< ロードス島からアテネへ >
5月19日(日)
ロードス空港へ向かうため、朝、8時、ホテルの前でタクシーを待ったが、来ない。
日本からネットでホテルを予約したとき、同時にタクシーの予約もしたつもりだった。
往路はロードス空港にちゃんと迎えに来てくれていた。
だが、どうも帰路の予約ができていなかったようだ ── なにしろ英語のネット画面を見ながらの作業。飛行機やホテルの予約と違って、つい雑になったようだ。
結局、ホテルのフロントで呼んでもらった。往路だったら、ローカルな空港に降りてタクシーがなく、ちょっと途方に暮れたかもしれない。
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ロードス空港を9時50分発の飛行機に乗り、1時間のフライトでアテネ空港に着いた。窓からエーゲ海の島々が見えた。
アテネ空港のインフォメーションで、明日乗るミュンヘン経由関空行の飛行機のチェックインの場所を調べてもらう。
── レベル1(2階)の140番から147番の間です。
過去の旅で、帰国の時、大勢の団体客が行列をつくる空港のどこに並べばよいか、戸惑ったことが何度かあった。提携するローカルな航空会社のデスクでチェックインする場合もある。とにかくこれで安心だ。
空港バスに乗って、シンタグマ広場へ。
明朝は早いので、降りたバス停の窓口で、明朝のバスの時刻表を写す。午前5時20分発のバスに乗れば、多少何かあっても余裕があるだろう。
これで明日の段取りはついた。ホテルへ向かう。前と同じホテルだ。
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< ミトロボリオス大聖堂の前の広場 >
少しばかりお土産を買ったあとは、もう行きたい所もなく、街の中をぶらぶら歩く。
屋台のパン屋のおじさんが、今日も同じ場所で店を開いている。
アレオス通りに出ると、アクロポリスの丘が見えた。紀元前の昔には、麓の町のどこからでも、こうして聖なる丘を仰ぎ見ることができたのだろう。右前方の丘の下が、当時、人々が集った古代アゴラだ。
村上春樹『遠い太鼓』(講談社文庫)から
「アテネといえば人口300万を数えるギリシャ随一の都会 (これは実にギリシャの総人口の三分の一近くに相当する) ではあるけれど、観光客が通常 動きまわるエリアに限って言えば、それほど大きな町ではない」。
「この街は大昔のポリスのまわりに、まるで磁石に鉄屑がくっつくように近郊住宅地が付着して、そのまま無定見にぼわぼわと発展したような都市だから、観光客にとって興味のある場所ははっきりと中心部に限られている。だって近郊住宅地部分なんか見に行ったってしかたないから、…… 普通の人はアクロポリスに登って、プラーカでレッツィーナを飲んでムサカを食べて、町をぶらぶら歩いて、土産物屋をのぞいて、シンタグマ広場でお茶を飲んで、リカヴィトス山からアテネの夜景を見て、その後時間と興味のある人は国立考古学博物館を見学して、それでおしまいである」。
アクロポリスも国立考古学博物館も行った。リカヴィトス山にはまだ行っていないが、億劫だ。
海に臨むロードス島で、聖ヨハネ騎士団長の居城や病院、空堀の向こうに連なる城壁と城門、それからマンドラキ港の満月、リンドスの群青の海の上のアクロポリスの遺跡、「ママ・ソフィア」の海の幸など … それらと比べると、アテネの街は観光客ばかりで、スリに気を使い、雑然として、風情がない。パリやイスタンブールのような美しい街ではない。
そのアテネの街のお気に入りの一角。
ミトロボリオス大聖堂の前の緑の木蔭の広場へ行って、時を過ごそう。
『地球の歩き方』に、「アテネいちの大聖堂だけあって、重厚な趣がある。古代の乾いた遺跡を見慣れた目には、久しぶりの生きた見どころ」とあるが、… 確かに、遺跡だけでなく、街もそうだし、バルカン半島の風土そのものが乾いている感じだ。
そんな街の中で、この一角だけ、樹木がこんもりと木蔭をつくり、涼しさが通りぬける。
それに、大聖堂と隣り合わせたアギオス・エレフテリオス教会が、野の花のようで可愛い。
「カフェ・メトロポール」の木蔭のテラス席でギリシャコーヒーを飲んだ。
コーヒーを飲んでいると、周囲からギリシャ語が聞こえてくる。何をしゃべっているのか全くわからないが、男も女も早口で、まるで小鳥の囀りのようだ。いくら母国語でも、こんな早口でしゃべり合って、よく聞き分けられるものだと思う。
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< 旅の最後の夜 >
今日は日曜日。日曜の夜、このホテルでは、最上階の一面ガラス張りのフロアが、宿泊客以外も利用できるバー・コーナーになるようだ。
一杯の白ワインを飲みながら、アクロポリスの丘のパルテノン神殿のライトアップを楽しんだ。漆黒の夜空に浮かび上がって、古代の遺跡は印象的だった。
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< アテネ空港から関空へ >
5月20日(月)
夜明け前のシンタグマ広場からバスに乗った。
アテネ空港では、セキュリティ検査のフロアーでも、搭乗前も、何人かの警察官と空港職員の眼が一人一人の顔に注がれた。重要犯の国外脱出を見張っているのだろうか??
