどう表現してよいのかわからないでいた。さすがに萬斎氏は的確である。「楽曲を奏でているように体が動き、音楽すらも衣装の一部になっていました」。

 演ずる、舞うとは、自ら音楽を奏でることなのだ。だから、みる人々も感動する。

 この文章の初めの萬斎氏の言葉も素晴らしい。「彼の高い美意識の中に、勝利のための大きなハードルである4回転ジャンプをどれだけ組み込められるかを追求していた」。

 他の選手は、4回転ジャンプがまずあって、音楽や、振付けや、スケーティングがある。

 羽生の場合は、音楽、振り付け、スケーティング、4回転ジャンプの総てを渾然一体として、「SEIMEI」がある。「彼の美意識の中に」、4回転ジャンプは組み込まれている。

        ★

  前回のソチオリンピックのとき、「SEIMEI」で金メダルを取った羽生は、この対談を通して、もう一度「SEIMEI」でオリンピックに挑戦しようと決意したに違いない。前回の「SEIMEI」は勢いで取った金メダル。まだまだ未熟であった。そのことを萬斎さんから教わったと。

 もう一度、「SEIMEI」をやろうと決めたとき、彼は2度目の金メダルに大きく前進したのだ。

     ★   ★   ★

 フィギュアスケートに思い入れがあるわけではない。だが、前回ソチと、その前のバンクーバー大会は、浅田真央を応援していた。私だけでなく、真央ちゃんに肩入れしない日本人はいない。だが、稀有のスケーター・浅田真央はついに金メダルを取れなかった。2度の失敗の原因は、選曲にあったと今も思っている。そのため、衣装も化粧も振付けも彼女に不似合いなものになり、総ての歯車がかみ合わなくなった。自分に挑戦しすぎ、完璧を求め過ぎて、ライバルに勝つことをおろそかにした。

 羽生は、フリーの演技が終わったとき、何かを叫んでいた。

 「フリーの演技が終わった後、何を叫んでおられたのですか??」。羽生はこう答えた。「『勝ったー!!』と叫んでいました」。

 ── 他の大会とは違う。オリンピックは勝つことを目標にし、そのための作戦を、冷静に計算すべきなのだ。ポケットに持っているものを、机の上に全部出して見せる場所ではない。荒川静香が大会の前に何度も言っていた。「羽生くんは冒険しなくても、勝てる」。彼女の意図は、多分、「4回転ジャンプを5回跳ぶこともできるだろうが、冒険するな」と言っていたのだ。勝負に徹せよと。でないと、悔いを残す。

         ★

 3大会前のトリノオリンピックでは、世間の目は安藤美姫に集中した。が、私は荒川静香の優雅でしなやかな演技に思い入れがあった。だから、出勤の車の中のラジオで、彼女の金メダルを知ったときは、「やったあ!!」と叫んだ。イナバウアーは美しい。そして、大会直前に変更した選曲が彼女にぴったりで、彼女の優雅さを引き立てた。

 曲の力は大きい。選手の長所・個性を引き出す。選手は水を得た魚のように、曲を奏でる。

         ★

 もう一度、野村萬斎氏の文章。「早速彼には『死闘を死力で制したね』と、お祝いのメールを送りました」。

 

 

 

 

 

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スポーツ界の新しい指導者……村上恭和(2回目)

2016年03月01日 | 随想…スポーツ

 讀賣新聞2月28日のスポーツ欄 「road to リオ … 導く」 に、「違う個性束ねる戦略家……卓球女子日本代表監督・村上恭和」という記事が掲載されていた。

 村上恭和監督については、以前も、取り上げた。一流の指導者の言行は、興味深い。

         ★

━━ 記事からの引用 ━━

 「(村上監督は) 今も勉強の日々を送る。サッカー日本女子代表の佐々木則夫監督、プロ野球の野村克也元監督ら、他のスポーツの指導者の著書を読み、講演を聞く。

 最近、気付いたことがあるという。

 『成功した指導者は、みんな選手目線なんですよ。昔のような指示・命令型はもういない。(一人一人の選手の) 個性を生かし、対話重視の人が多いし、成功しています』」。

         ★

選手の目線で

 「選手目線」とは、言うまでもなく、「上から目線」ではない、ということだ。

 記事の中に、村上監督は 「こんな人」 という福原愛選手の言葉が紹介されていたが、彼女は、「 (村上監督は) 全力で選手の相談に乗ってくださる」、「いい意味で監督っぽくないです」と語っている。

 福原愛の言う「監督っぽくない」とは、「昔のような指示・命令型」ではないということであり、それは例えば、選手一人一人の相談に「全力で乗る」という態度のことである。

 根底にあるのは、日本代表選手一人一人へのリスペクトであろう。

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一人一人に目標(課題)を持たせる

  「奇跡のレッスン」というテレビ番組があった。世界のトップレベルの指導者が、1週間だけ、日本の子どもたちのスポーツ活動を指導する。その子どもたちとのやりとりや指導の様子をカメラが追うのである。

 町の小学生のサッカークラブ、テニスクラブ。中学生の部活動では、バレーボール部、バスケットボール部、チアガール部などが取り上げられた。「選ばれたチーム」ではない。市のトーナメントで、1回戦、2回戦で敗退するようなチームばかりである。

 例えば、小学生のサッカークラブの指導にやって来たのは、フットサル日本代表チームのスペイン人コーチである。指導に当たったチームは、同じ市内の隣のサッカークラブに、一度も勝ったことがない。

 結論を言えば、1週間の指導のあと行われた隣のチームとの試合で、10対0の圧勝をした。

  しかも、チームの中で一番小柄で、一番下手くそで、存在感のなかった少年に、2点も得点させた。

 もちろん、このスペイン人コーチは、週の半ばからは、今まで一度も試合でシュートを打ったことがないというこの少年に、次の試合で1点取ろうという目標を持たせた。それは個人の目標であるが、チームの目標でもあった。今までただ一人のチームの得点源であったナンバーワンの選手は、一人で得点を取りに行くのではなく、他を生かすという選択肢もあることを教えられた。良いポジションにいるこの少年にスルーパスを出して、1点を取る楽しさだ。少年は、このパスを受けてシュートをねじ込み、ネットを揺らす練習を繰り返した。

        ★

ポケット(引き出し)の多さ

 「世界のトップレベルの指導者」が、元名選手だったというわけではない。サッカーのザッケローニ監督は、選手としては全く芽が出なかったが、監督としては一流だった。たとえ選手時代の実績が金メダルであっても、一人の人間の「経験」など、小さくて狭いものだ。人は一人一人違うし、チームもそれぞれに特色を持つ。村上恭和監督は、成功した指導者は選手一人一人の個性を生かしている人だと言っている。  

