「よみうり寸評」(讀賣新聞夕刊 2、22)から
「日本勢の獲得メダル総数はこれで長野五輪の10個を超えた。過去最多というからなおさら誇らしい。選手団主将の小平奈緒選手が掲げる言葉通り、『百花繚乱』の趣である」。
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「百花繚乱」。だが、私にとって今回の冬季オリンピックの圧巻は、羽生結弦の「SEIMEI」である。今回のオリンピックで、ただ一つに絞れば、この「SEIMEI」に思い入れがあった。
そう思いつつ一人で感動の余韻に浸っていたら、今朝の讀賣新聞朝刊(2、22)に、狂言師・野村萬斎氏の文章が掲載された(「冬銀河」)。
「羽生選手に初めて会ったのは2年半ほど前のテレビの企画です。都内の能舞台で対談しました。
2001年公開の映画「陰陽師」のエンディングで、安倍晴明役の私が舞ったシーンから着想して出来上がったのが、2015~16シーズンと今シーズンの彼のフリープログラ「SEIMEI」です。映画では、狂言の型だけでなく自身のオリジナルの型も採り入れてアドリブで舞ったものに梅林茂氏が音楽をつけて下さったのですが、回転と跳躍があり、フィギュアスケーターとして興味深かったのかもしれません」。
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この対談番組を私もみた。対談を望んだのは羽生の方のようで、もっぱら羽生が質問し、萬斎が「私の場合は」と、自分の考えを答えるというかたちで進んだ。
例えば、羽生は、「これから演技が始まるというとき、すごく緊張して、そのためミスをしてしまうということがありますが、萬斎さんは緊張をどう克服していらっしゃいますか?」と聞く。
野村は答える。「能舞台には四方に柱があります。4本の柱に囲まれた空間は、神域なのです。舞台に立ったとき、私たちはまず、この4本の柱の空間に「気」を送ります。ただ、私の場合は、その空間を広げて、観客席も含めた会場全体に、「気」送ります。この会場内の空間(天地)と、全観客(人)と、私とが、渾然と一つになるよう「気」を送るのです」。
これは、スゴイ、と思った。賢い羽生は、自分のスケートに、日本の古典芸能の神髄を取り入れるに違いないと思った。
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羽生の「SEIMEI」において、演奏が始まる前、羽生は左手で「印」をきる型をとって立つ。音楽が始まった瞬間、もう一方の右手が天に向かってさっと挙げられる。単に上に挙げるのではなく、「天」が意識されるのである。
ということも、2人の会話の中で、萬斎氏が言ったことである。
「対談した時、私の型をただまねるのではなく、型の一つ一つに深い意味を持たせるようにアドバイスしました。私たち伝統芸能の世界で言えば、型は技術でもあるが、同時に表現にもなっていると」。
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「もう一つのアドバイスは、『音楽を身にまとうこと』。フィギュアに限らず、ダンス・舞踏においては音を聞きながら動くと、音にノれていないように見えます。羽生選手は「SEIMEI」の楽曲を奏でているように体が動き、音楽すらも衣装の一部になっていました。またそれをできる体を作り上げて、信頼する楽曲と一体になれたからこそ、自身の力を発揮することができたのではないかと思います」。
羽生の演技を見終わって、自分の感動をどう表現してよいのかわからないでいた。さすがに萬斎氏は的確である。「楽曲を奏でているように体が動き、音楽すらも衣装の一部になっていました」。
演ずる、舞うとは、自ら音楽を奏でることなのだ。だから、みる人々も感動する。
この文章の初めの萬斎氏の言葉も素晴らしい。「彼の高い美意識の中に、勝利のための大きなハードルである4回転ジャンプをどれだけ組み込められるかを追求していた」。
他の選手は、4回転ジャンプがまずあって、音楽や、振付けや、スケーティングがある。
羽生の場合は、音楽、振り付け、スケーティング、4回転ジャンプの総てを渾然一体として、「SEIMEI」がある。「彼の美意識の中に」、4回転ジャンプは組み込まれている。
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前回のソチオリンピックのとき、「SEIMEI」で金メダルを取った羽生は、この対談を通して、もう一度「SEIMEI」でオリンピックに挑戦しようと決意したに違いない。前回の「SEIMEI」は勢いで取った金メダル。まだまだ未熟であった。そのことを萬斎さんから教わったと。
もう一度、「SEIMEI」をやろうと決めたとき、彼は2度目の金メダルに大きく前進したのだ。
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フィギュアスケートに思い入れがあるわけではない。だが、前回ソチと、その前のバンクーバー大会は、浅田真央を応援していた。私だけでなく、真央ちゃんに肩入れしない日本人はいない。だが、稀有のスケーター・浅田真央はついに金メダルを取れなかった。2度の失敗の原因は、選曲にあったと今も思っている。そのため、衣装も化粧も振付けも彼女に不似合いなものになり、総ての歯車がかみ合わなくなった。自分に挑戦しすぎ、完璧を求め過ぎて、ライバルに勝つことをおろそかにした。
羽生は、フリーの演技が終わったとき、何かを叫んでいた。
「フリーの演技が終わった後、何を叫んでおられたのですか??」。羽生はこう答えた。「『勝ったー!!』と叫んでいました」。
── 他の大会とは違う。オリンピックは勝つことを目標にし、そのための作戦を、冷静に計算すべきなのだ。ポケットに持っているものを、机の上に全部出して見せる場所ではない。荒川静香が大会の前に何度も言っていた。「羽生くんは冒険しなくても、勝てる」。彼女の意図は、多分、「4回転ジャンプを5回跳ぶこともできるだろうが、冒険するな」と言っていたのだ。勝負に徹せよと。でないと、悔いを残す。
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3大会前のトリノオリンピックでは、世間の目は安藤美姫に集中した。が、私は荒川静香の優雅でしなやかな演技に思い入れがあった。だから、出勤の車の中のラジオで、彼女の金メダルを知ったときは、「やったあ!!」と叫んだ。イナバウアーは美しい。そして、大会直前に変更した選曲が彼女にぴったりで、彼女の優雅さを引き立てた。
曲の力は大きい。選手の長所・個性を引き出す。選手は水を得た魚のように、曲を奏でる。
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もう一度、野村萬斎氏の文章。「早速彼には『死闘を死力で制したね』と、お祝いのメールを送りました」。