ユーラシア大陸の西の果てのロカ岬には、突端に、「ここに地終わり、海始まる」(カモンイス)という碑が立っていた。
遂にここまでやって来たという感慨があった。
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新型コロナウイルス下の海外旅行はムリだ。
自分の年齢を考えると、もう二度と行けないかもしれない。
だから、ちょっと夢想して、旅立ってみる。
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<一番美しい街は??>
ヨーロッパで一番美しいと思う街はどこかと問われたら、私ならパリのセーヌ河畔を第一に挙げる。パリ全体ということではない。
「パリの空の下セーヌは流れる」というシャンソンがある。あのちょっと哀愁を帯びた軽やかなメロディがよく似合う。
ヨーロッパのどこかの町を見学した後、シャルル・ド・ゴール空港からセーヌ河畔にやって来ると、なぜか心が浮き立つ。
空が広いと感じる。その下をセーヌ川が流れ、1区3区5区6区などのそれぞれの界隈に似合う橋が架けられていて、街並み全体が端正で美しい。
セーヌ川を行く遊覧船或いは水上バスに乗って眺めるパリもいい。
(観覧車の窓からのパリ)
歩いても、シテ島からサン・ルイ島のあたり。サン・ルイ島の並木道。ノートル・ダム大聖堂のステンドグラス。(あの火事でどうなったのだろう??)。時間が夜ならライトアップされたコンシェルジュリの2つの塔はファンタジックだ。セーヌ川に沿うチュイルリー公園。左岸のサン・ジェルマン・デ・プレ教会の尖がり帽子の塔や「カフェ・ドゥ・マゴ」。オルセー美術館。右岸のルーブル宮殿のたたずまい。そして、エッフェル塔。
美しい町として他に挙げるとすれば、海の都ヴェネツィア。プラハのヴルタヴァ川の橋、橋、橋。それに、メルヘンチックなローテンブルグなど …… 。
もう一度行ってみたい町なら他にもある。例えば、イスタンブールとか、グラナダなど …… 。
もう一度行ってみたいと思う町は、歴史の重層性が奥行きとなって魅力なのだ。
イスタンブールなら、船でボスポラス海峡をどこまでも遡りたい。
アルハンブラ宮殿は十分に堪能したが、もう一度、アルバイシンの丘から雪のシェラ・ネバタ山脈をバックにしたアルハンブラ宮殿を眺めてみたい。あの丘で聴く「アルハンブラの思い出」は胸にしみる。
(アルハンブラ宮殿)
歴史の町、ローマやフィレンツェは2度、自分の足で歩いたから、一応、納得している。
美しいと思う町として挙げたパリや、ヴェネツィアや、プラハや、ローテンブルグは、実は2回或いはそれ以上、自分の足で歩いている。だから、見学はもういい。
朝に夕にぶらぶらと歩いて、疲れたらカフェで時を過ごしながら、ただ眺めていたいのである。無為な時間がいい。
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ヨーロッパの都市の多くは、その中心部に中・近世の「旧市街」を残していて、今も人々が暮らしている。人々が暮らす街並に歴史があり、街そのものが文化遺産となっている。
世界遺産であることに絶対的な価値があるとは思わない。基準に外れていても、人々が美しく住みなしている古い街並みには価値がある。
旧市街の、さらに中心部には、広場があり、教会が建つ。少し大きな都市なら、司教座が置かれる大聖堂だ。
町の中心にある教会には必ず入ってみる。キリスト教への関心というよりも、そこにはこの地に暮らしてきた幾世代の人々の歓びや哀しみや思いがあるように思えるから。それが歴史である。
天に聳えるゴシックの大聖堂を訪ねて、列車でフランスの中都市を巡る旅もした。
鄙びた趣を残すロマネスクの大聖堂を訪ねて、ローカルなブルゴーニュの小都市を巡ったこともあった。
(ライトアップされたフランスのヴェズレーの教会)
イタリアやフランスなどには古代ローマの時代に起源をもつ都市も多いが、さすがに古代の街並みが今も残っているということはない。