  例えば、小学生のテニスクラブの指導にやって来たマエストロは、スペインの大学のスポーツ学の教授である。練習中も、一人一人と対話する。気が弱く、自分の意思を表現することの苦手な女子がいた。しかし、テニスはかなり上手い。テニスへの向上心も高い。彼は、その女子に近づいて聞く。「〇〇(必ず名を呼ぶ)、きみの願いは?」「サーブを上手くなりたい」。「good!! それは正しい目標だよ。きみはテニスが上手い。だが、サーブが正確に入らない。少しくせがあるせいだ。こういう練習をしなさい。( 繰り返し、やらせる )。そう、その練習を自分で繰り返しするんだ。きみは背も高いから、サーブを磨けば、すごい選手になるよ」。

 「世界のトップレベルの指導者」の特徴の一つは、どの指導者も、みんな「子ども目線」で、小学生や中学生の子どもの背丈になって子どもの目を見、一人一人の子どもの気持ちや考えをしっかり聞き、誉めて自信を持たせながら、目標 (課題) を確認し、そのために必要な練習方法を与えていることだ。誰かと比較されることはない。一人一人の性格や個性や技量に合わせてくれるから、楽しい。子どもたちは、サッカーやテニスをきっと好きになるだろうと思える。

 もちろん、勝利至上主義ではない。保護者の一人が、子どもの育て方について考えを改めさせられた、と言っていたが、親たちも、本当に教えられたと思う。

 「世界のトップレベルの指導者」のもう一つの特徴は、その子その子に何が必要かを見抜き、それを目標 (課題) とさせ、「こういう練習をしなさい」という練習メニュを示すことができるということだ。

 いろんなポケットを持っている。メニュが豊富なのである。しかし、考えてみれば、それは指導者として当たり前のことであって、上達するために必要な適切な練習方法を、一人一人に対して、また、チーム全体に対して、時宜に応じて示すことができる人が、指導者である。金メダルを取った人が指導者ではない。

 ポケットが少ないと、いつもワンパターンの一斉指導になり、ミーティングでも、練習でも、試合中でも、ただガミガミと精神論で怒鳴りつけ、選手の自信を喪失させ、やる気を失わせる。子どもがいやになって辞めていくと、「最近の子どもは、扱いが難しい」などと、子どものせいにする。

 「(村上監督は) 今も勉強の日々を送る」とは、そういうことである。

 ポケットを増やすには、一に勉強、二に研究、それしかない。

 中学校のチアガール部を指導したアフリカ系アメリカ人女性が、おとなしすぎるキャプテンに与えていた言葉は、(私の好きな)マネージメント学のF.ドラッガーの言葉だった。その種目に関することだけではない。医学、身体生理学などは言うまでもなく、スポーツはメンタリティが重要で、心理学も、また、マネージメント学までも、学ぶべきことは多い。

        ★

指導者は勉強あるのみ

 それは、スポーツ指導者ばかりでなく、何かをやろうとしたとき、誰にでも必要なことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ザッケローニを超えて … FIFAワールドカップ・ブラジル大会から

2014年07月08日 | 随想…スポーツ

 決勝トーナメントのアルゼンチン戦で、延長戦の激闘の末、1対0で敗れたスイスのヒッツフェルト監督の言葉。

  「監督としてこれ以上ない経験ができた。もう十分。これからは静かに暮らしたい」。

         ★     

 わがザッケローニ監督のインタビュー : 

 (監督自身の今後について聞かれて、「未定」と答えたあと)、「サッカーへの情熱が尽きることはない。だが、引退という選択もある」。

                          ★

 自分がそこにあることを誇りとし、自分のこれまでの人生の大半をかけてきた舞台から去るという決断は、サッカー以上に難しい。

 心の隅を、敗れて消えていく無念の思いもよぎる。

 しかし、引退して初めて、自分に別の生きがいもあったことに気付かされることもある。

 限りなく、日本人に体型の似たザッケローニの、第二の人生が心豊かなものであらんことを祈る。

      ★   ★   ★ 

 日本が予選で敗退したことについて、非難や怒りの声がある。

 非難、怒りではないが、多くのファンも、それに、選手たちや監督さえも、落胆した。もっとやれると思っていたからだ。

 しかし、グループCのこの5月の世界ランキングは、コロンビア5位、ギリシャ10位、コードボアジール16位に対して、日本は46位。ダントツの最下位である。

 1位のスペインが予選リーグを敗退したのだから、逆に46位の日本が勝ち上がる可能性もなかったわけではない。

 しかし、まずは、順当な結果であって、残念であるが、非難や怒りをぶつけるのは、おかしい。

 自分勝手にふくらませた「過剰な期待」の裏返しが、非難や怒りである。

           ★

 そもそも、「過剰な期待」は、2010年の南アフリカ大会予選リーグで、カメルーンとデンマークに勝ち、オランダには負けたが2勝1敗で、予選リーグを突破したことにある。

 それで、今度はもっと上へ、ベスト4を目指して、いや優勝を目指して、となった。

 ベスト4とか優勝というのは一部の選手の思い上がった目標であって、もちろん日本サッカー協会や監督の「公約」ではない。

 サッカーファンなら、思い出してみよう。4年前、南アフリカ大会の予選リーグ3試合で、日本は4得点を挙げた。本田が2点、遠藤が1点、岡崎が1点である。

 今大会では、本田と岡崎が1点ずつ。

 その差の2点は ……?

 その2点は、本田と遠藤の目の覚めるような鮮やかなフリーキックの競演による2点だ。

 今大会でも、同じような距離からのフリーキックの場面があった。が、本田も、遠藤も失敗した。

 彼らを責めているのではない。 2010年大会のあのフリーキックは、再現するのが難しい、奇跡のキックだったということである。

 主力選手のキックが2本も神業のように決まったから、勢いに乗って、日本は予選リーグを突破した。

 今大会、確かに日本チームは不甲斐なかったが、奇跡を実力と勘違いして、期待過多になってはいけない。

          ★

 話は変わる。

 外国のラグビーチームと戦えば、大人と子供のような点差で負けていた日本のラグビーが、少しずつ強くなってきている。ニュージーランドから、エディー・ジョーンズヘッドコーチを迎えてからだ。

 並大抵の人ではない。ラグビーのワールドカップで、ニュージーランド代表監督として準優勝し、さらに、南アフリカを率いて、優勝した。ラグビー界の超大物。世界の名将である。

