( 沖津宮遥拝所 )
宗像大社・辺津宮に参拝した後、車で神湊 (コウノミナト) 港へ向かう。
天気は曇天。時折、雨。
港の駐車場に車を置き、ターミナルビルへ。大きな銅鏡のマークが面白い。
大島への渡船は、日に7、8便あり、フェリーと旅客船がある。
「渡船」というから、どんなに心細い船かと思ったが、思っていたより立派な旅客船だった。
( 渡船ターミナルの銅鏡のマーク )
( 神湊の突堤の釣り人たち )
大島も、その遥かな海上にある沖ノ島も、宗像市の一部である。
大島港までは約8キロ、25分で着いた。
大島のフェリーターミナルは島の南端にある。
( 大島漁港 )
島の面積は約7㎢、周囲約16㎞。島の西側は玄界灘に臨み、東側は響灘に臨む。
島の人口は900人。渡船ターミナルをはさんで二つの漁港があり、人家はこの辺りに集中している。
産業は、遥かな昔から漁業。そのほかに小規模な農業。牧場もある。
船を降り、歩いて食堂を探したが、結局、渡船ターミナルビルの2階に、ささやかなレストランを見つけた。
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腹ごしらえをして、早速、宗像大社中津宮へ向かう。ターミナルビルから歩いて10分ぐらいの所だ。
中津宮の社は、本土の辺津宮に向かい合う形で、海に臨んで建つ。
島の最高峰の御嶽山 (標高224m) の南側の麓にあり、拝殿の位置からは、御嶽山をご神体としているかのごとくに見える。
ちなみに、2010年の調査で、御嶽山の山頂付近から数々の祭祀用遺物が発見された。
中津宮から登山道が分け入り、奥の院の御嶽神社に行くことができる。だが、今日は雨なので、登山はしない。
( 中津宮の2番目の鳥居 )
人口の少ない小さな島の、雨模様の日の神社である。およそ、人けはなく、しんと静まりかえっていた。
鳥居をくぐり、石段を上がって行くと、拝殿に出た。
( 中津宮の拝殿 )
ここにも「奉助天孫而 / 為天孫所祭」の「社訓」が掲げられている。
( 拝殿の扁額 )
参拝を済ませ、拝殿を回り込むと、側面から本殿を見ることができる。本殿の屋根の片側が、拝殿の方へぐっと延びている。
( 拝殿の奥の本殿 )
御嶽山に降った雨は伏流水となり、中津宮のすぐ上で湧き出している。霊水・「天の真名井」とされ、その水が境内を流れる天の川となる。
川をはさんで小さな祠が二つ、織女と牽牛が祀られている。
( 天の真名井 )
( 織女神社 )
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ターミナルビルに戻って、島を巡回するミニバスに乗り、島の北端に向かった。そこに沖津宮遥拝所がある。今夜の宿は、そのすぐそばの民宿である。
途中、島の学校があった。
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民宿に荷物を置き、早速、沖津宮遥拝所へ。
民宿のおばさんから、「すぐそこだ」と言われ、もう少し丁寧に教えてほしいと思ったが、本当にすぐそこだった。
雨模様の天候で、沖ノ島は到底見えない。
民宿のおばさんの話では、お天気でも、この時期 (春) はむずかしいそうだ。
いつの季節が良いのかと聞くと、冬だ、と言う。
荒涼とした冬の海に囲まれ、来る日も来る日も吹雪いて、山も森も雑草も凍てついた島を訪ねる困難さを思い、雪が積もるでしょう、と聞くと、暖流に囲まれているから雪は降らん、そうだ。
本州の太平洋側のように、空気が澄んで、真っ青な冬の青空が広がるのだろうか?? 地元の人がそういうのだから、そうなのだろう。
沖津宮遥拝所は、北の海に臨み、山の斜面を切り取った一角に建っていた。
( 沖津宮遥拝所 )
石段を上り、石の鳥居をくぐって、建物の中に入ると、入った向こう側が窓になり、遥かに沖ノ島が望めるようだ。ただ、今日は建物も閉鎖されていた。
沖津宮遥拝所も含めて、世界遺産候補。なかなか雰囲気のある「景色」であった。
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民宿で、軽自動車を借り、島を一周してみる。
