ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

雪の夜 … 読売俳壇・歌壇から

2018年02月28日 | 随想…俳句と短歌

 友人のTさんが「70の手習い」で、俳句をはじめました。句会にも出ているそうで、本格的です。

 先日、一献傾けたとき、句会の先生に跡形もないぐらい添削される、とぼやいていましたが、始めたばかりでしょう。藤井少年のような天才高齢者じゃないんだから。

 でも、学生時代には、仲間と同人誌を出していたそうで、文学青年だったとか

 しかし、それからの半生。相応のポストにも就き、信頼もされたでしょうが、組織の中でいつの間にかすり減っていったものもあると思います。齢を重ねてなおストレッチやウォーキングなどの運動が必要なように、句作をとおして心のリフレッシュをし、自然や人情に対する感性、日本語に対する感覚をもう一度磨きなおすことは、とても良いことだと思います。ぜひ、かつての文学青年復活を。ただし、天才を目ざさず。

 どうか頑張ってください

 私?? 引き込まれないよう用心しています。なにしろ、ブログで精一杯なのです。

     ★   ★   ★

 さて、今回は、選者に選ばれて新聞に掲載された短歌、俳句、川柳の中から、川柳を4句紹介します。

 季語などのしばりのない川柳に、私はひかれます。ただし、その分、読む人の意表を突き、納得させるセンスが求められます。 

川 柳 >

〇 旅もよし 我が家もよくて 夕暮れる

     ( 大村 三郎さん )

※ 旅から帰って、くつろいだところでしょうか。

 私の母は、60歳頃からちょくちょく国内旅行に出かけるようになりました。帰ってきて、畳の上で茶を飲みながら、決まって第一声は、「うちが一番いい!!」。── なら、行かなければいいのに、と思ったものです。

〇 少子化に 夕暮れ時の 声はなく

     ( 原田 ひとみさん )

※ わが家は新興の住宅地に建てた家で、建てたころは小学生年齢の子どもがいっぱいて、子供会活動も盛んでした。その子どもたちの世代が今は社会の中堅として他郷に出て、ここはすっかり高齢者の住宅地に様変わりしました。一人暮らしの老人も、空き家も、目立つようになっています。やがて、手入れする人もいない空き家と更地になるのでしょうか?? 「限界集落」化は山村部の話ではなく、大都市のマンションでも、大都市周辺の住宅街でも起こっています。

 ただ、それは一概に少子化のせいばかりとは言えないようです。というのも、昔、子どもたちと散策した、わが家の少し向こうの山林に、あるときブルドーザーが入り、宅地が造成されて、今はオシャレな住宅地となりました。そちらには小学生がいっぱいるのです。

 ということは、何十年かしたら、そこも「限界集落」になるのでしょう。同じような世代の人ばかりですから。わが町の政策担当者は、どういう町の未来像を持っているのでしょうか?? スクラップ・アンド・ビルド、使い捨て文化は、もうおしまいにしなければと思います。

 各地方行政の将来をみる目と企画力が問われているのだと思います。富山市のコンパクトシティ構想は、全国だけでなく、外国からも多くの視察があるそうです。( 藤吉雅春『福井モデル ─ 未来は地方から始まる』文藝春秋 )。

〇 美しい 妻に出逢った 雪の夜

     ( 渡辺 勇三さん )

   この句には笑いました。面白い

 NHK・BSに「新日本風土記」というNHKらしい名番組があります。先日、再放送で、「雪国」をみました。そのなかに、各地に伝わる雪女の話の紹介もありました。

   吹雪の夜、戸を叩く音がして、戸を開けると女が立っている。雪女は氷の息を吹きかけて男を殺すのです。小泉八雲の「雪女」の場合は、2人の男のうち、若い男の方を殺さずに去ります。ただし、見たことを誰にも言ってはいけない、言ったら殺すと言い残して。

 それから何年かして、若い男は旅で出会った美しい女を嫁にします。子が10人もできました。ある夜、男は嫁に、昔、出逢った雪女の話をしてしまうのです。女は、それは私だ。子がいるから今回だけは見逃すと言って、男を殺さず去っていきます。

 もう一度、この句を読んでみてください。雪のしんしんと降る音が聞こえてきませんか?? 面白い!! 