 彼は言う。「ラグビーとは、こうこうである」と、自分のラグビー観を振りかざして乗り込んでくるような監督を私は否定する。そういう監督は、うまくいかないとき、その原因を選手の質のせいにする。だいたい、これがラグビーだ、などというものは、ない。日本が強くなるためには、日本人に合った日本のラグビーを新しく創造していくしかないのだ。

 彼は、日本にやってくると、3人の監督を訪問して、話を聞いた。

 1人目は、女子バレーボール全日本監督の真鍋氏。オリンピックで一度も勝ったことのない、いや1セットも取ったことのない中国チームを初めて破って、日本女子を3位に押し上げた。

 高さとパワーの中国に勝つには、素早さ(俊敏さ)とチームプレーで勝負するしかない。レシーブ→トス→アタックの時間を、コンマ何秒か短縮したフォーメーションをつくって、大柄で鈍重な中国チームの態勢がわずかに整わない前にアタックをかける。

 心を一つにした激しいフォーメーションづくりの練習があったが、本番では中国と死闘を繰り広げ、フルセット戦って、ついに勝った。

 2人目は、プロ野球の原監督。

 言うまでもなく、ワールド・ベースボール・クラッシックで「スモール・ベースボール」を掲げて、世界の強豪国を倒し優勝した。

 ホームランバッターは不要。単打、バント、犠打、盗塁 … の細かい野球を展開して、勝つ。高校野球でやっている、あれだ。 日本の野球文化はここにある。根底には、フォア・ザ・チームの精神。

 3人目は、サッカー女子の日本代表監督、佐々木氏。なにしろ、ワールドカップで優勝して日本も世界もあっと言わせ、さらにオリンピックでも銀メダルに輝いた。

 佐々木監督が目指すサッカーは、スピードとパワーの外国チームに対して、俊敏性とチームの連動性で勝つサッカーである。

 それは日本女子の代表チームの目指すサッカーであるばかりでなく、U17女子チームの目指すサッカーであり、ワールドカップ男子日本代表の目指すサッカーでもある。すなわち、日本サッカー協会の基本的な方向なのである。

 エディー・ジョーンズヘッドコーチが訪ねた相手はいずれもクール・ジャパンであり、競技種目は違うが、みんな基本的に同じ方向に向かって、結果を出していたのである。

         ★

 この4月、U17女子サッカーワールドカップで、高倉麻子監督率いる日本チームが優勝した。

 大会を通じて、日本チームが取った得点は23点。失点はわずかに1点。イエローカードは3枚のみ。クリーンで清々しく、圧勝である。

 メンバーの半数が1m50台の小柄な選手。日本サッカー協会が追求してきた俊敏性とチームの連動性のサッカーが、ここでも花を開いた。

 高さやパワーがあっても、俊敏性のない選手は、日本代表チームでは使わない。チームの動きに付いてこれないからだ。

 女子ワールドカップで優勝したとき、アメリカの監督から、「日本の選手のパスは次の人を輝かせるパスだね」と褒められたそうだ。が、日本が目指しているチームプレーとは、ボールを持っている選手のプレー(この場合、パスを出す)のことではない。

 高倉監督は、試合形式の練習をしばしば止めて、ボールを持っていない選手1人1人の動きについて、なぜ、そちらに走ったのか? なぜ、敵のこの選手から離れたのか? などと選手に問い、指導する。

 1人1人の身体能力の高さ、また、幼いころから身に付いた技術の高さ、その点では、ヨーロッパの選手や南米の選手にかなわない。(それでも、追いつくよう努力するのは言うまでもない)。しかし、その技術は、「マイボールを扱う技術」である。あくまで「オレが、オレが」の世界である。日本では、ボールを持っていない選手が、次、自分はどう動いて、チームの連動性に貢献するかを常に考え、仲間とチームを生かす技術を学んでいるのだ。

          ★  

 男子でも女子でも、U17でも日本代表でも、日本のサッカーが追求し、目指している方向ははっきりしている。日本は日本のサッカーを創造する。

 低レベルの組織によくある、監督(社長、病院長、校長など)が変わるごとに、「新監督」に「丸投げ」し、組織の方向性が「新監督」の考えで一変するというようなことは、日本サッカー協会にはない。

 なぜなら、外国人監督を呼んできても、協会の体制がしっかりしているから、方向性がブレるようなことはない。この方向性だけはきっちり守ってもらう。そのうえで、プラスアルファを期待する。

         ★

 ドーハの悲劇が1993年。日本は連続9回も、アジア予選を勝ち抜けなかった。全盛期のカズもワールドカップに行くことができなかった。そのレベルだったのだ。

 そういう時代を経て、今日がある。今は、順当なら、アジア予選は勝ち抜ける。

 しかし、ワールドカップで、予選リーグを勝ち上がることが順当になるには、もう少し時間がかかる。しかし、日本が16チームに入るのは順当だと思われる時代も、いずれくるだろう。そのとき、日本のサッカーは世界からリスペクトされるようになっている。

         ★

 ザッケローニ監督の引退インタビューから。

 「昨日のコロンビア戦に関して、データを見ると、ボール支配率やシュート、攻撃回数、CK、FK、パスの成功率のいずれも相手を上回っている。にもかかわらず、試合は4対1で負けている。すべての面で上回っているのに、4対1で負ける。何かが足りない。

 足りないものを新しい監督が埋めてくれる。このチームをさらに強くしてくれる。その時期(監督交代の時期)が来たのだ」。

 これだけは、確かだ。

 FIFAランク5位のコロンビアに、ワールドカップという場面で、ボール支配率も、シュート・攻撃回数も、CK、FKも、パスの成功率も、すべてで勝っているなどということは、前大会までは考えられなかったことだ。 (了)

 


 

[ ネイマール負傷事件について ]

 南米対決。ブラジル対コロンビア。

 90分間に渡って、終始、暴行が行われた。特に、コロンビアの反則はひどかった。

 レフェリーは、試合の開始直後から、勇気をもって、もっと厳しくファールを取るべきであった。特に、後ろからのアタックに対しては、「危険なプレー」として、全てに、断固として、イエローを出すべきだった。90分間に渡るレフェリーの甘さが、最後に、ネイマールの骨折事件という犠牲者を出した。

