(空と雲)
讀賣新聞の「読売俳壇」「読売歌壇」を、毎週、楽しみにしています。選者によって選ばれ掲載された秀作ばかりです。しかし、作品の出来栄えとは関係なく、特に共感し私の心にストンとおちた句や歌を手帳に書き留めています。そして、時々、ここに、勝手な感想とともに紹介させていただいています。私の詞華集です。
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<季節を感じる>
〇 天麩羅の薄きみどりも春隣(千葉市/中村重雄さん)
「春待つ」という季語は、長かった冬からもうすぐ解放されるといううれしい気持ちを表すそうです。これに対して「春隣」は、そこまで春が来ていると客観的に感じ取った感動をいう季語だそうです。
日本人は「春隣」をいろんな事象から感じ取ってきました。この句では「天麩羅の薄きみどり」。天麩羅の衣を透かすタラの芽や蕗のとうのみどり、そして爽やかな歯ざわりが伝わってきます。和食はいいですね。
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〇 叡山の雨にうたれて山法師 (みよし市/稲垣長さん)
(琵琶湖と叡山)
この3年ばかり、旅に出ても県内や隣接府県に限られるようになってしまいました。
それでも、そのお陰というのも変ですが、私の場合、司馬遼太郎の『街道をゆく 近江散歩』や『街道をゆく 叡山の諸道』、或いは、白洲正子の『かくれ里』や『近江山河抄』を片手に琵琶湖の周辺を何度もめぐり、独自の歴史と雰囲気をもつ近江路に愛着をもつようになりました。そんなわけで、こういう句に出会うと心ひかれてしまいます。
「山法師」は、①比叡山延暦寺の僧徒。②ミズキ科の落葉高木の和名で夏の季語。
(花水木)
上の写真は「花水木」ですが、「山法師」は花水木に似ていて、しかし、花の咲く時期が2週間ほど遅く5月初旬頃から6月中旬頃まで。花の形も、花水木の花びらの先が丸いのに対し、山法師は先端が尖っているそうです。
ただし、可憐な「花」に見えますが、実はこれ、「苞(ホウ)」だそうです。でも、ここでは「花」ということに。
中央の丸い花穂に4枚の白い花びらが付いています。その花穂を坊主頭に、白い花びらを白い頭巾に見立てて、比叡山延暦寺の山法師になぞらえて付けられた名だということです。花の名にも趣があります。
一応、季節の句の中に入れましたが、私にとって本当は旅の句です。
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〇 新緑の窓いっぱいに降る雨の雨音までも緑に濡れて (青梅市/諸井末男さん)
あとで紹介します「紅白の梅のつぼみを」の歌と同様、選者の俵万智氏のもとに寄せられるにふさわしい感覚的に優れた歌だと思います。
俵万智先生の評) 「雨音までが緑に濡れるという表現が新鮮だ。モノではなくオトというところが面白く、圧倒感が伝わってくる」。
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<時世を生きる>
〇 遠くまで行かないけれど春の服 (横浜市/岡田迪子さん)
閉ざされた冬の季節から解放された、うきうきした春の気分を詠んだ句かもしれません。しかし、それだけの句ではないように感じました。
「行かない」のは、本当は行きたいのだけれど、自粛して、ずっと行きたい気持ちを抑えているのではないでしょうか。
遠くへ行ってみたいという気持ちは、あこがれであり、希望の心です。
高校に入学し、或いは大学生になったばかりの若い人も、そして、高齢者も、この3年間、そういう気持ちを日々抑えて、我慢しながら生きてきました。
遠くには行かないけれど、せめては新しい「春の服」を着て、並木の街路を歩いてみましょう。
密集、密閉、密接を避ければ、戸外で、一人で歩く時に、マスクは不要です。
(街角で一服)
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〇 三度目のワクチン打てど二度目ほど明日への希望湧かなくなりぬ (東京都/大室英敏さん)
この歌は、気づかずにいた微妙な気持ちの違いを的確にとらえていて、本当にそのとおりだと思いました。
「現実」というものは、一歩前進、二歩後退ということも多々あること。そのとき、人は「希望」を見失います。
それでも、鬱に陥りそうな気持を乗り越えて、若い方々も、三度目のワクチンの接種を。
それは自分のためであり、また家族のため、そして、学校や職場の仲間に大きな迷惑をかけないため、さらには、めぐりめぐって、高齢者施設や病院で起きるクラスターを少しでも減らすことにつながるかもしれません。
まもなく、新しい混合ワクチンも始まるとのことです。
暑い戸外でマスクするより、まずはワクチンの接種。一歩前進しなければ、三歩後退してしまいます。
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〇 すきとおる水をあらわす「露」といううつくしい字を血で染めないで (上尾市/関根裕治さん)
「我々は単独で防衛している。世界最強の軍隊は遠くで見守っている」(ゼレンスキー大統領 /読売新聞から)。
「私はここで生まれた。私の街なので、逃げるつもりはない」(ハリコフ市の日本語学校の先生/NHKから )
私たちも、そういう現実を生きるときが来るかも知れません。
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<希望をつなぐ>
〇 目標はいち日千歩風は初夏 (札幌市/松下聡さん)
(ウォーキングコース)
1日1万歩と言われたりしますが、それは働き盛りの人のことでしょうと、無視!!。
それにしても、最近、歩数計を見ると、1日数百歩ということがあるのです。これは良くない、明日は頑張ろうと思うのですが、歩くために歩くというのはなかなか難しい。
それでも、以前は意識してウォーキングしていたのです。
きっかけはやはりコロナですね。「不要不急」の外出をしないクセが身に付いてしまいました。身に付くとは、気持ちに付くのですね。
とにかく、1万里の道も千里から。自然の風景や街角の風景を楽しみながら、もう少し歩くこととしましょう。
ただし、この句の作者の「いち日千歩」は、私のような横着ではなく、何かご事情があるのかも知れません。
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〇 滑るから気をつけてねと少年は吾通らしむ大寒の朝 (札幌市/中島恵子さん)
心がぽっと明るくなりました。高齢者にとって、明後日はありません。このような少年は、明日を生きようとする人の「希望」です。ありがとう。
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〇 通院の予定のほかは何もなし手帳を開けば海が広がる (横浜市/森英人さん)
選者の小池光先生の評) 「年齢を重ねるとだんだん予定がなくなる。スケジュール表を見れば病院のほかは真っ白。それを海が広がると言ったのが新鮮」。
それにしても、…… 。「手帳を開けば海が広がる」とは、どういうことを表現しているのでしょう…… ??