  一番面白がっているのは、作者ですね。雪は現実をおおいかくし、虚構の世界へ誘います。

〇 豆まきは しないがチョコは 配ります

     ( 藤原 紘一さん )

※ 時代は変わっていきますから、仕方がありませんね。

 でも、ハーバード大学のテオドル・ベスター教授は、日本の「義理チョコ」の風習 ── 恋人に対してだけでなく、女性が、日頃お世話になっている男性たちにチョコを配るのは、日本化されていて面白い、と言っています。(佐藤智恵『ハーバード日本史教室』中公新書ラクレ)

 「豆まき」の原型、追儺(ツイナ)の行事は、「枕草子」にも登場する宮中行事です。さらに遡れば、奈良時代に中国から入ってきた風習です。明治以後は、西欧からもいろんな風習・文化が入ってきました。なにしろ日本列島は、ユーラシア大陸の果ての果て、黒潮洗う島国なのです。流れ着いたものを長い歳月をかけて育んで、自分の文化に同化します。それが、日本です。融通無碍です。

 「豆まき」と言えば、川柳ではありませんが、こんな短歌もありました。

〇 隣り家(ヤ)の 独り住まひの 老人が

  声張りあげて 豆を撒きをり

     ( 谷川 浩さん )  

 この短歌も新聞投稿の作品です。もちろん、男性でしょう。「独り暮らし」ではなく、「独り住まひ」というところが、心のたたずまいがきちんとしていて、良いですね。

 でも、もしかしたら、孤独で、かたくなで、嫁にも娘にも相手にされないような、やりにくい高齢者かもしれません。

 だから、チョコをあげる風習は大切です。 

     ★   ★   ★

15

   今回、カテゴリー 「西欧旅行 … シチリアへの旅 (地中海の文明の十字路となった島・シチリアへの旅) 」のうち、7から12までをメンテナンスしました。

 写真を一部差し替え、また、枠組をスマホ仕様にし、文章表現の手直しをしました。以下の6編です。

〇「牧歌的な古代遺跡セリヌンテ」

  …(シチリアへの旅7)

〇「もう一つの古代遺跡『神殿の谷』」

  …(シチリアへの旅8)

〇「ビキニ姿のモザイク画、そして花の大階段」

  …(シチリアへの旅9) 

〇「バロックのラグーサと古都シラクサ」

   … (シチリアへの旅10) 

〇「シチリアの珠玉タオルミーナ」

  … (シチリアへの旅11)

〇「旅のおわりに ── 人のためにもならず、学問の進歩にも役立たず」

  … (シチリアへの旅12)

 シチリア旅行で気に入った場所を特に挙げるとすれば、7のセリヌンテと、11のタオルミーナでしょうか。写真だけでもご覧ください。

 10の「ラグーサとシラクサ」は、ポエニ戦争のことから皇帝フリードリヒⅡ世のことまで、簡潔にまとめるのに苦労した、そういう意味で私なりの力作です

          ★

 シチリアと言えば、マフィアの本拠地。なにしろ映画「ゴッドファーザー」のふるさとです。旅に出る前は、何も知識がなくて少し心配しましたが、日本の旅行社のツアーが出ているのだから大丈夫と思って参加しました。

 州都パレルモの一部には、個人旅行なら気を付けたほうが良い地域もあるようです。しかし、それはどこの町でも、日本でも、同じです。パレルモ以外は、青い海と、雲と、緑の山河と、小さな町と、気の遠くなるほど遠い時代の遺跡がある島です。

 マフィアのような大犯罪の影は、今はありません。イタリアの政財界の奥に潜んでいるのかもしれませんが、少なくとも我々旅行者などは相手にしません。

 パレルモの国際空港の正式名称は、ファルコーネ・ボルセッリーノ空港。2人の判事の名が冠せられています。マフィアと戦い続け、1992年に相次いでマフィアに爆殺されました。今は、シチリア人の英雄として、記念碑が建てられ、空港の名として残っています。