 コロンビアの選手は、最初から最後まで、明らかにネイマールをねらっていた。ボールの方向にではなく、小柄なネイマールに向かって、露骨にアタックする選手もいた。

 最も上手い選手は、サッカー界の宝であろう。その選手を、試合中に暴行でつぶす競技が、サッカーというスポーツなのか? コロンビアは、恥を知るべきだ。

 ワールドカップという最高の場である。世界最高の華麗なプレーを期待して観ているのであって、汚い格闘技の「技」を観戦しているのではない。

 事故の場面について言えば、加害者は「わざとではない。謝まりたい」と言っているようだが、わざとでない、というのは、ボールに向かっていて、ネイマールに気付かなかったとしうことか?あの場面で、ボールの下にいるネイマールに気付かなかったとしたら、素人以下である。それに、目はボールを見ていない。無防備なネイマールの背中を見て、突っ込んでいる。ネイマールの背中を目がけて、膝打ちで跳びこんだ。意図的に負傷させた。下手をしたら、再起不能だった。

 繰り返すが、ゲームの最初から、ネイマール事件のあった終盤まで、ネイマールに対してだけでなく、終始、後ろからアタックをかけ、蹴りを入れるという暴行が行われていた。それを許し続けたレフェリーの責任は大である。                           

  

 

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自分が負ける夢を何度も何度も見て、不安だった……世界卓球団体銀メダル

2014年05月06日 | 随想…スポーツ

   「世界卓球日本女子『銀』」

 卓球・世界団体選手権で、1983年以来、31年ぶりの快挙だそうだ。

          ★

 かつて卓球日本と言われ、ラバーラケットとペンホルダーで世界に君臨した時代があった。

 中国を始め、各国に招かれて教えた。

 やがて、弟子であった中国や韓国に追い抜かれた。

 日本のなかでも、マイナースポーツとなり、卓球界は長い低迷期に入ってしまう。

 福原愛ちゃんが大人になったころからやっと光が見え始めた。 男女に、新しい力が次々と育って、何とか世界と戦えるようになってきた。

          ★

 日本の若きエース・石川佳純選手(21才)の言葉が感動的だ。

  「 (大会前から) 自分が負ける夢を何度も何度も見て、不安だった。 みんなで、力を合わせて戦うことができて、良かった」。 (5/6  読売新聞朝刊 )

 準々決勝のドイツ戦。ここを突破しなければ、銅メダルも、ない。

 日本は、ドイツの超ベテラン中国人選手に2敗し (今やどこののチームと当たっても、中国人と試合することになる )、2勝2敗で最終戦を迎える。

 日本はエース石川。相手は、すでに平野にも1敗している格下の若手選手。

 石川は簡単に2セットを先取し、あと1セットと迫った。しかし、開き直ってのびのびと打ちまくる相手に圧倒され、表情がこわばり、自信を失い、セットカウント2対2となる。

 しかし、最後のセットで踏ん切りがついたのか、本来の攻めの石川に戻って圧倒。

 勝利の一瞬、重圧から解放され、思わず泣きながらチームの元に駆け戻った。そのあとは笑顔、笑顔。本当にうれしそう。

 準々決勝で敗退するのと、準々決勝を突破して世界第2位・銀メダルとでは、天と地の違いだ。

          ★             

 「今までなら、負けても、『負けちゃった』で済んでいました。しかし、今は……」。

 ここぞというところで出ていく今の立場は、相手選手との単なる一騎打ちではなく、それがそのままチームの命運を左右することになる。

 「(大会前から) 自分が負ける夢を何度も何度も見て、不安だった」。

  ……21才でエースを背負わされるのは、かなりきつい。 しかし、 きみしか、いない。頑張って。

 

 

 

 

 

 

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イチローの日米通算4000本安打……新聞報道から

2013年08月23日 | 随想…スポーツ

 イチローの4000本安打のことが一斉に報じられた。以下の引用は、読売新聞8月23日朝刊から。

 ヤンキースの同僚・黒田投手の言葉。さすがにイチローを身近に見てきた選手の言葉だ。

 「日本の野球を改めてリスペクト (尊敬) してもらえた瞬間だと思う。プロとして、いろんな準備という部分で、すごく参考にさせてもらっている。みんな4000本ですごいと言うけれど、それ以外で野球に対して費やしてきた時間というものを考えると、僕はそっちの方が感動的だった」。

          ★               

 黒田選手と同じことを、元大リーグを代表する強打者で、選手としての晩年をマリナーズでイチローと過ごしたグリフィー・ジュニアも言う。

  「イチローが技術を完成するため、どれほどの時間と努力を重ねてきたのかを見てほしい」。

 また、ヤンキース生え抜きの大黒柱、偉大なるジーターも、

  「素晴らしい才能があるだけでなく、長くプレーするためにトレーニングをしっかり継続している」。

          ★             

 イチロー本人のの記者会見の談話のなかで、一番心に残った言葉はこれだ。

  「満足したら終わりと言うけれど … 僕はものすごい小さなことでも満足するし、達成感も感じる。それを感じることで『次』が生まれる」。

          ★

 日本は言うまでもなく、多くのアメリカの野球ファンからも、ファンだけでなく、日米のプロの選手からも、敬愛の目で見られる大リーガー・イチロー。

 走攻守そろった偉大な選手として、日本でも、アメリカでも、さらに深く名が刻まれるよう、精進を続けてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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スポーツ界の新しい指導者‥‥村上恭和

2013年04月25日 | 随想…スポーツ

 「ドナウ川の白い雲」 も 61号になりました。このところ途絶えがちですが、まだまだがんばりますので、よろしくお願いします。

         ★   ★   ★

 BS・NHK・日曜日放映『為末大が読み解く! 勝利へのセオリー』が、面白い。

 先日は、「静かなる知将」のサブタイトルで、卓球女子の全日本監督、村上恭和 にインタビュー。

 卓球女子は、ロンドンオリンピックで団体銀メダルを獲得した。福原愛、石川佳純、平野早矢香が輝いていた。

         ★ 

 「どの国の代表チームにも勝てるチームを目指す、とか、バランスの取れた成長をしよう、とか、そういうのは、実は、『戦略の欠如』なんです」。

 「ロンドンオリンピックの前、日本は、世界の中でランキング5位でした。中国は圧倒的に強い。2位はシンガポール。 メダルを取るため、3位の韓国に的を絞りました」。

 「韓国は、カットのチームです。韓国の粘り強いカット打ちに、日本はずっとやられてきました。 日本の選手は、カット打ちに弱い。それで、カット打ちの選手を集めて練習相手にし、徹底的に練習しました」。

 「やがて、国際大会で、カット打ちの選手に競り勝てるようになりました。オリンピックで韓国とは当たりませんでしたけどね」。

 選手たちが練習している間の村上監督を、カメラが追う。

 村上監督は、いつも、竿のついた網をもって、卓球台の間をうろうろと歩き回り、床に転がっているピンポン玉をひたすら集める。「ピンポン玉が床に転がっていたら、危ないですからね」「それに、こうやって監督がうろうろしていたら、選手は緊張して練習するでしょう」。