8時35分、アテネ出発。
ミュンヘンには現地時間10時20分に到着(時差あり)。
アテネは快晴だったが、ミュンヘンは雨。天気予報を見ると、これから先、数日、ミュンヘンは雨模様のお天気だ。
2時間の待ち時間だが、あとは関空行に搭乗するだけ。ここまで帰れば、ほとんど日本に帰ったようなほっとした感がある。
ミュンヘン空港でも、警察官と空港係員が乗客の顔を一人一人確認していた。テロの情報があるのだろうか。
12時15分に出発。
飛行機が飛び立ち、まだ地上と雲との間を飛んでいるとき、窓から下界を眺めると、赤い屋根に白い壁のメルヘンチックな家々が小さく見え、その先には区画された黒っぽい土と緑の畑が広がり、その向こうに森がある。
何とみずみずしく潤いのある風景だろうと思う。ギリシャとは、風土がこんなに違う。白っぽい岩だらけのギリシャと、黒っぽい土と緑が広がるドイツ。
これから東へ東へと飛び、地球は西へ回る。やがて、夜明けを迎えに行くように飛んで、日本時間の朝6時過ぎには、関空に着く。
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< 旅の終わりに >
おだやかで、心楽しい、とてもいい旅だった。
この頃、海外旅行のことでネットを見ると、例えば、ギリシャの人気観光スポットのランキングとか、アテネの人気レストランのランキングとか、ランキング流行りだ。参考になることもある。
それで、今回の「エーゲ海の旅」の中から、私の「良かった!! 印象度ランキング」をつくってみた。旅の思い出として残しておこう。
<第1位> リンドスの群青の海と、海から聳えるアクロポリスの丘。丘の上の古代遺跡や聖ヨハネ騎士団の城壁 …… それに白い街も。リンドスまでの船旅も良かった。とにかくリンドスは印象的でした。
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< 第2位 > ロードスの聖ヨハネ騎士団団長の居城、病院(考古学博物館)、空堀と城壁・城門 …… この旅のメインテーマ。『ロードス島攻防記』の舞台を実際に目で見て、感じることができました。
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< 第3位 > ロードスのマンドラキ港の巨像が立っていた場所という2頭の鹿の像、風車、セント・ニコラス要塞、そして満月 …… ロードス島滞在中、毎日、見た絵葉書のような景色。心に残る風景、私のエーゲ海です。
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< 第4位 > ロードスの旧市街の黄色い石積みの家々とレストラン「ママ・ソフィア」…… ソティリスさんの日本語による温かいもてなしと新鮮な魚介料理。心に残りました。この旅の画龍点睛です。
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< 第5位 > アテネのアクロポリスの丘 …… パルテノン神殿よりもエレクティオン。そして丘の上から見下ろした遺跡の数々も印象に残りました。ホテルの最上階から見た丘も、良かったです。
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< 第6位 > アテネの国立考古学博物館とロードスの考古学博物館 …… 国立考古学博物館には、教科書に出てくるような彫刻がたくさんありました。また、「ロードスのビーナス」も気に入りましたね。私は、ミケランジェロやロダンより、古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻の方がすっきりして好きです。
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< 第7位 > サロニコス諸島一日クルーズ …… 現地ツアーに参加して、のんびりした1日でした。
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< 第8位 > 聖ヨハネ騎士団の出先の城塞があるコス島 …… 結局、地震でクローズでしたが、この日もお天気で、のどかなエーゲ海の1日を過ごしました。
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< 第9位 > ロードスのアクロポリス …… 目立たない遺跡でしたが、ここが古代ロードスの中心だったのだと、感慨がありました。「滅びしものはなつかしきかな」。
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< 第10位 > 名前がわからないがロードスの旧市街の大樹の木蔭のカフェ … 地元の人も集う、素朴で、涼しく、心地よいカフェでした。疲れが癒されました。
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< 第11位 > アテネのミトロボリオス大聖堂の前の広場と「カフェ・メトロポール」 … 私にとって心落ち着かないアテネの街の中のオアシスでした。アギオス・エレフテリオス教会は野の花のようで、「カフェ・メトロポール」はアテネの名カフェです。
以上です。なかなか順位をつけるのは難しい。
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※ 帰宅して、このブログを書きながら、ツタヤで借りたギリシャ映画『タッチ・オブ・スパイス』をみました。テッサロニケ国際映画祭で作品賞、監督賞以下、数々の受賞に輝いた作品です。
キプロス紛争下のギリシャとトルコ、国と国との厳しい対立を背景にして、アテネとイスタンブールの町を舞台に、トルコ人の祖父とギリシャ人の孫の愛情、そして、幼い日に別れた初恋の人との再会と別れが、ちょっとコミカルに、でも、ちょっと切なく描かれて、見終わった後、とても美しい映画をみたという印象が残りました。機会があれば、ご覧ください。