島にはハイカー用の眺めの良い遊歩道もあり、海の見える牧場や御嶽山展望台など、天気が良ければ立ち寄りたい所がいくつかあったが、雨ではいかんともしがたく、今日は1か所のみに。
大島の北西端、神崎鼻に建つ大島・神崎灯台である。
岬と灯台が好きで、旅の途中、近くを通れば、立ち寄ることにしている。
( 筑前大島神崎灯台/第7管区海上保安庁 )
( 雨に煙る神崎灯台の海 )
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翌朝もお天気は悪かった。
民宿のお姉さんが、大島港まで車で送ると言ってくれたが、旅行用バックだけ頼んで、歩いて峠越えをした。島の北端から南端まで、ぶらぶら歩いて30分。
中津宮へ下り、もう一度、参拝する。
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船が出航すると、来るときには気付かなかった中津宮の杜と鳥居が、御嶽山の麓に、海に面して、見えた。ツアーに参加するのではなく、自分の足で旅をすると、普通なら見おとすものが、意味をもって見えるようになる。
( 中津宮の杜と鳥居 )
( 遠ざかる大島 )
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それから、神湊で車に乗り、博多駅でレンタカーを返した。
新幹線の時間まで、「中州」というところを歩き、櫛田神社に寄った。
櫛田神社に参拝しながら、博多の男たちには、今も、胸と肩に龍の入れ墨をした海の男たちの血が流れているのだろう、と思った。
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< 旅の終わりに >
旅の目的は、最小限にしぼる。ここと、ここへ行きたい、あとは付録、というふうに。
付録についても、おおよその優先順位は、計画段階で自ずからできる。
しかし、付録は、旅の道中で切り捨てて良いのである。余裕があって行けたら、ラッキーでしたと、加算法で考える。
10日間のヨーロッパ旅行なら、目的は2つか3つ。2、3泊の国内旅行なら、1つか2つ。そこを見、味わい、何かを感じることができたら、満足する。あとは付録である。
あれもこれもと、朝から、日が暮れるまで、観光バスで引きまわされる旅は、いやだ。
旅の楽しみは、日常性を脱し、新鮮な目でものを見、ものを感じるところにある。途中、漂泊感を感じたら、旅らしい旅である。
だから、旅の日程に、ゆとりは必須である。
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今回の旅の目的は、宗像大社だった。近いうちに世界遺産に登録される可能性が強い。登録されたら、国の内外から観光客が押し寄せる。今のうちに、心静かに参拝したい 。
付録として、宗像氏と同じ海人族であった阿曇氏の志賀海神社にも行ってみたい。
また、宗像氏や阿曇氏などの海人族が活躍した玄界灘周辺は、日本列島で最も早く稲作が始まり、弥生文化が花開いた地である。大陸や半島との交流の最前線であった、「奴国」や「伊都国」の地も訪ねてみたい。ここまでが付録である。
太宰府天満宮や、九州国立博物館、太宰府行政庁跡、水城、竃門神社、そして香椎宮などは、ちょっと時代が下って、付録の付録であった。
しかし、結果的には、[ 阿曇氏の活躍 → 楽浪郡から邪馬台国へのルート・奴国と伊都国 → 香椎宮 → 沖ノ島における宗像祭祀 → 太宰府、水城、竃門神社 ] と接続して、弥生時代から7世紀に至る日本の古代史の流れを、自分の中で確認する旅となった。
今回の旅は、付録の付録にも行くことができて、結果的にたいへん良かった。
ただし、かねてからあった、もやもやした疑問も、ますます鮮明になった。
① 海人族と言われる人たちのグループ相互の関係や系譜??
② 日本列島で最初の「クニ」として登場した奴国や伊都国は稲作民(農民)であろうが、そのクニの王たちと、玄界灘で活躍した海人族・安曇氏らとの関係は?? 同族関係?? それとも、協同関係??
③ 奴国や伊都国をつくった人たちは渡来系弥生人?? そうであるとしたら、以前からそこにいた縄文人は??
④ もともと「倭人」とは、誰を指したのか??
しかし、とりあえず、念願の旅は終わった。
充実した、良い旅だった。(了)