( 夕映えの大阪城 )
[ 大 阪 ]
大阪は、大学卒業後、ずっと働いた町であり、仲間と飲んだ町であり、いわばホームグランドの町である。
初めに、悪いことをいくつか書く。 大阪に生まれ育った生粋の大阪人は怒るかもしれない。怒って、もう少し志を高くしてほしい。
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< 大阪の歴史を振り返る >
明治維新の前後、日本を訪れた多くの外国人が、日本の風景の美しさに感動した。江戸(東京)の街並みも、地方の城下町も、農村風景も、美しかった。
だが、江戸とは一味違う、町人のつくった美しい街並みを期待して大阪を訪問した西洋人は、その期待を裏切られる。町人の町は、ただごみごみとした町であった。
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西洋文明を取り入れようと、明治政府は東京帝国大学をつくり、やがて、2番目の帝国大学を、適塾の伝統のある大阪につくろうとした。だが、大阪の町人は、「そんなものをつくっても、もうからない」と言って、断った。
「それでは、うちに」と、京都が引き受けた。
大阪帝国大学の創設は昭和6年を待たねばならない。日本の統治下にあった韓国の京城帝国大学、台湾の台北帝国大学にも後れを取った。
大阪町人の「先見性」とは、この程度のものである。
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< 大阪人の経済的センス >
大阪の繁栄は、幕府が天下の米や物産を大阪に集積する制度をつくったからである。大阪町人が自らつくった繁栄ではない。
徳川幕府の直轄領でなくなった大阪の経済は、明治以後、現在に至るまで、地盤沈下し続けたと言ってよい。
お公家の町であり、神社・仏閣の町であり、世界遺産の町でもある京都の方が、今や成功した企業も増え、オシャレな店も多く、個性的で、町に豊かさが感じられる。
志のある地方の若者が、故郷の町を出て自立しようとしたとき、どの都市を目指すだろうか? まずは東京。関西なら京都、そして神戸。
大阪の活性化のために若者の集まる町を、と言って、即効性を求め、結局、ドラッグが売り買いされるような低レベルの若者の町をつくる。いかにも安っぽく、志が低く、文化がない。
いつまで「たこやきと、お好み焼き」の大阪なのか? 庶民の味が悪いというのではない。いかにも安易である。
若者に媚びず、大人の街づくりをすれば、優秀な若者は自ずから集まってくる。
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< 世界と交易する美しい大都市 >
以上述べたような大阪を、織田信長や豊臣秀吉が思い描いていたとは思えない。彼らが思い描いていたのは、世界と交易する大商業都市であり、世界からやってきた人々が、住み着きたくなるような美しい街並みの都市だ。
橋下知事は、「大阪を第二の首都に」と言うが、いざというときのために第二の首都が必要なら、それは京都。首都は日本の顔であって、大阪に首都の品格や香りがあるとは思えない。
日本が、高度経済成長期に入ったころ、東京での学生生活を終え、大阪に職を得て、入社式の前に、大阪を知ろうと、環状線に乗って1周した。
車窓風景は、東京と比べても、自分が生まれ育った地方の城下町と比べても、緑のない荒涼とした街並みだった。線路のあちこちに昼顔が咲いていて、わずかに慰められた。
以後、そういう感想を周りにもらしたこともあるが、生粋の大阪人の反応は鈍い。
私が知る生粋の大阪人は、「ぼんぼん」で、大阪の外に出たがらず、大阪しか知らない。知らないで、大阪に満足している。未来に向かって、美しく立派な街並みをつくっていこうなどという大構想を抱かない。もうけるためにも、世界から知性ある人々がやってくる魅力のある町をつくる必要がある、とは思わない。刹那的、享楽的で、要するに、町人のままである。
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< 明日の大阪を目指す >
そういう大阪も、少しずつ変わってきた。
船場の元ぼんぼんや、元農家のビル持ち成金が頭を切り替えたのではない。
若いときに一旦、大阪の外に出て、再び大阪に帰ってきた気概ある人々が、その変化をもたらした。或いは、大阪人ではなく、仕事の関係で外から流入してきたかっこいい人たちが時代を動かした。
[ 大阪城周辺 ]
( ツインビル )
例えば、大阪城周辺。 ツインビルをかわきりに、徐々に緑の多い、高層ビルの街に整備され、文化施設もでき、桜の季節、新緑のころ、そして紅葉のときと、なかなかの景観の一角になった。大阪城の見学者は観光客だが、ジョギングする人、梅を愛でる人、桜を愛でる人、劇団四季を観劇に来たついでに散歩する人と、いろんな人々が歩いている。
( 大阪城天守閣からの眺望 )
緑を増やしてももうからない。いえいえ、美しい街並みが人を引き寄せ、外から優秀な若者をを呼び込んで、その人たちが新しい経済の原動力になるのである。
[ 中ノ島 ]
中ノ島公会堂も一度、スクラップされかけたが、センスの良い若い建築家たちが立ち上がり、保存運動を成功させた。
そのころから、中ノ島の一角は、徐々に都市美をもつ地区として整備されてきた。 近辺のオフィスで働く人たちが、昼休みに散歩して楽しめるよう、もう一息、パリのシテ島に負けない街並みにしてほしい。
( 中ノ島・淀屋橋付近 )
[ 御堂筋 ]
淀屋橋から難波まで、オシャレな店も増え、歩道には彫刻も置かれ、一筋奥に入れば、いくらでも食事できる店もあり、なかなか綺麗な街並みになってきた。時には、御堂筋ブラも楽しい。
( 本町付近 )
[ コリアタウン ]
環状線の「鶴橋駅」は、線路の架橋の下にあり、その風情は、戦後の焼け跡のままだ。そこからしばらく歩くと、コリアタウンがある。賑わっている。大都市の中の、こういう文化も、大切である。
( 鶴 橋 駅 )
( コリアタウン )
[ 阿倍野のちんちん電車から住吉大社へ ]
ちんちん電車がいい。
阿倍野筋の雑踏を過ぎると、ちょうど鎌倉の江ノ電のように、「松虫」駅あたりでは家の軒先をかすめ、道路が広がった「北畠」駅あたりでは、閑静な住宅街や緑濃い公園を眺め、姫松を過ぎると万代池があり、やがて古代から歴史に登場し、和歌にも詠まれた住吉大社に至る。
松虫、北畠、姫松などという地名、駅名も趣深い。ちんちん電車に乗らず、歩くのもいい。万代池公園は、散歩、ジョギングの人々でにぎわっている。
大阪は古い街で、由緒ある神社も多い。しかし、市内の大きな神社は、すでに神社の体をなしていない。(小さな神社は、頑張っている)。杜が失われ、社だけで、鉄筋コンクリートの結婚式場などがある。しかし、日本の神様は、人間が造った建物の中に籠っていらっしゃるわけではない。依り代だと言って鏡を置いたりするが、笑止千万である。まず樹木を植え、育て、鬱蒼たる大樹の杜にすべきである。
住吉大社は、大阪市でも、やや郊外にあるせいか、神社らしい風情がある。
( 住吉大社 )
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「志というものは、現実からわずかばかり宙に浮くだけに、花がそうであるように、香気がある」。( 司馬遼太郎 『菜の花の沖 三』から)