 どう見ても、風采が上がらない。 田舎の朴訥なおじさん。

 ‥‥ 為末が聞く。「監督は、練習中、選手に指示を出したり、注意したりしないんですか?」

 「私は基本方針を出すだけです。個々の選手の所属チームのコーチを参加させているので、彼らが必要な指示や注意はします」。

 「私は、『考えるのは、監督』── では、ダメ だと考えています。少なくとも 卓球では、選手自身が自分の頭で考え、自分で行動しなければいけない。そういうスポーツだと思っています」。

 「今日一日の練習で何をするかも、今日は練習するか、それとも一日、買い物や洗濯の時間に当てるかも、全て選手が決めています」。

 「ここに来ている選手は、日本のトップの選手です。 卓球を極めたいと思って、参加しているのです。そういう選手に、ああせよ、こうせよと言えませんよ」。

 「試合の極点で、いつも、『 監督!指示 ( 命令 ) してください』 というような選手は、絶対に勝てません」。

 「選手は、ぎりぎりのところでアドバイスを求めてくる。 私は、アドバイスを出す。それは、あくまで参考意見です。それを採用するかどうか、それは選手自身です」。

 平野早矢香曰く、「村上監督は、選手たちが最高にやりやすい環境を作ってくれます。例えば、私たちの練習相手にカット打ちの選手を集めてくれたり、強い中国選手を呼んでくれたり‥‥」。

     ★   ★   ★            

 「バランスよく成長しようというのは、戦略がないのと同じだ 」。

 「『考えるのは、監督 』では、ダメなんです 」。

 「ここに来ているのは、卓球を極めたいという選手たちだ。そういう選手に、ああせよ、こうせよと、言えない」。 

  「試合のぎりぎりの場面で、『 監督、命令してください 』というような選手は、勝てない。監督の言うことは参考意見。決めるのはあくまで選手自身だ 」。

  「選手たちがやりやすい環境と条件を整えてくれる監督です 」。

 

…… 全日本女子柔道の監督・コーチは、多種目の優れた監督・コーチの話を聞きに行くべきだ、と思った。

 

 

 

 

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スポーツ界の新しい指導者たち‥‥私のリーダー論

2013年03月10日 | 随想…スポーツ

 高校の運動部のみならず、日本のトップアスリートを集めた代表チームの中でも、旧態依然とした監督、コーチの暴力・暴言がまかり通っていた。

 一方、ロンドンオリンピックで結果を出した女子サッカーや女子バレーボールの監督は、映像を通して見るだけだが、どこかさわやかである。彼らは、どのような態度と指導法で選手たちに接しているのだろう?

         ☆

 試合中、iPadを手にしながら選手に指示を出す真鍋政義監督。素人目にも、新しい監督像だ。 選手に対して偉そうなそぶりがなく、まして、トゲトゲしい感じなどさらさらなく、「オレ様監督」でも、「カリスマ監督」でもないところが、良い。

 先日、テレビで、五輪に向けて取り組む「真鍋ジャパン」のエピソードを紹介する番組があった。

 オリンピック前の国際試合で、エースの木村沙織が敵のサーブの的となり、サーブレシーブで崩されて、攻撃でも本領を発揮できないでいた。

 毎晩、練習後も深夜まで、木村沙織のビデオを研究していた一人のコーチが、ついに彼女のサーブレシーブの悪い癖を見つけた!! 翌日から彼女は、長い選手生活の間に身に付いてしまっていた自分の癖を克服するための必死の取り組みを始めた。オリンピック後、海外で活躍する木村沙織のサーブレシーブは、世界のトップクラスを集めたチームの中でも、一級品だ。このコーチは精神主義でなく、自分の仕事をした。そのお陰で、木村沙織はオリンピックでエースの活躍をした。

 女子柔道の選手たちが改革を要求したのは当然である。本来、やる気も気合も人に負けないから、日本代表に選ばれたのだ。出来ないのは気合が足りないからだと、殴ったり、蹴ったり、暴言を浴びせたり‥‥そんな子どもじみた指導は全く必要ない。監督やコーチは、本来求められているその役割を果たさなければいけない。 

         ☆

 真鍋監督は、中国戦を避けて通れない戦いと考える。実は日本は、これまでオリンピックで中国に勝ったことが一度もない。それのみか、1セットを奪ったこともない。

 「中国チームの弱点はここだ」と監督。 そのわずかな弱点を突くために、木村沙織を中心にしたチームの激しい練習がくり返される。 「もっと早く!」「もっと早く!」。 それは、チーム全員が必要と納得し、これが出来なければ、メダルはないという、必死の練習だった。

 ロンドンオリンピックで、中国とはフルセットを戦い、その合計点でわずか2点、日本が上回った。この中国戦の激闘を制したとき、メダルは半分、確定したといっても良い。 

 女子バレーの監督もコーチも、相手を研究し、自チームの選手を研究し、適格な指導方針を立てて練習させた。だから、選手たちは、監督コーチを信頼し、希望をもって、努力した。彼らはその仕事を果たしたのだ。そうでなければ、世界でメダルは取れない。

    ☆    ☆    ☆

 3月2日付け、読売新聞朝刊に、「スポーツ選手指導 佐々木則夫氏」というインタビュー記事があった。

 「なでしこジャパン」の監督。 女子ワールドカップ・ドイツ大会で金メダル。 ロンドン五輪で銀メダル。これはすごい!! 話を聞いてみたい指導者である。

選手の指導で最も大切にしていることは何か??

 「スポーツの楽しさを教えることだ。動く楽しさがあり、知る楽しさがあり、かかわる楽しさがある。‥‥」

 トップアスリートでも、スポーツはやっぱり楽しいのだ !! 

   身体を動かす楽しさだけでなく、「知る」、すなわち知的な活動、研究活動の楽しさを知らなければ、一流のプレーヤーにはなれない。そして、他者と連携し、かかわり、美しい流れを作っていく喜び。チームプレイの楽しさだ。

   「チームは監督だけが作るのではなく、選手と一緒に作るものだ」

 これは、どんな組織でも、…… 社長でも、病院長でも、校長でも、将軍でも、大臣でも、リーダーの心得の第1条だ。

         ☆

指導者に求められるものは何か??