 また 

 

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SEIMEI … まるで楽曲を奏でているよう

2018年02月23日 | 随想…スポーツ

 

「よみうり寸評」(讀賣新聞夕刊 2、22)から 

 「日本勢の獲得メダル総数はこれで長野五輪の10個を超えた。過去最多というからなおさら誇らしい。選手団主将の小平奈緒選手が掲げる言葉通り、『百花繚乱』の趣である」。

        ★

 「百花繚乱」。だが、私にとって今回の冬季オリンピックの圧巻は、羽生結弦の「SEIMEI」である。今回のオリンピックで、ただ一つに絞れば、この「SEIMEI」に思い入れがあった。

 そう思いつつ一人で感動の余韻に浸っていたら、今朝の讀賣新聞朝刊(2、22)に、狂言師・野村萬斎氏の文章が掲載された(「冬銀河」)。

 「羽生選手に初めて会ったのは2年半ほど前のテレビの企画です。都内の能舞台で対談しました。

 2001年公開の映画「陰陽師」のエンディングで、安倍晴明役の私が舞ったシーンから着想して出来上がったのが、2015~16シーズンと今シーズンの彼のフリープログラ「SEIMEI」です。映画では、狂言の型だけでなく自身のオリジナルの型も採り入れてアドリブで舞ったものに梅林茂氏が音楽をつけて下さったのですが、回転と跳躍があり、フィギュアスケーターとして興味深かったのかもしれません」。

        ★

 この対談番組を私もみた。対談を望んだのは羽生の方のようで、もっぱら羽生が質問し、萬斎が「私の場合は」と、自分の考えを答えるというかたちで進んだ。

 例えば、羽生は、「これから演技が始まるというとき、すごく緊張して、そのためミスをしてしまうということがありますが、萬斎さんは緊張をどう克服していらっしゃいますか?」と聞く。

 野村は答える。「能舞台には四方に柱があります。4本の柱に囲まれた空間は、神域なのです。舞台に立ったとき、私たちはまず、この4本の柱の空間に「気」を送ります。ただ、私の場合は、その空間を広げて、観客席も含めた会場全体に、「気」送ります。この会場内の空間(天地)と、全観客(人)と、私とが、渾然と一つになるよう「気」を送るのです」。

 これは、スゴイ、と思った。賢い羽生は、自分のスケートに、日本の古典芸能の神髄を取り入れるに違いないと思った。

        ★

 羽生の「SEIMEI」において、演奏が始まる前、羽生は左手で「印」をきる型をとって立つ。音楽が始まった瞬間、もう一方の右手が天に向かってさっと挙げられる。単に上に挙げるのではなく、「天」が意識されるのである。

 ということも、2人の会話の中で、萬斎氏が言ったことである。

 「対談した時、私の型をただまねるのではなく、型の一つ一つに深い意味を持たせるようにアドバイスしました。私たち伝統芸能の世界で言えば、型は技術でもあるが、同時に表現にもなっていると」。

        ★

 「もう一つのアドバイスは、『音楽を身にまとうこと』。フィギュアに限らず、ダンス・舞踏においては音を聞きながら動くと、音にノれていないように見えます。羽生選手は「SEIMEI」の楽曲を奏でているように体が動き、音楽すらも衣装の一部になっていました。またそれをできる体を作り上げて、信頼する楽曲と一体になれたからこそ、自身の力を発揮することができたのではないかと思います」。

 羽生の演技を見終わって、自分の感動をどう表現してよいのかわからないでいた。さすがに萬斎氏は的確である。「楽曲を奏でているように体が動き、音楽すらも衣装の一部になっていました」。

 演ずる、舞うとは、自ら音楽を奏でることなのだ。だから、みる人々も感動する。

 この文章の初めの萬斎氏の言葉も素晴らしい。「彼の高い美意識の中に、勝利のための大きなハードルである4回転ジャンプをどれだけ組み込められるかを追求していた」。

 他の選手は、4回転ジャンプがまずあって、音楽や、振付けや、スケーティングがある。

 羽生の場合は、音楽、振り付け、スケーティング、4回転ジャンプの総てを渾然一体として、「SEIMEI」がある。「彼の美意識の中に」、4回転ジャンプは組み込まれている。