ただ、茫漠とした気持ちでしょうか??
リタイアして、歳月を経ていきますと、知人友人と会って会食することもめっきり少なくなります。コロナになって以後は、旅行を計画したり、見聞を広めようと外に出かけることも少なくなり、子や孫と会うこともすっかり少なくなりました。手帳に書き込まれているのは、内科、眼科、歯科、整形外科などの定期的な通院の予定だけ。
しかし、通院と言っても、自分で通院できるのですから、何か重い病気というわけではありません。
次の通院まで5日間ある。そう思うと、広がる青い海や白い灯台が心に浮かんできた。せめて海にでも行ってみようか ……。どこの海?? ……。
たとえば、神話の国の出雲の海とか ……。
そんなイメージしか、私には浮かんできません。
(出雲の熊野大社)
(美保関灯台)
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<夢、ロマン、メルヘンを歌う>
〇 子どもたちの帰ったあとの公園で枯れ葉はようやくブランコに乗る (横浜市/臼井慶子さん)
ロマンチックというか ……、「枯れ葉」を擬人法で表現したことによって、メルヘンチックな感じがします。
黒瀬珂瀾先生の評) 「さりげない一首だが、しずかな抒情を感じさせて、心に残る。賑やかな子どもたちの風景と、その後の静寂という対比が印象的」。
黒瀬先生は、時間の前後を対比させて、より深い鑑賞に導いてくれました。
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〇 紅白の梅のつぼみを手土産に冬の立ち退き打診する春 (東京都/武藤善哉さん)
(鎌倉の梅)
俵万智先生の評) 「季節の移り変わりを、アパートの立ち退きのように表現したところが新鮮だ。『手土産』のセンスもいい」。
この歌も、「春」の擬人化が面白く、興趣のある歌です。「梅のつぼみを手土産に」という発想は見事というほかありません。
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〇 竹の子と子狐つきの林買ふ (津市/中山道春さん)
五木ゆう子先生の評) 「素敵な買い物。土地ではなく、林を買うのだ。更地にして家を建てたりはせず、ずっと林のままにしておく。竹も狐も子供なので、童話的」。
(竹藪)
以下は、遠い日の思い出です。小学校へ上がる前の幼い日のこと ……。
私は地方の都市で生まれ育ちましたが、中国山地で農家をしている父の実家で1週間ほど過ごしたことがありました。
その間、母と「離れ」で寝起きしました。「離れ」は、「母屋」からあぜ道を通って行き、土壁、藁ぶき屋根の小屋でした。手前に濁った池があり、すぐ向こうは竹藪になっていました。
同年齢の従兄弟たちと1日遊んで、夕闇迫る頃、お腹を空かせて母の待つ離れまで戻ると、竹藪の奥の方から「コーン、コーン」、しばらく間をおいて、「コーン」という鳴き声が聞こえてきました。誰かから「あれは狐の鳴き声だ」と教えられました。毎日、黄昏時になると、鳴き声が聞こえました。
何十年かの後、その家のあとを継いだ従兄に会った時、ふとその話をしました。すると、即座に否定されました。従兄は私より10歳も年上で、その当時は既に中学生。しかも、そこで生まれ育ったのですから、記憶は確かです。「あの竹藪に狐はいないし、狐の声など聞いたことがない」。
そう言われると、そう思うしかありません。しかし、私は確かに、毎日、夕暮れ時になると、狐のちょっと哀しげな鳴き声を聞いたのです。あれは何だったのでしょう。記憶とは、不思議なものです。
この句から、そんなことを思い出しました。
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〇 木曽殿の御曹司眠る常楽寺をみなは祈る若葉の風に (茅ヶ崎市/山内とみ子さん)
(滋賀県大津市の義仲寺の庭)
上の写真の義仲寺は、義仲の墓所近くに草庵を結んだ巴御前が、日々、義仲を供養したことに始まるとされる寺です。
時代は下って、俳人松尾芭蕉は義仲が好きで、死後、弟子たちによって義仲の墓の横に葬られました。
写真中央の石碑には、門人の島崎又玄の「木曽殿と背中合わせの寒さかな」の句が刻まれています。
さて、「木曽殿の御曹司」の歌について、小池光先生の評です。「常楽寺は鎌倉にある。木曽義仲の長男義高の墓がある。青葉若葉に囲まれたその墓に詣でた「をみな」は作者自身だろう。静謐で、きよらかな初夏の風が吹いてくる」。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を毎回、面白く見ています。木曽義仲の長男義高はまだ少年でしたが、人質として鎌倉に来て、頼朝と政子の間に生まれた幼い大姫と婚約します。大姫は優しい義高を慕っていましたが、義仲の敗死後、頼朝によって殺されてしまいます。
「をみな」は作者自身だろうと、小池先生はおっしゃっています。
しかし、もちろん、悲劇の姫・大姫のイメージと重なっています。「をみな」「祈る」「若葉の風」がみずみずしく、きよらかです。
(奈良・高取の雛祭り)