 「やはり対話だと思う。 監督が言っただけで、すべてができるようになるわけではない。監督と選手が話し合いながら、練習を積み重ね、チームとして、また、個人として成長していくものだ。…… 叩いて教えるのでは、調教と同じだ」。

 次の言葉は、少年野球や少年サッカー、高校の運動クラブの監督、さらにトップアスリートチームの監督・コーチまで、しっかり味わってほしい言葉である。 

 「『 責任を持って行動できているか』『情熱のある指導ができたか』『選手が練習内容を理解できたか』というような項目を作って、毎晩、部屋で確認している。振り返ってみて、自分の指導が悪かったら、率直に選手に伝える。すると、選手たちは 「そうでしょう」という顔をする。その後で、『大事な部分なので、もう一度練習したい』と提案すると、選手たちはこれまで以上に協力してくれる」。

   監督が自らを評価する評価表を作り、毎晩、自分を厳しく評価している。

 そして、自分の間違いは間違いとして率直に選手に自己開示する。この向上心と探究心が、選手の意識も知識も高めていく。さわやかな知性が匂う。この監督は、真の意味で自信をもっている。 「オレ様監督」ではないし、「カリスマ監督」 とも縁がない。

        ☆

 「組織はタテの意識よりも、ヨコの意識が強いほうがうまくいく。女子サッカーの場合、日本サッカー協会女子委員会があり、監督にとって女子委員長と女子強化部長の2人は、会社に例えれば上司となる。もしタテの気持ちを持つと、上司からは結果を求められ、重圧となる。私の場合、そんな意識は全くない。 女子委員長も女子強化部長もヨコの意識を持っているので、いろいろな相談が出来、問題が解決できる」。

   監督も組織の一員だから、上司に当たる存在はある。監督がトップではない。

 プロ野球で言えば、「フロント」 があり、 「監督、コーチ」 と 「選手」 がいる。全てのプロ野球の球団が、以下のように機能しているかは別にして、どのような野球を目指すのかというチームの方向性は、球団社長を中心にした 「フロント」 が作る。その上で、その目指す方向に向かってチームを育ててくれる 「監督・コーチ」 を選び、その方向性に必要な「選手」を集めてくる。

 ここで、佐々木監督が言っているのは、監督と、女子委員長や強化部長との関係が、上下の身分関係ではあるが、一方で、一つの目標を目指す、精神的な同士の関係でもあるということだ。互いにハートがあつく、研究熱心で、「熱」 によって結ばれているから、打てば響くのだ。

 だが、くれぐれも誤解してはいけない。

 「なでしこジャパン」の監督は、日本サッカー協会女子委員会の目指す大きな方向性を実現してくれる人であり、歴代監督の指導を引き継ぎさらに高めてくれる人として選ばれたのである。佐々木監督に、全てを「丸投げ」したわけではない。

 監督に「丸投げ」し、監督が代わるたびに、その監督が自分の考えで、一から自分の好きな方向に出直していたのでは、砂で楼閣を築こうとしているようなものである。5年、10年と低迷し続ける組織の一つのパターンである。

 だから、「チームは監督だけが作るのではなく、選手と一緒に作るものだ」と言っても、監督が、選手たちに、「5年後のなでしこ、10年後のなでしこを、どんなチームにするか、皆で考えてこい 」 などという諮問をしたら、これはもうお笑い種である。

 それは、選手が考えることではない。監督が代わるたびに、新監督がそんなことを選手に諮問していたら、それはもう不毛のチーム作りだ。監督と選手の「民主主義ごっこ」など、している暇はない。

 選手は明日の試合の勝利に向けて、自らがどう貢献するかについて考え、精進しなければいけない。そのために召集した選手たちだ。

 監督と選手とでは、目の高さが違うのである。

 目の高さが高ければ、遠く、広く見える。

 その代わり、選手や平社員、係長、課長クラスは、それぞれに、社長よりも、もっとよく見えている世界がある。

 だから、監督、選手が同士となって、それぞれをリスペクトし合いながら、勝てるチームに成長していくのである。

 

 

   

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日本の恥‥‥スポーツの世界から暴力一掃を!

2013年01月31日 | 随想…スポーツ

 女子柔道の日本代表チームに対する体罰指導が発覚した。

 「園田監督は技の研究に熱心で理論に定評はあるが、熱血漢ゆえに行き過ぎてしまうタイプの指導者。関係者によると、昨年の国際大会で選手を平手打ちしながら叱る園田監督に対し、欧米のコーチが制止する場面もあった」。

 「理論に定評がある」のに、何で暴力をふるわなければ指導できないのか? 

 暴力を振るうのは、「熱血漢ゆえ」? 冗談ではない。単に自分をコントロールできない、情緒不安定なわがまま人間だというに過ぎない。

 何年か前、大相撲で弟子を死なせる事件があり、今回は桜宮高校、そしてトップアスリートの世界でもまかり通っていた。 

 普通の社会では、暴力は犯罪なのですよ。

 「科学的な指導方法」をもたないくせに、「柔道は国技。金メダルしかない」などと大見得を切るから、「殴ってでも指導」となり、それを「熱血指導のゆえ」などと弁解する。

 安易に選手を殴っている間は、正しい指導方法論など生まれるはずがない。方法論のない日本柔道は、ますますメダルから遠ざかること、間違いない。

            ☆

 見かねて「欧米のコーチが制止した」と言う。 殴られている日本選手たちは、世界トップクラスのアスリートたちですよ。 

 世界の人々が見ている前で、自国の選手に暴力を振るい、外国のコーチに制止されるわが日本の監督。

 彼女たちは、自分が殴られる痛さよりも、そういう野蛮で、情緒不安定な監督の下にいることに、日本人として、身の縮むような恥ずかしさと悔しさを覚えたに違いない。

 私は、「美しい日本」が好きだから、殴ったり、蹴ったり、「死ね」などと罵声を浴びせたりするような指導者は、絶対に許せない。スポーツは、暴力とは対極にある世界のはずだ。

 にもかかわらず、「戒告」で済ます全柔連。 自分たちが日本の恥部になっていることさえ、わかっていない。「柔道」の創始者、嘉納治五郎先生が泣いていますよ。

 男子柔道は、大丈夫? 全く大丈夫ではないでしょう。

            ☆

 自分の頭で考え、研究し、自分で自分を成長させることができるアスリートを育てなければ、世界には通用しない。

 澤穂希も、荒川静香も、福原愛も、伊達公子も、本田圭佑も、長友佑都も、室伏広治も、朝原宣治も、桑田真澄も、佐野優子も、北島康介も、太田雄貴も、トップアスリートたちは、みんなそう。

 彼ら、彼女らは、体罰監督や体罰コーチは大嫌い。自分で上手になろうと、若いときから必死で考えながら、練習した。それを助け、一緒に考え、研究し、励まし、忠告もしてくれるのがコーチという存在だ。

 この際、日本のスポーツ界から、暴力監督、暴力コーチを完全に一掃しよう。それは、日本に、グローバルスタンダードのスポーツ思想を普及するための変革である。

  

 

 

 

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「行き過ぎた」体罰

2013年01月11日 | 随想…スポーツ

 「行き過ぎた」体罰があった。 ‥‥ これは、桜の宮高校校長のインタビューでの言葉である。

 テレビでこれを聞いて、「これは、だめだ」、と思った。 事、ここに至って、なお、「行き過ぎた」とは!