古代ローマの中心街フォロ・ロマーノは、現代のローマ市の中心街に、廃墟として保存されている。
ローマより前の古代文明の廃墟は、トルコの西海岸や、エーゲ海の島や、ギリシャや、シチリア島などに残っている。
海に臨む丘の上の草むらに、巨大な石柱が無造作に転がり、その中に野の花が咲いていたりして、それはそれで風情がある。
(シチリアのギリシャ系遺跡)
都市から都市へ移動する列車やバスの車窓風景も飽きることがなかった。
小麦畑や牧草地が地平線まで広がる景色を初めて見たときは感動した。風景の中をゆったりと川が流れ、川沿いに林があり、遠くに教会の塔を囲むように小さな集落がシルエットになって見えた。夕日はその向こうに沈んでいく。
(ブルゴーニュの野)
湖に落ち込む急斜面を石を積んで固めた段々畑のブドウ畑。今では、〇〇ワインなどと呼ばれてブランド力があるが、日本の棚田と同様、幾世代にも渡る激しい労働の結果である。
不毛と思われる石ころ混じりの大地に、延々と植えられたオリーブ畑の波。
それらもまた、立派な文化だ。Cultureとは耕すの意から出た言葉という。
その背景には、それぞれの土地の気候や地形と人間とがかかわって生み出された風土がある。風土を抜きにして、文化を語ることはできない。
ポルトガルの人々は素朴でやさしく、日本人に似て少しはにかむ。背後に大国を感じながら、いつも海と向き合って生きてきた。
(ポルトの路地)
アフリカのように乾いた台地が続くスペイン。夏の太陽の下では、40℃を越えることはふつうだという。堀田善衛が言うように、こんな風土でベートーベンの「運命」を聴けば頭がおかしくなる。やはり、フラメンコの世界だ。
地平線まで畑や牧場が広がるフランス。森の国ドイツ。ベートーベンの音楽はやはりドイツ圏の音楽だ。
灌木しか生えない乾燥した瓦礫の山と、入り組んだ入り江が続くバルカン半島の国々。
太陽の少ない北欧と、太陽の光あふれる地中海地方の違いはあるが、春の訪れは美しく、夏は楽しく、あっという間に秋は過ぎ、長い冬がやってくる。
私はリタイア後の年月を、ヨーロッパの幾つもの町並みを見て歩き、車窓を通りすぎていく牧歌的な風景に歴史を思い、自然や風土の違いを感じながら旅をしてきた。
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大分県の杵築(キツキ)という小さな城下町を訪ねたとき、江戸時代の武家屋敷や大店が並ぶ街並みが大切に保存されていることを知った。
その街並みを歩きながら、武家や町人の生活感とか、隣家への配慮とか、ものの見方・感じ方・考え方、そして美意識を、少しばかり垣間見たように感じた。
日本には、ヨーロッパのような伝統的で美しい街並みはあまり残っていない。だが、杵築を歩いたとき、古い伝統的な文化が、自分の中になお息づいていると感じた。
文化とはそういうもなのだと思った。
(杵築の武家屋敷界隈)
今、「自分の中に」と言ったが、言い変えれば「私たち日本人の中に」となる。しかし、正確に言えば、日本という国籍は、直接には関係ない。
国籍も、人種や肌の色も、先祖が誰であったとかいうことも、遺伝子も、決定的な要因ではない。
日本語を母語として育った人、Native speakig Japaneseということだ。言い換えれば、日本列島の「文化」の中で育った人ということである。
国籍がアメリカであっても、人種が白人でも、黒人でも、関係ない。文化は後天的なものであって、先天的なものではない。
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ヨーロッパへ行き、都市の街並みや、大聖堂や、田園風景を眺め、帰国して本を読み、考え、またヨーロッパに出かけたのは、ヨーロッパの風土や歴史とともに、それらが育んできた文化を知りたかったからだ。
そして、それは同時に、日本とは何か?? という問いを抱きながらの旅でもあった。
旅は楽しい。わからなかったことを知ることも、楽しい。また