        ★

  前回のソチオリンピックのとき、「SEIMEI」で金メダルを取った羽生は、この対談を通して、もう一度「SEIMEI」でオリンピックに挑戦しようと決意したに違いない。前回の「SEIMEI」は勢いで取った金メダル。まだまだ未熟であった。そのことを萬斎さんから教わったと。

 もう一度、「SEIMEI」をやろうと決めたとき、彼は2度目の金メダルに大きく前進したのだ。

     ★   ★   ★

 フィギュアスケートに思い入れがあるわけではない。だが、前回ソチと、その前のバンクーバー大会は、浅田真央を応援していた。私だけでなく、真央ちゃんに肩入れしない日本人はいない。だが、稀有のスケーター・浅田真央はついに金メダルを取れなかった。2度の失敗の原因は、選曲にあったと今も思っている。そのため、衣装も化粧も振付けも彼女に不似合いなものになり、総ての歯車がかみ合わなくなった。自分に挑戦しすぎ、完璧を求め過ぎて、ライバルに勝つことをおろそかにした。

 羽生は、フリーの演技が終わったとき、何かを叫んでいた。

 「フリーの演技が終わった後、何を叫んでおられたのですか??」。羽生はこう答えた。「『勝ったー!!』と叫んでいました」。

 ── 他の大会とは違う。オリンピックは勝つことを目標にし、そのための作戦を、冷静に計算すべきなのだ。ポケットに持っているものを、机の上に全部出して見せる場所ではない。荒川静香が大会の前に何度も言っていた。「羽生くんは冒険しなくても、勝てる」。彼女の意図は、多分、「4回転ジャンプを5回跳ぶこともできるだろうが、冒険するな」と言っていたのだ。勝負に徹せよと。でないと、悔いを残す。

         ★

 3大会前のトリノオリンピックでは、世間の目は安藤美姫に集中した。が、私は荒川静香の優雅でしなやかな演技に思い入れがあった。だから、出勤の車の中のラジオで、彼女の金メダルを知ったときは、「やったあ!!」と叫んだ。イナバウアーは美しい。そして、大会直前に変更した選曲が彼女にぴったりで、彼女の優雅さを引き立てた。

 曲の力は大きい。選手の長所・個性を引き出す。選手は水を得た魚のように、曲を奏でる。

         ★

 もう一度、野村萬斎氏の文章。「早速彼には『死闘を死力で制したね』と、お祝いのメールを送りました」。

 

 

 

 

 

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「蜩(ヒグラシ)は森のささやき」 … 読売俳壇・歌壇から

2018年02月19日 | 随想…俳句と短歌

 新聞に、読者から投稿された短歌、俳句、川柳が掲載されます。

 自分では作りませんが、時々、目を通します。そして、特に心に響く作品があったときは、思わずメモすることがあります。

 プロの写した風景写真よりも、その土地のアマチュアカメラマンが写した1枚の方に感動することがあります。究極の風景写真は、アマチュアの作品です。

 短歌や俳句でも同じで、プロも及ばない歌や句があります。 

 最近、メモした中から、今日は俳句を4句紹介します。作品が上手か下手かではなく、私の心に響いた句です。ひとこと、感想も添えました。

蜩(ヒグラシ)は 森のささやき かもしれず

    ( 城 恵己子さん )

 ※「森のささやき」がロマン的です。或いは、神の気配。

うま酒を 酌むや良夜の 江戸切子

    ( 和田 康さん )

 ※切子のぐい飲みで。美しい夜ですね。

山門の 萩の誘ふ 白毫寺

    ( 川北 康徳さん )

 ※清楚で気品のある可愛いい花です。

子ばなれは 落ち葉を踏みて ゆくがごと

    ( 市川 どう子さん )