 行き過ぎなければ、体罰もまた指導。この校長は、そう思っているのだ。 

 トップが、こういう言い方をしている間は、この学校から、絶対に体罰はなくならない。

  「体罰は、許さない」。学校のトップである校長は、そういう断固とした態度を持し、絶対にぶれてはいけない。

  絶対にぶれてはいけないとは、他の面でどんなに優秀だと思う教員でも、もし体罰があれば、断固、厳罰に処する、その覚悟が必要である、ということだ。

 駄目教員の中にも、優れた教員の中にも、体罰をする教員はいる。 

 校長が彼らに注意すると、「はい、はい」と答える。しかし、実は馬耳東風なのだ。

  殴ったり蹴ったりして人間を従わせることを覚えた人間は、癖になる。自分をたいした人間だと無意識のうちに感じるようになる。他の教員を指導力がないと思う。困った生徒がいたら俺の所につれて来い、などと不遜な思いを抱くようになる。癖となり、習慣となると、タバコと同じで、口頭の注意などでやめられるものではない。

  だから、校長は、体罰を、「教員による対生徒暴力」ととらえ、断固、これを否定しなければいけない。もし他の面で優秀だと思う教員であれば、なおさらである。事を明らかにし、生徒・保護者に対して謝罪させ、全教員に知らせ、公的処分を行う。そうすることによって、全教員が、体罰は教員としての失格行為なのだと知る。今回のような大事件にならないうちに、(体罰があったことを知ったらすぐに)、そうする。そうすることが、結局、一人の教員を、将来の破滅から救うことになる。

 今回の件について、この教員を知る歴代の校長は、自分が何もしなかったこと、体罰を見逃してきたこと、自らの体罰に関する認識が甘かったこと、そのことによって、一人の教員を破滅へと追いやった、ということ、何よりも一人の生徒を死に至らしめたということを認識すべきである。

 この教員の資質の問題はあろう。しかし、今回は、あえて、気の毒ではあるが、校長の姿勢を問うた。多分、この学校は、部活動で手柄を立てたい教員の、体罰の巣だと察する。

          ☆

 橋下大阪市長が、今回の件について、断固として、立ち上がった。

 今まで、体罰について、これほど毅然と立ち上がった首長や教育委員会や教育長がいただろうか?

 上に立つ者が毅然としなかったから、「行き過ぎた」体罰などという、ふやけた言葉が、事ここに至ってなお、校長からさえ、出る。

 この一点でも、橋下徹は、偉いやつだと思う。単なる体育会系ではない。

 

 

 

 

 

 

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外から考えるのも、大切かと … 松井秀樹

2013年01月01日 | 随想…スポーツ

        ( 宮島の海 )

 皆さん、明けましておめでとうございます。 月並みですが、本年もどうかよろしくお願いします。

 元日の読売新聞から、松井秀樹へのインタビュー。

     ☆      ☆      ☆

  「しばらくの間、米国に残るつもり。なにせ、勉強したいんだよ。勉強、得意じゃないけど、嫌いじゃないし。あれ、好きと言えないな(冗談)」。

  「あくまで野球人でありたい。でも、その前に、生まれ育った国が周りの目にどう映っているのか、どう他国と違うのか、日本人として子どもたちに何を伝えなきゃなんないのか、それを外から考えるのも、大切だと思う」。

            ☆

  「いっぱいもらった年俸で、少年野球専用の球場を作るの。で、年を取ったら毎日、試合を見に行くわけ。観客席に座っていると、『誰?あのじいさん』って子どもの声が聞こえるけれど、もちろん名乗らない。野球が素晴らしいスポーツとして受け継がれている、それを確かめながら生きていけたらいいな」。

     ☆      ☆      ☆

  立派な野球選手だ。

   鏡がなければ自分の顔はわからない。「外」を知って、初めてわが祖国が見え、祖国を愛することができるようになる。

 阪神タイガースに入っていたら良かったのに、とずっと思い続けてきたが、今朝は、阪神タイガースだったら、こんな風に育たなかったかもしれないな、と、ふと思った。

 

 

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ロンドン・オリンピック6…… 最高に美しい言葉

2012年08月16日 | 随想…スポーツ

 オリンピック特集の終わりに、私が最も感動した選手の言葉です。

 男子20キロ競歩に出場したエリック・バロンド選手は、銀メダルを獲得しました。グアテマラ国で、史上初の五輪メダリストです。

 「この銀メダルがグアテマラの子供たちに勇気を与え、彼らが銃やナイフを置き、その代わりにトレーニング・シューズを手に取ってくれればいい。そうなったら自分は世界一の幸せ者だ」。

 「…… そうなったら、自分は世界一の幸せ者だ」。

 オリンピックを通じて、数々の選手たちの素敵な言葉に出会ってきたが、このグアテマラの選手の言葉は、最高に美しい。涙が出ます。

 

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ロンドン・オリンピック5…… 素敵な監督たち

2012年08月15日 | 随想…スポーツ

 「金メダルを目指して、最高の仲間と、最高のライバルを相手に戦えたことが、幸せだった」 (女子サッカー・沢穂希選手

 今回のオリンピックでは、チーム種目が好成績を挙げた。また、メダル獲得後の選手のコメントでも、「この仲間と闘えて、最高だった」という感想が多かった。

 確かに、女子サッカーも、女子バレーボールも、卓球団体女子も、チームとして機能していた。そして、その背後に、なるほどこの監督があってのメダルだなと思わせる、監督の人間力があったように見えた。

 スポーツに限らず、企業でも、学校でも、役所でも、ボランティア団体でさえも、リーダーがリーダーシップを発揮し、フォロアーがフォロアーシップを発揮することなしに、組織は機能しない。

   管理職の中には、命令することがリーダーの仕事だと錯覚している人もいる。部下は命令に当然従うべきだと考えている短絡的な管理職もいる。リーダーは、言うことを聞かない部下を処分したり、悪い評価点を付けて溜飲を下げるためにいるのではない。

 怒鳴ったり、殴ったりするのは最低である。それはリーダーとしての自らの無能をさらけ出している姿と言えよう。

 歴史を見ても、日本人は、専制君主には心服しない民族だ。古代から現代まで、例えば、帝も、将軍も、執権も、殿様も、西欧、中東、中国の、皇帝や、王や、教皇や、スルタンのような専制君主にはならなかった。