 ※心を揺さぶられた句です。「落ち葉を踏みてゆくがごと」という比喩が、人が生きていくとはどういうことか、その一つの側面を言い表して、心にしみました。

    ★    ★    ★

14

   今回、2014年4月~7月ごろに書いた次の11編を更新しました。カテゴリー 「西欧旅行 … シチリアへの旅 (地中海の文明の十字路となった島・シチリアへの旅) 」の1から6までと、随想5編です。

 写真を一部差し替え、また、枠組をスマホ仕様にし、文章表現の手直しをしました。以下、書いた順です。

〇「里の春…散歩道7」… (随想…散歩道)

〇「山笑う…散歩道8」… (随想…散歩道)

〇「自分が敗ける夢を何度も見て、不安だった」

  … (随想…スポーツ)

〇「『山の神・仏…吉野、熊野、高野』展に行って」

  …(随想・文化)

〇「ざくっとシチリアの歴史を概観する」

  …(シチリアへの旅1)

〇「旅の始まり」…(シチリアへの旅2)

〇「パレルモへ」…(シチリアへの旅3) 

〇「ザッケローニを超えて」 …  (随想・スポーツ)

〇「金色のモザイク画のチェファルー大聖堂」

   … (シチリアへの旅4) 

〇「ノルマン王宮礼拝堂のモザイク画」

  … (シチリアへの旅5)

〇「モンレアーレ大聖堂と、ヴェネツィア、ラヴェンナのモザイク画」

  … (シチリアへの旅6)

 お暇なときに読み直していただければ幸いです。

 また 

 

 

 

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お知らせ・メンテナンス ( 「フランス・ゴシック大聖堂をめぐる旅」 )

2018年02月09日 | お知らせ

( シャガールのステンドグラス…ランス大聖堂 )

13

   今回は、カテゴリー 「西欧旅行 … フランス・ゴシックの旅 (フランス・ゴシック大聖堂をめぐる旅) 」の11編を更新しました。

 写真を一部差し替え、また、枠組をスマホ仕様にし、文章表現の手直しをしました。11編とは、

「明日から行ってきます」… (2013、11)

「1  18年前の思い出・シャルトルの大聖堂」… (2013、12)

「2 世界遺産の町ストラスブールへ」… (2013、12)

「3 アルザス地方とストラスブールの歴史を考える」 …  (2013、12)

「4 ストラスブールの大聖堂」 …  (2013、12) 

「5 コルマールそぞろ歩き」 …  (2013、12)

「6 歴代の王の戴冠式が行われたランス大聖堂へ」 … (2014、01) 

「7 フランスで一番大きなアミアン大聖堂へ」 … (2014、01)

「8 フランスの至宝・シャルトルの大聖堂」 … (2014、01)

「9 王家の墓所サン・ドニ・パジリカはゴシック様式発祥の修道院だった」… (2014、02)

「10  大聖堂はローマ文明の上に、自由は市民精神の上に (パリ) 」 … (2014、02)

です。

        ★ 

 本文にも書いていますように、この旅は、初めてのヨーロッパ旅行で出会ったシャルトルの大聖堂のステンドグラスの美しさに魅せられ、ステンドグラスをもっと見て回りたいという思いからの旅でした。また、馬杉宗夫『大聖堂のコスモロジー』を読んで、この本に取り上げられている著名な大聖堂をめぐってみたいという願いもありました。それで、2013年の秋に、思い切って出かけました。生来、B型気質ですから、行きたいと思い出すと矢も楯もたまらず、飛行機を予約し、ネットのフランス鉄道時刻表と数日間にらみっこし、一気に計画を立てて、あわただしく出発しました。

 ブドウの収穫を終え、クリスマス市にはまだ間があるという端境期の北フランスの気候は、ダウンコートを着ていてもミシミシと寒さがこたえました。

 今、読み返してみますと凡庸な文章ばかりで恐縮ですが、その中では、「6 歴代の王の戴冠式が行われたランス大聖堂へ」と、「10 大聖堂はローマ文明の上に、自由は市民精神の上に (パリ) 」の2編は、他の9編との比較においてですが、私の文明論になっていて、なかなかの力作だと思います。

 お暇なときにまた読んでいただければ幸いです。 

 

 

 

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