 もちろん、リーダーの役割は、単なる仲良しグループをつくることではない。

 組織の目標や戦略を確立していく創造性、その目標や戦略の達成に向けて部下の心を一つにする人間力、これがリーダーに最も必要な資質である。

 女子バレーの監督や女子サッカーの監督を見て思うのは、そういうリーダーとしての資質をもった監督であるということだ。

 

 

 

 

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ロンドン・オリンピック4…… 敗れた仲間を思う気持ち

2012年08月13日 | 随想…スポーツ

 女子柔道で、金メダルを取った直後の松本薫選手へのインタビュー。

 「勝った瞬間に、この金メダルは、私だけのものではないなと思いました」。

インタビュアーは、「支えてくれた家族とかコーチやスタッフのことですか?」と聞いた。

 「それもありますが、(金メダルを期待されて敗退した)48キロや52キロの選手とも、一緒に練習してきましたので…」。

 彼女たちの悔しさ、無念さを誰よりも感じていたのだろう。

 それにしても、柔道関係者は、金メダル以外はメダルでない、という言い方をするのは、もうやめたほうが良い。神がかりの武道ではなく、スポーツなのだから、世界は日進月歩である。にもかかわらず、そういう言い方をするのは、それこそ、驕りであり、驕りはスキをつくる。

 他の種目と同様、銀でも、銅でも、心からメダルを取れたことを喜ぶべきだ。日本柔道界は、驕りを捨てるところから始めてほしい。

 

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ロンドン・オリンピック3…… マナーの悪い隣国のこと

2012年08月13日 | 随想…スポーツ

 体操男子団体。日本の抗議の結果、銀から銅にメダルが繰り下がった英国チームの選手は、「僕らには銀でも銅でもすばらしい」と目を輝かせた。

 自転車女子スプリント。英国選手が再レースの末、ライバルの豪州選手に敗れて、金メダルを逃してしまった。だが、直後に二人で手をつなぎウイニングラン。

 だから、主催国・英国の観客は、英国選手が不運にも繰り下がってしまったその相手国の日本や豪州選手を、温かい拍手で包んだ。

 勝敗を超え、人間としての選手の資質が表れる瞬間がある。

                                              以上、読売新聞から

        ☆

 英国の観客のマナーは大変良かったと賞賛されている。

 ひきかえ、韓国の観客や選手は、オリンピックにまで領土問題を持ち込む。

 どこの国にも馬鹿はいる。しかし、一人の馬鹿なサッカー選手の問題ではなく、韓国国民が拍手喝采してこの行為を支持している。

 さらに報道によれば、「 (自国のサッカー選手の行為を) 非紳士的な行為であった」とした韓国サッカー協会の会長は、韓国の国会議員らから、「おまえはどこの国の人間だ」とつるし上げられ、さらにマスコミにこぞってたたかれ、辞任に追い込まれること間違いないという。

 近年、経済は先進国並みになった。だが、民度は低い。

 サッカーというスポーツの場、ましてオリンピックというスポーツの祭典に、領土・外交問題を持ち込むことがいかに品位のない行為か、そういうこともわからない民は、民度が低いというほかない。

        ☆

 ここで、あえて韓国の反日教育に反論すれば、そもそも日本は韓国を併合したのであって、「植民地」にしたことなど一度もない。

 併合後は、日本国の一地方として、村々に小学校をつくり、ハングルの読み書きを教え、義務教育をゼロから90%台まで推し進めた。道路を造り、ダムを造り、電気を通した。これらの事業は日本の国家予算で実施され、本土からの持ち出しが多かったことは韓国の学者も認めている。

 故に、「植民地」であったことを理由に損害賠償を要求するのはおかしい。持ち出し分の返還こそ、要求されても仕方ない立場である。そもそも旧植民地 (例えばインド) が、旧宗主国 (例えばイギリス) に賠償を要求し、旧宗主国がそれに応じたという例は、世界に1例もない。  

 日本国に併合されたということは、李氏朝鮮時代と違って、法治国家になったということである。

 白昼堂々と、たんぼで、若い女性を、日本軍が拉致・連行するなど、ありえないことである。気の毒なことだが、親が貧しさの故に娘を女衒に売ったのだ。だから、たんぼにいる村人たちも黙って見ていた。そういう悲しい事例は日本の農村でもたくさんあった。そういう時代だった。もし日本軍がそんなことをしたとしたら、その時点で暴動が起こっていただろう。韓国でも日本でも。

 ただし、日本軍による拉致はなかったということであって、売春・買春そのものは戦前、日本でも欧米諸国でも、合法であった。途上国は言うまでもない。そして、軍隊の駐屯するところ、必ずそういう商売が成り立った。敗戦後、連合軍(米軍)によって占領された日本でも、沖縄でも、そういうことはあった。自分が、家族が生きていくために、若い日本人女性がたくさん米兵に「春」をひさいだ。(松本清張『零の焦点』)。ベトナム戦争の時には、ベトナムで、韓国兵士がベトナム女性を性奴隷にした。これは、まさに性奴隷で、無茶苦茶だったらしい。(野村進『コリアン世界の旅』講談社1996年)

 日本で売春が非合法化されたのは、戦後のことである。オランダなどでは、今も非合法されていない。韓国で非合法化されたのはつい最近のことで、最近まで、飾り窓の女がいた。つまり、最近まで、韓国の男が韓国の女性を「性奴隷」にしていたという事実を抜きにして、この問題を語るのは卑怯というものだ。「人は、自分が見たいと思うものしか、見ない」(ユリウス・カエサル)。

 しかし、「従軍慰安婦」とか、日本軍による白昼堂々の女性拉致などは、それこそ白昼夢である。

 韓国は、日本統治下の実情について、或いは、なぜ併合されるに至ったかについて、いつまでも軍事政権時代と同じ歴史観ではおかしいということに気づくべきである。

 韓国歴史教科書の正しい書き直しは、韓国の急務である。

 

 

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ロンドン・オリンピック2 笑顔で

2012年08月13日 | 随想…スポーツ

 「プロの世界チャンピオンは何人もいて、すぐに価値が下がる。僕は最もシビアで、価値のあるもの、金メダルを目指してきた」。

 「妻がいて、息子がいて、ボクシングができる。僕は恵まれている。そう思うと笑顔が出てくる」。

 ミドル級で金メダル!! 村田諒太

 「そう思うと笑顔が出てくる」。…… すごい立派なチャンピオンです。

 

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